電脳筆写『 心超臨界 』

悲観論か楽観論かの問いにはこう答える
私の知識は悲観的なものだが私のやる気と希望は楽観的だ
( シュヴァイツァー )

用意ができたとき師が現われる 《 奇跡のリンゴ――木村秋則 》

2024-10-27 | 03-自己・信念・努力
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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禅の中に、「用意ができたときに師は現われる」という教えがあります。自分に準備がなければ、すべては無意味な存在でしかないということです。意志が生まれたとき、手をさしのべる師は現われる。師はいたる所にいる。ふと目にした新聞の記事や子供の質問に答えた自分の言葉であることもある。「師はどのように現われるのか?」との質問への答えは、「これがそうだ」という以外にない。たとえば死にかけた虫を見て、自分の中に同情心がかき立てられた瞬間に、師が出現したことになるのである。


5年目、木村さんは死のうと思って、岩木山に入った。森の中を進むうちに、不思議なものを見た。りんごの木が一本、葉を虫にも病気にもやられずに立っていたのだ。こういうのを「意味のある偶然」と言う。懸命に何かを求めているとまるで待っていてくれたかのように、啓示をもたらすものに奇跡的に出逢うのだ。それはりんごの木ではなかったことが後でわかるのだが、その時はなぜだと思って、周囲の土壌を調べてみた。土壌は手で掘れるくらい柔らかく、空洞になっているところもあり、雑草も木も根が実によく張っている。


◆奇跡のリンゴ

『「気づき」の力』
( 柳田邦男、新潮社、p43 )

気づきの原点は幼き日の感性

《奇跡的な出逢い》

宿泊先のホテルで、執筆の途中でコーヒータイムにしようと、何気なくテレビをつけたら、津軽地方の孤峰岩木山の美しい姿が映っていた。弘前には何度か訪れているし、アップルロードをドライブしたこともある。岩木山や盛岡の岩手山は懐かしく感じるほど目に焼きついている好きな山だ。

何の番組かなと思って見ていると、りんご農家の主人らしい人がアップになった。いかにも何十年も農作業をしてきたことをうかがわせる深いしわを刻んだ日焼けした顔。笑顔がすごくいい。りんごの木の枝に下がる大きな実の一つを握ると、「いいねぇ、ありがとう、ありがとう」と、りんごに感謝している。大きなりんごの玉は透明感のある赤にややオレンジがかったピンクの斑(ふ)が入った感じで、秋の日射しの中で光っている。

汗を流し丹精をこめて育てたりんごに、「ありがとう、ありがとう」と、感謝の言葉をかける表情によそよそしいところはない。自然にその言葉が出て来てしまうという感じだった。私は思わず引き込まれて、番組を最後まで見てしまった。

番組は毎週火曜日の夜に放送している「プロフェッショナル 仕事の流儀」というシリーズもので、個性的な仕事をしている人物を取り上げて、仕事をしている現場のドキュメンタリーな映像とその人物をスタジオに招いて話を聞く部分とで構成されている。その日は、弘前市で農薬も化学肥料も使わない自然農法によってりんごを育てることに独力で成功した木村秋則(あきのり)さん(57歳)の苦難に満ちた30年をたどり、その農法の神髄を探るという内容で、タイトルは『りんごは愛で育てる』だった。

最近は忙しいのでほとんどテレビを見ないのだが、その夜は思いがけず最後まで見てしまい、最近にない感動を味わった。

木村さんがりんごの自然農法に挑んだのは、30年前、まだ27歳の若い頃だった。夫婦で8百本もりんごの木を育てていた。りんごの木は病虫害にやられやすいので、農薬を噴霧車を使って撒布していたが、霧状になった農薬は自分にもかかってくるので、夫婦とも薬害のひどい皮膚炎に苦しんだ。

こんなことをしていたら命にかかわると思った木村さんは、自然農法の本を頼りに、農薬も化学肥料も使わないでりんごを栽培することを始めたのだ。ところが、みごとに失敗。害虫にやられたうえに病気で無残に葉が枯れてしまったのだ。2年目も3年目も失敗。3人の娘をかかえて、経済的に困窮し、まともな食事もできなくなっていた。周囲からはあざ笑う声も聞こえてきた。

5年目、木村さんは死のうと思って、岩木山に入った。森の中を進むうちに、不思議なものを見た。りんごの木が一本、葉を虫にも病気にもやられずに立っていたのだ。こういうのを「意味のある偶然」と言う。懸命に何かを求めているとまるで待っていてくれたかのように、啓示をもたらすものに奇跡的に出逢うのだ。それはりんごの木ではなかったことが後でわかるのだが、その時はなぜだと思って、周囲の土壌を調べてみた。土壌は手で掘れるくらい柔らかく、空洞になっているところもあり、雑草も木も根が実によく張っている。木を支えるのは、根だ。りんご畑の土壌は重量のある大型噴霧車の車輪で踏み固められている。雑草もない。それではりんごの木は本来の生命力を奪われているに違いない。そうだったのか。一筋の光明が見えた。

まともな弁当も持たせることのできなかった娘たちも、途中でやめたら、自分たちは何のために我慢してきたの、と言って、父親の背中を押した。
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