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( ヘラクリトス )

日本史 古代編 《 カミとホトケが共存するための神学――本地垂迹説(1/2)/渡部昇一 》

2024-08-14 | 04-歴史・文化・社会
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ホトケは元来、無始無終で絶対的なるものである。このホトケを「本地(ほんち)」というわけだが、この本地は人間を救うために、ほうぼうに具体的な形で現われる。これを「垂迹(すいじゃく)」という(この本地と垂迹の関係は、プラトン哲学における、イデアの世界と現象界との関係に、ちょっと似たところがある)。この本地が日本に垂迹した場合、それが日本のカミだという。だから日本のカミもその源は全部ホトケなのである。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p171 )
2章 上代――「日本らしさ」現出の時代
――“異質の文化”を排除しない伝統は、この時代に確立した
(4) 「カミ」と「ホトケ」の共存共栄

◆カミとホトケが共存するための神学――本地垂迹(ほんちすいじゃく)説(1/2)

ところが、昔の日本にも、そう簡単に、聖徳=天武式の両立信仰ができた人ばかりではなかった。特に仏教をやった人は、先祖崇拝と仏教をそう簡単に両立させることはできず、両立させるための神学を考える人たちが出てきた。

その結果が、本地垂迹(ほんちすいじゃく)説とか神仏習合(しんぶつしゅうごう)とかいう。日本独特の思想的努力である。これは奈良時代からしだいに生じて、藤原時代に完成した神学であり、天台(てんだい)宗系から出たものを山王一実神道(さんのういちじつしんとう)、真言(しんごん)宗系から出たものを両部習合(りょうぶしゅうごう)神道と言う。

内容は複雑で詳説するに耐えないが、要するに、カミとホトケは同じである。あるいはカミはホトケとなることができるということなのだ。

ホトケは元来、無始無終で絶対的なるものである。このホトケを「本地(ほんち)」というわけだが、この本地は人間を救うために、ほうぼうに具体的な形で現われる。これを「垂迹(すいじゃく)」という(この本地と垂迹の関係は、プラトン哲学における、イデアの世界と現象界との関係に、ちょっと似たところがある)。この本地が日本に垂迹した場合、それが日本のカミだという。だから日本のカミもその源は全部ホトケなのである。

仏教における、元来の本地垂迹説では、絶対的・理念的なホトケである本地が、歴史的・現実的にこの世に現われた垂迹が釈迦であるということで、法身(ほっしん)、と応身(おうじん)ともいう。ところが、日本の本地垂迹説は、このアナロジー(類推)を、釈迦とカミとの関係に引き伸ばしたのである。

もちろん純正仏教徒からいえば、日本のカミは生きている人間同様、救われるべき衆生(しゅじょう)であるにすぎない。だから、いっさいの衆生を救う仏教を尊べば、カミも苦界(くがい)から救われ、煩悩を解脱(げだつ)できると考えた。したがって、カミを救うための神前読経というものも、古代にはよく行なわれたのである。

これは、現在のカトリックの祖先に対する祈り方と、まったく同じである。キリストの道を知らずして死んだ先祖の霊(古代日本語で言えばカミ)はカトリックの神学的理論からいって、地獄に行っているわけはないし、天国に行っているわけもない。したがってその中間の状態、つまり煉獄(れんごく)にいるにちがいない。このように中間帯にいるカミが天国に行けるように、神(ゴッド)、すなわちキリストに祈るというのである。

だが、日本の本地垂迹説はここでとどまらず、さらに進んで、平安時代になると、カミは仏法によって悟りを開いて菩薩になることができるというようになった。八幡宮(はちまんぐう)のカミを八幡大菩薩などと言うのがこの例である。ところが、さらに時代が下(くだ)って藤原時代になると、カミは菩薩どころか、ホトケになることができるところまで進んだ。つまり、カミとホトケは同じものになる。カミはホトケが仮の姿で現われたもの、つまり権現であるというのである。熊野権現などがその例であろう。

家康が日光に祀られて、東照(とうしょう)権現と言われたのも、大乱を治めて泰平の御代(みよ)を開いたこの英雄は、とてもただの人とは思われぬ、カミかホトケが仮の姿で現われた、つまり権現したとしか思われぬ、という意味であった。

  < (2/2)につづく >
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