電脳筆写『 心超臨界 』

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( H・ジャクソン・ブラウン・Jr. )

悪魔の思想 《 横田喜三郎――“横田喜三郎記念室”に展示すべきもの/谷沢永一 》

2024-08-14 | 04-歴史・文化・社会
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国立国会図書館の一室かあるいはどこか然るべき場所に、横田喜三郎記念室を設け、言論の自由を象徴する施設としたらいかがでしょう。入口に近い第一部には、横田喜三郎が皇室を罵倒し、貶斥(へんせき)し、論難し、攻撃し、否認し、皇室の「廃止」を提唱した少なからぬ文言を、拡大した読みやすいパネルとして、できるだけたくさん展示します。そして仕切りを越えた次の間の第二部には、横田喜三郎が受けたかずかずの栄勲、つまり、最高裁判所長官任命書、勲一等旭日大綬章、文化功労者指定書、旭日桐花大綬章、文化勲章、を並べなければなりません。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p151 )
反日的日本人第1号・横田喜三郎(よこたきさぶろう)への告発状
第5章 栄達のため、法の精神を蹂躙(じゅうりん)した男

  横田喜三郎
  明治29年生まれ、東京帝大卒。東大教授、最高裁長官を歴任。昭
  和56年、文化勲章受賞。“東京裁判史観”の初代煽動者。平成5
  年没。

  東京裁判は無理矢理に行なわれた私刑(リンチ)でした。基準とすべ
  き拠(よ)るべき法律がなかったからです。開廷を命じたマッカーサ
  ーはのちに帰国したとき、東京裁判は間違いだったと証言しました。
  しかるに、その違法であり無法である東京裁判を、これこそ正当で
  あると全面的に支援し、そのためにあらゆる屁理屈(へりくつ)を総
  動員して、東京裁判を神聖化し合理化しようと努めたのが横田喜三
  郎です。進駐軍に身をすり寄せて阿(おもね)った第1号がこの東京
  帝国大学法学部教授でした。

5-15 “横田喜三郎記念室”に展示すべきもの

このようにあざやかな豹変を演じるわけですが、2冊合計1007頁におよぶ自伝のどこを探しても、自分がかつて論陣をはった“天皇制批判”を撤回するとか一部修正するとか、それに類するような反省の言辞は一語も見当りません。いやそれどころか、胸を張って自分の著作の意図と要旨を解説します。ただし『天皇制』において論じた内容にかぎっては、次のようにできるだけ差し障りなく微温的に調子をおさえて、どこからも咎(とが)めが出ないように中立的(ニュートラル)に、ごくあっさりと余所事(よそごと)のように説明しています。

  つぎに新憲法の天皇制を確かめた。天皇は象徴にすぎず、国民が主
  権者である。天皇の地位は、国民の総意に基づく。天皇の機能は、
  きわめて狭く、まったく事務的な、儀礼的なものである。その結果
  として、天皇制は根本的に変質した。それに伴って、国体も変質し
  た。この変質と変革を詳しく述べた。
                      (『私の一生』200頁)

ここに言う「変質と変革」は「明治憲法の天皇制」に比較した場合における法律的な観点からの判定ですから、これだけでは部分的な強調の語法に対する偏僻(へんぺき)が認められるにせよ、新憲法における天皇の地位についての平板な解説にすぎません。さきに引用した横田喜三郎の皇室および国民に対する毒を含んだ非難、攻撃、罵倒、貶斥(へんせき)と較べていただきたいものです。

さすがに、これだけで口をぬぐっているわけにもゆかず、横田喜三郎は自著『天皇制』の主旨を次の一語に要約します。

  さいごに、天皇制の批判として、天皇制は、平等を根本理念とする
  民主主義と両立しないとした。
                      (『私の一生』200頁)

これが最後のひと踏んばりでしょうか。この論理だけは今もけっして譲らないぞ、という面子(メンツ)にかけての執念ですね。しかし困ったことに、それでは戦後の日本は毫(ごう)も民主主義ではなかったと判断しなければなりません。いくらなんでも、それほど乱暴な現実の否認はできないでしょう。そこで横田喜三郎はこの難問を一挙に解決する論理を持ちだします。

  もっとも、国民の多数が天皇制を維持することを望むならば、これ
  を維持することも民主主義であるともいえる。
                      (『私の一生』200頁)

そんならそうと初めから、と唱う俗謡の一節ではありませんが、それなら、なぜ日本国憲法に記された「国民の総意」という重要な文言を、初めから一顧だにせず、無視してかかったのでしょうか。

いずれにせよ、これで「両立しない」はずの皇室と民主主義が「両立」することになってよかったですね。理屈はなんとでもつけられる便利な合わせ物であることがよくわかりました。

思えばわが国は言論の自由が無限であるという点で、世界に冠絶(かんぜつ)する模範国ですね。

そこで、ぜひともお聞きとどけいただきたい提案があります。国立国会図書館の一室かあるいはどこか然るべき場所に、横田喜三郎記念室を設け、言論の自由を象徴する施設としたらいかがでしょう。

入口に近い第一部には、横田喜三郎が皇室を罵倒し、貶斥(へんせき)し、論難し、攻撃し、否認し、皇室の「廃止」を提唱した少なからぬ文言を、拡大した読みやすいパネルとして、できるだけたくさん展示します。

そして仕切りを越えた次の間の第二部には、横田喜三郎が受けたかずかずの栄勲、つまり、最高裁判所長官任命書、勲一等旭日大綬章、文化功労者指定書、旭日桐花大綬章、文化勲章、を並べなければなりません。そして同時に、それらを天皇陛下から拝受しているおごそかな写真を宮内庁からお借りして飾るのです。これが肝心要(かなめ)ですから、念には念を入れて掲げてください。

そして第二部を見たあと、再びまた第一部の弾劾文書類を再確認できるために、往き来が自由になるよう通路をゆったり取っていただかねばなりません。

もし、この記念室が完成すれば、日本における言論の自由の生きた実例として、海外からの観覧客もかなり見こめるのではないでしょうか。そして、わが皇室の比類なき寛容に対する賛嘆の念がますます高まり、わが国の大きな誇りとなること間違いないと思われまず。
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