ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

ダーリン、入れ歯に

2012-07-21 09:13:00 | 健康・病気

ダーリンが入れ歯をつくりました。

部分入れ歯、ってやつですけどね。

それにしてもちょっと早くないか?

入れ歯につくる平均年齢っていうのは知りませんけれど、60代ぐらいじゃないの?


もともとダーリンは、そんなに歯が丈夫なほうがじゃなかったみたいで、それに加えて、日々のお手入れもよくなかったのでしょう。

少し前から、歯茎が痛む、もう限界、と言っていました。

そして「でも仕事が忙しくて、なかなか時間がとれない。」と自分に言い訳していたけれど、もうここが潮時、と腹をくくったようです。

ようやく歯医者さんに行きました。

最初に行った歯医者さんは、インプラントを行っているところのため、やたらとインプラントを勧めてきたそうです。

でも、インプラントにする気はなかったダーリンは、「保険適用の範疇での治療をお願いします。」と言ったら、とたんに不機嫌になって、

「どうしてこんなになるまで放っといたの?」

「こんなになってから来てもらっても、うちも困るんだよ。」

「保険の範疇じゃあ、たいした治療はできないよ。」

「保険でつくる入れ歯なんて絶対に合わない、って覚悟してもらっといたほうがいいからね。後で文句言わないでよ。」

とそれはそれはもう事前にエクスキューズを並べまくるもんですから、最初こそ、

「はぁ、覚悟してます。」と返事したものの、行くたびにぶつぶつと同じことばかり言うので、ダーリンも嫌気がさして歯医者を変えました。

私もインプラントにはまだまだ恐い要素が多いな~と思っていたので、ダーリンが歯医者さんを変えることには賛成でした。

少し前に歯茎に埋め込む仮の歯柱みたいなやつを使いまわしていたとかで、そこから細菌がまわり、命を落とした、という事件があったじゃないですか。

インプラントは自分の歯のようにモノを噛めるかもしれないけれど、

「成功したら自分の歯が復活したかのように過ごせます。しかし、万が一ではありますが死の危険もあります。」

なんてそんなリスク負う気ないよ。

そうしたら次の歯医者さんは良かったみたいで、初回でもうどうにもならなくなっていた虫歯を抜き、2回目で型をとり、3回目にはすぐに入れ歯が出来上がりました。

入れ歯になるといろんな不自由なことがあるのは、CMなどを見ていてもわかります。

ものの味が落ちる。

噛めないものが出てくる。

入れ歯と自分の歯茎の間にものが挟まったりすると異常に痛い。

毎日消毒だの殺菌だのお手入れをしなくてはならない。

馴れるまでは違和感がある。

まぁ、こんなくらいのことは想像がつきますよね。

しかし、実際に入れ歯をつくってみると、こんなこともあるそうです。

まず、その入れ歯に馴れるために何段階も針金の強度を変えていくんだそうです。

ダーリンの場合は、となりの歯にブリッジをかける部分入れ歯のタイプなので、そのとなりの歯にひっかける針金の強さを最初は弱いものから、3段階くらいかけてだんだん強いものにしていくんだそうです。

でも、あんまり強いものにしても健康な歯に負担がかかるからその見定めが大事なんだそうで。

大変だね。

それから、私が一番びっくりしたのはダーリンがこんなことを言ったことです。

「ゴルフのスイングのとき、今までのように力が入らない。」

なぁるほど!

そういうこともあるのか!


ゴルフに限らずスポーツでぐっと力が入るときって、奥歯をかみしめますよね。

あれって、自分の歯だから思い切りかみしめることができるんだね。

そういえば、古代からずーっと江戸時代ぐらいまで、筋骨隆々の武士や偉人など、思わぬことで命を落としている場合がありますもんね。

それが虫歯だったりする。

確か、古代ローマの皇帝かなんかのミイラが発掘されたときにも、若くして亡くなったその皇帝の死因が虫歯だったということがX線でわかった、というニュースが流れたときがあったんじゃなかったでしたっけ。

歯ってほんとうに大切です。

私も決して歯は丈夫なほうではなく、小さい頃からうんと歯医者さんには通いました。

なにせ、親の信条が「風邪はほうっておいても治るが、歯はほうっておいて治ることはない。ちょっとおかしいとおもったら、すぐに歯医者は行くべし。」だったので、小学校のときには矯正の器具をはめさせられていましたし、毎日ちゃんと歯磨きしているのに虫歯になりやすかった私は、治療痕は同じクラスの児童に比べても多かったかもしれませんが、おかげさまで今のところ、近々入れ歯のお世話になりそう、ということはありません。

最近は小学生でも20%だかが歯周病らしいですね。

食べ物が欧米化することによって、口内に存在するミュータントも新種になってきたのかしら・・

そんな年齢で歯周病になっちゃったら、60代ぐらいまで自分の歯がもつのかしら・・?

