電脳筆写『 心超臨界 』

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( ルイ・パスツール )

南京大虐殺という嘘 《 戦犯軍事法廷の設置――北村稔 》

2024-07-07 | 04-歴史・文化・社会
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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南京での「大虐殺」の責任を負わされた松井石根大将は、戦時国際法に違反するB級戦犯として処刑されたが、裁判開始当初は東条英機らと同様のA級戦犯としての罪状も含めて起訴されていた。この事実は「南京事件」が単なる戦争犯罪としてではなく、連合国側の断罪する「平和に対する罪」を有する侵略戦争の象徴として位置づけられようとしたことを示している。


◆戦犯軍事法廷の設置

『「南京事件」の探求』
( 北村稔、文藝春秋 (2001/11)、p8 )

すでに第二次世界大戦中の1944年にはロンドンに、アメリカ、イギリス、フランスなど16カ国による連合国戦争犯罪審査委員会が成立していた。続いて同年の11月には国民政府の首都の重慶に、連合国戦争犯罪審査委員会極東・太平洋分会が成立する。更に戦争終了後の1945年12月にモスクワで行われたアメリカ、イギリス、ソ連の最終協議をへて、戦犯裁判の方針が決定された。ドイツのニュールンベルクと日本の東京に国際軍事法廷が設置され、各国にも軍事法廷が設置されることになった。そして南京での「大虐殺を断罪したのは、南京と東京で開かれた二つの軍事法廷の判決であった。

連合国側の戦犯裁判では、罪状がA級、B級、C級の三つに区分された。A級とは「平和に対する罪」であり、侵略戦争の計画・開始・遂行が犯罪とされた。B級とは「通例の戦争犯罪」であり、戦時国際法に違反する行為であった。C級とは「人道に対する罪」であり、戦前・戦中の殺害・虐待とされた。ニュールンベルクと東京ではA級戦犯が裁かれ、各国の都市の軍事法廷ではBC級戦犯が裁かれた。

1946年から南京で行われた国民政府国防部戦犯軍事法廷は、1937年から38年にかけての日本軍の南京占領期間中に、大量の殺人、放火、略奪、強姦が発生し、30万以上の中国人が殺害されたという判決を下した。続く東京の極東国際軍事裁判も、日本軍占領期間中の殺人、放火、略奪、強姦の発生を確認し、殺害者数は10万人以上であったと認定した。この結果、南京では日中戦争当時の南京攻撃軍の師団長の一人であった谷寿夫中将が虐殺の責任を負わされ、B級戦犯として死刑に処された。東京でも、日中戦争当時の南京攻撃軍の総司令官であった松井石根陸軍大将が虐殺の責任を負わされ、同じくB級戦犯として死刑に処された。

南京での「大虐殺」の責任を負わされた松井石根大将は、戦時国際法に違反するB級戦犯として処刑されたが、裁判開始当初は東条英機らと同様のA級戦犯としての罪状も含めて起訴されていた。この事実は「南京事件」が単なる戦争犯罪としてではなく、連合国側の断罪する「平和に対する罪」を有する侵略戦争の象徴として位置づけられようとしたことを示している。
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