電脳筆写『 心超臨界 』

明日への最大の準備はきょう最善を尽くすこと
( H・ジャクソン・ブラウン・Jr. )

毎日の食事を充実させるシステム料理学――丸元淑生

2024-07-15 | 09-生物・生命・自然
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


昨今の家庭内暴力や少年非行の記事を読むたびに私が疑問に思うのは、家庭内の食事の内容や栄養素の欠乏が問題にされないことである。アメリカでは考えられないことで、過敏児と悪い食事や、暴力犯罪と鉛の異常体内蓄積の相関など、すでに明白にされている事実はすくなくない。


◆毎日の食事を充実させるシステム料理学

『システム料理学』
( 丸元淑生、文藝春秋 (1982/6/1)、p9 )

[ まえがき ]  男女厨房に立つ

色刷の豪家本から随想の類まで、本屋に行くと料理の本の数に驚かされる。その氾濫(はんらん)に一書を加えようというのだから、あえて加える理由をまず最初に述べるのが、読者に対する著者の義務というものであろう。

私は現代栄養学を勉強してきた者である。といって大学で栄養学を専攻したわけではなく、理由があって十年前からアメリカの栄養学を独学してきた。日本語で勉強したかったのだが、日本には現代栄養学に関する本が絶無のために(その点では料理書の氾濫と見事な対照をなす)、やむなく英語で学んできた。それはどうでもよいことだが、現代に傍点をふったのは、日本の栄養学がただの栄養学で、アメリカの栄養学が現代栄養学という意味ではない。栄養学は世界に一つしかないけれども、日本人の多くが栄養学と信じているものは半世紀以上も前のそれであって、生化学の一部として長足の進歩をとげている現代栄養学とは、ほとんど別のものであることを知っていただきたいのである。

その栄養学を学ぶにつれて、私は現代の日本の家庭料理に疑問をもちはじめた。それでやむなく今度は、数年前から料理をつくるようになった。これは極めて評判が悪く、「だったら結婚なんかしなければよかったんだ」と、無茶苦茶なことをいう友人もいれば、「お前より包丁のうまい板前は五万といるんだぞ」と、私が板前レースにでも加わったかのように錯覚している先輩もいる。最近では、「あの人は作家だからできるのよ」といった、周囲のかげ口まで聞こえてくるようになった。

このくらい男が料理をつくるというのはやっかいな事柄である。たわむれに男が厨房に立ち混じるのは笑顔をもって迎えられる時流のようだが、日常の食事を真面目に組み立てなおそうとすると、女房の抵抗にあうのはもちろん、無関係な周囲からさえ顰蹙(ひんしゅく)を買うのである。そのことをまず申しあげておきたい。

(中略)

正しい食事をしていると人間の味覚は正常になり、誤った調味を拒(こば)むようになる。社用族を家に向かわせる一つの理由はそれである。砂糖や化学調味料を使った外食料理が受けつけられなくなるのだ。それは即、健康につながるだけでなく、家庭生活を潤いのあるものに変えていくだろう。昨今の家庭内暴力や少年非行の記事を読むたびに私が疑問に思うのは、家庭内の食事の内容や栄養素の欠乏が問題にされないことである。アメリカでは考えられないことで、過敏児と悪い食事や、暴力犯罪と鉛の異常体内蓄積の相関など、すでに明白にされている事実はすくなくない。鉛に限らず水銀やカドミウムなどの有害金属は、現代人が環境や食事によって千年前の人類の千倍近くも体内に蓄積しているものである。むろんそれは、さまざまな障害をもたらすに足る量で、体外に排泄するためには、いくつかの解毒栄養素――ビタミンC、亜鉛、メチオニンなど――が十分にとられていなくてはならない。そうした食事をつくることができるのは、レストランや料亭ではなく家庭であり、また毎日のものでなくてはならない。

大事なのは、たまのご馳走のつくり方ではなく、毎日の食事をいかに充実させるかなのだ。この本はそのためのシステムを紹介するものだが、システムであるから誰もが普通のやり方で作業を分担できる。女にはまかせられないとはいえ、そこのところがいわゆる男の料理ではない。男が分担することの望ましい部分を男がやり、共働きの場合は、男女を問わず可能な者が料理をつくる。

それも一からスタートするのではなく、わずかの時間で料理が整うようなシステムを、家庭のなかにつくりあげようというものだ。

料理をつくる気などさらさらない人も、試みに頁をくってみていただきたい。少なくとも現代が、長い人類史のなかで、どれくらい異常な時代であるかはおわかりいただけるだろう。社会批評や文明批評では浮かび上がらない時代像が、蓮根やこんにゃくを煮てみるとよくわかる。

豆腐やいもを通さなければ見えないものもあり、一人の貧困者が、いささか並はずれた生の欲求のゆえに、いものうたをうたったと思っていただいてもいい。実際、私はいもの皮も人参の皮も棄てずに野菜のストックをつくるのだが、一個のいものなかに料理のすべてがあるというのが、行きついた感想である。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 食料自給率を向上させる対策... | トップ | ハイリターン・ハイリスク――... »
最新の画像もっと見る

09-生物・生命・自然」カテゴリの最新記事