電脳筆写『 心超臨界 』

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( H・ジャクソン・ブラウン・Jr. )

東京裁判はインチキ 《 「複眼」で12月8日を振り返る――平川祐弘 》

2024-08-14 | 04-歴史・文化・社会
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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シンガポールで日本軍に降伏したイギリス軍のインド人兵士は「ガンディーか」と日本語で訊(き)かれると、大半がうなずいて日本側のボースのインド国民軍に参加した。戦後英国は彼らを反逆罪で裁こうとしたが、インド民衆は彼らを英雄視して蜂起し、裁判は成り立たず、その反英暴動はついにインド独立に連なった。となると、極東国際軍事裁判でキーナン検事が冒頭で述べたいわゆる東京裁判史観よりも、インドのパル判事の歴史観に軍配をあげる人が次第に増えるのは間違いないだろう。


◆「複眼」で12月8日を振り返る――平川祐弘・東京大学名誉教授
(「正論」産経新聞 H30.12.07 )

12月8日は子供心に印象深い。日本が米英と西太平洋で交戦状態にはいったその日から戦争は「大東亜戦争」と呼ばれ、敗戦後は「太平洋戦争」となった。アメリカ側で the Pacific War とか War in the Pacific と呼ぶからだが、「大東亜戦争」といわせておくと、日本が大東亜解放のために戦った、という義戦の面が表に出る。それでは連合国側に都合が悪い。

だがここで問いたい。第二次大戦で日本が戦ったのは「太平洋戦争」だけなのか。「大東亜戦争」の側面は皆無なのか。客観性を担保するためインドからも1941年以降の戦争を振り返ってみる。

〈 英国は東亜侵略の筆頭だった 〉

昭和10年代前半の日本にとり世界第一の大国はイギリスで、大英帝国は七つの海を制し、インド、ビルマ、マレー、北ボルネオも、オーストラリア、ニュージーランド、カナダも、その領地だった。幼稚園で「日英米独仏伊西露中」の順で覚えた。日本は別格で外国では英国が先頭だ。わが海軍も各省も最優秀者を選抜して英国に派遣した。福沢諭吉以来、日本は漢籍よりも英書を一生懸命学んだ。産業革命以降の英国を近代化の模範に考えたからだが、その英国は「東亜侵略百年」の悪者の筆頭でもあった。

ドイツがポーランドに侵入した1939年9月、英仏はドイツに宣戦した。すると英国に戦時宰相チャーチルが登場する。この敵国の首相はわが国でも人気があり、綽名(あだな)をチャーチルと呼ばれた級友がいた。迷惑のはずだがチャー坊の綽名に笑いがあった。ヒトラーと違いチャーチルの人間性は戦時下の日本にも伝わったらしい。

独・伊・日の枢軸国と死闘を演じ、大英帝国をあくまで護持しようとしたチャーチルと、英国の支配からインドを独立させたガンディーを語るアーサー・ハーマンの『ガンディーとチャーチル』(白水社)の訳が出た。この本は二人の伝記を縦軸に、その対抗関係を横軸に叙した英印に跨(またが)る大河史伝で、特色は比較史である。従来はガンディーはインド史で、チャーチルは英国史中でもっぱら扱われたが、この著書は一国単位の歴史学のナショナルな枠をはずし、英印関係をダイナミックに把握し、西洋とアジアの歴史的取り組みを劇的に描いている。

〈 ガンディーかチャーチルか 〉

チャーチルは英米人にはヒトラー・ドイツを倒したヒーローである。「救国の英雄」という西洋史上のチャーチル像は日本にもそのまま伝わり、英国の勝利はまた正義の勝利とみなされた。しかし第二次大戦に勝利し戦争目的を完遂したかに見えたチャーチルだが、戦後に現出した事態は大政治家の期待を裏切った。大英帝国は実質的に瓦解し、植民地は次々と独立したからである。

英国の大偉人チャーチルも、インドとの関係では別様に見える。そもそも植民地支配は肯定すべきことか。大英帝国「白人の責務」を担うといったが、それに対する有色人種の独立回復の主張は否定すべきものか。ガンディーとチャーチルの対抗関係を読むと、チャーチルが体現した大英帝国主義の暗黒面が明るみに出る。そればかりか連合国という勝者の側にも不正があったことがおのずと感得される。

そんな複眼の歴史観で振り返ると、過去の再解釈を迫られる。日本の政治家や知識人はあの戦争についてあくまで連合国側の立場に立って正邪の判断を下すべきなのか。ナチス・ドイツに勝利した連合国を正義とみなすかぎり、枢軸国の日本は不正義になる。英米人は、ドイツも日本も邪悪な敵として等(ひと)し並みに扱ってきた。そして敵の敵は味方という論理に従い、ソ連や中国も正義の味方と分類した。習近平氏が主席となるや世界各地を歴訪して宣布しようとした見方がそれだ。

〈 インドから見ると正義は逆 〉

だが宗主国英国と植民地インドの関係で見ると、正義・不正義の区分はそうはならず、むしろ逆である。日本はアジア解放を唱えた。「大東亜戦争」とは口実で日本のアジア支配を意図した侵略戦争と断ずべきなのか。

シンガポールで日本軍に降伏したイギリス軍のインド人兵士は「ガンディーか」と日本語で訊(き)かれると、大半がうなずいて日本側のボースのインド国民軍に参加した。戦後英国は彼らを反逆罪で裁こうとしたが、インド民衆は彼らを英雄視して蜂起し、裁判は成り立たず、その反英暴動はついにインド独立に連なった。となると、極東国際軍事裁判でキーナン検事が冒頭で述べたいわゆる東京裁判史観よりも、インドのパル判事の歴史観に軍配をあげる人が次第に増えるのは間違いないだろう。

私見では日本は反帝国主義的帝国主義の国だったが、その戦争に正面の「太平洋戦争」とともに「大東亜戦争」の側面があったことは否定できない。日本が英国と戦った香港・マレー半島・シンガポール・ビルマやインド洋は地理的にも太平洋とは呼べないからである。
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