電脳筆写『 心超臨界 』

心地よいサマーレインのように
ユーモアは一瞬にして大地と空気とあなたを洗い清める
( ラングストン・ヒューズ )

読む年表 古代~中世 《 神武東征――渡部昇一 》

2024-07-11 | 04-歴史・文化・社会
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


いよいよ長髄彦との決戦に臨んだとき、金色の不思議な鵄(とび)が飛んできて、神武天皇の弓の先にとまった。その鵄は稲妻のように光り輝き、長髄彦の軍勢は目がくらんで戦えなかったという話が残っている。明治以来、軍人に与えられる最高の名誉だった金鵄(きんし)勲章は、この神話からきている。結局、長髄彦は神武天皇を「天神の子」と認めたあとも改心しなかったということで、これも「天孫降臨族」である妹婿饒速日命は長髄彦を殺して、神武天皇に帰順(きじゅん)した。この饒速日命が物部(もののべ)氏の先祖である。


◆神武東征(じんむとうせい)

『読む年表 日本の歴史』
( 渡部昇一、ワック (2015/1/22)、p16 )

紀元前660(皇紀元年)【 日本書紀 】
神武東征(じんむとうせい)
もう一つの天孫降臨族(てんそんこうりんぞく)・長髄彦(ながすねひこ)との戦い

神武天皇は「東征」を行って大和朝廷を建てる。日向国(ひゅうがのくに=現宮崎県)を出て北九州までは陸を行き、そこからは船で瀬戸内海を行くが、まっすぐ東をめざしたのではなく、各地に立ち寄り、大和に至るまで十年近くかかっているが、その間に大きな戦争の記載は『日本書紀』にないから、その途中の土着の人々は大きな抵抗をすることもなく、天皇に従ったようである。

いよいよ河内国(かわちのくに)草香邑(くさかのむら=日下村)の白肩津(しらかたのつ)に着き、生駒山(いこまやま)を越えて大和に入ろうとすると、土地の豪族長髄彦(那賀須泥毘彦)の軍隊がこれを迎え討ち、孔舎衛坂(くさえのさか)で激戦になる。このとき神武天皇の兄彦五瀬命(ひこいつせのみこと)の肘脛(ひじはぎ)に矢が当たり、それがもとで彦五瀬命は進軍中に亡くなっている。

長髄彦は、やはり天孫降臨した饒速日命(にぎはやのみこと)に仕える者で、饒速日命は長髄彦の妹と結婚し、子供もいると記されている。天孫降臨といえば瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)ということになるが、それとは別に、饒速日命も、天磐船(あまのいわふね)に乗って河内に天降(あまくだ)っていたというのである。

これは、南方から来た日本の支配階級である「天孫降臨民族」が一つではなく、いくつかの集団が日本に渡ってきていて、河内のあたりに先に来ていた一族の者が、土着の強力な酋長の妹と結婚したということではないだろうか。つまり、その酋長が長髄彦というわけである。

苦戦を強いられた神武天皇は、「自分は日神(ひのかみ)の子孫であるのに、日に向かって進み敵を討つのは天道にさからっている。背中に太陽を負い、日神のご威光を借りて戦うのがよいだろう」と考え、いったん船で紀州へ向かう。この紀国(きのくに)の竈山(かまやま)で、孔舎衛坂の戦いで深傷(ふかで)を負った兄の彦五瀬命は亡くなり、この地に葬られた。現在も和歌山市には彦五瀬命を祀(まつ)った竈山(かまやま)神社がある。

熊野から大和に赴こうとしたとき、八咫烏(やたがらす)という大きなカラスが現れて先導してくれたという。これは山城(やましろ=現京都府南部)の賀茂氏の祖であり、賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨(しもがも)神社)の祭神(さいじん)である鴨建津之身命(かもたけつぬみのみこと)の化身だとも言われているが、おそらく土着の人間が道案内をしてくれたということだろう。このときに大伴(おおとも)氏の先祖である日臣命(ひおみのみこと)が大軍を率いて八咫烏のあとにしたがい、ついに宇陀(うだ=現奈良県)に着いた。

いよいよ長髄彦との決戦に臨んだとき、金色の不思議な鵄(とび)が飛んできて、神武天皇の弓の先にとまった。その鵄は稲妻のように光り輝き、長髄彦の軍勢は目がくらんで戦えなかったという話が残っている。明治以来、軍人に与えられる最高の名誉だった金鵄(きんし)勲章は、この神話からきている。

結局、長髄彦は神武天皇を「天神の子」と認めたあとも改心しなかったということで、これも「天孫降臨族」である妹婿饒速日命は長髄彦を殺して、神武天皇に帰順(きじゅん)した。この饒速日命が物部(もののべ)氏の先祖である。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 読む年表 古代~中世 《 天照... | トップ | 日本史 古代編 《 記紀抜きで... »
最新の画像もっと見る

04-歴史・文化・社会」カテゴリの最新記事