ほんと、親御さんたちは気をつけてあげなくちゃ。

年をとれば入れ歯ぐらい誰でもなるものよ~なんて甘く考えがちですが、よく考えてみてください。

私たちが自分の体の部位を失って、人工のもののお世話になりながらその後、生活を維持していく、っていうものってほかにはそんなにないですよね。

事故によって脚などを失った、という方とか人工透析を受けている方とかは別としてそういうことに遭遇しなかったら、ただ単なる体の衰えで、人工のもののお世話になるっていうのは歯ぐらいですよね。

だからつい簡単なことに考えがちですが、やはり自分のものでなくなる、っていうのは大変なことです。

みなさん、くれぐれも歯を大切にしてあげてくださいね。





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環境ホルモンのせい?

2012-07-20 09:08:00 | 社会・経済

先週の日曜日の夜、「Mr.サンデー」という宮根さんが司会の情報番組で、いじめ問題についての特集をしていました。

大津の中2の男の子が自殺したという事件については、日本中の人があまりの憤りと悲しみに襲われ、現代のいじめの実態にも触れ、日本中のエネルギーが動いたように思いました。

私もすごく多くのことを考えさせられました。まだ全然消化できていませんが・・


この番組で私がまた新たに目を見張ったのは、いじめた側の生徒のあまりの他人事ぶりでした。

番組では、今回の大津の事件のこととは別のいじめ事件で、ある生徒を数人がかりで川で溺れ死にさせそうになったことを取り上げていました。

そもそも泳げない生徒の足を押さえつけて顔を川につけたり、殴ったり・・

そしてそれを別の生徒に携帯動画で撮らせていた、と言うのです。

もがいていた生徒がぐったりして死んでしまったのか!?という段になってようやく彼らは止めた、ということです。

そして、幸いにもこの溺れかけた生徒は何とか命だけは取り留めました。


番組ではこのときのいじめた側の生徒の1人の単独インタビューに成功した、ということでこの生徒の顔も声もわからない状態にしたものを流していました。

これを見ていて私はこのいじめた側の生徒のあまりのお気楽ぶりというか、他人事ぶりに奇妙な感覚にとらわれてしまったのでした。


インタビューをしている女性のプロデューサーは、彼に出来るだけ話をして欲しいので、最初のうちこそ普通の人を相手にしているようにおだやかに話していましたが、だんだん彼女も違和感を感じてきたのか、最後のほうはちょっと詰問調になっていました。


まず、受け答えの返事があまりにも軽い。

「~なの?」とか「~ですか?」とプロデューサーが尋ねると、

「そうっす。」とか「です、です。」とかいう言い方で答えている。

そして私が一番驚愕したのは次のやりとりです。

プロデューサーが、

「で、今回の事件のあと、君たちの仲間ではもうこういうことはやめよう、というような話し合いとかしたの?」

と聞くと、

「はい、したっす。もう、これからは川へ行くのはやめよう、とか言いあいました。」

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


これにはさすがのプロデューサーも、

「えっ、そういうことじゃなくて・・」と言ってました。

まるで川に住んでいる精霊か魔物が悪さをしたかのような言い方。

川へ行きさえしなかったらこういうことは起こらなかったんだ、自分たちも被害者だと言わんばかりの口ぶり。

まったくあきれてしまいました。

それから彼のこんな言い回しも気になりました。

いろいろな質問を受けているうちに「俺が悪いって言うんですか?」となぜか逆ギレ。

そして続けて、「俺だけじゃないですからね。それを俺だけみたいな言い方されるとちょっと・・ でも、もし相手の親御さんがそうおっしゃるんなら謝るしかないでしょうね。いいっすよ。俺、謝りますよ。俺が悪いんなら、悪いでいいっすよ。そういうことにしといてくださいよ。」

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


まるで、自分の部下のチンピラがしでかしたことに俺は責任をとってやるぜ、と言わんばかりのチンピラの親分のような口調です。

いったい“自分”はどこにいるのか・・・?

私は1週間ほど前に「気付かない、ということに気付いてあげよう。」という主旨の記事をUPしましたが、この気付かなさぶりにはさすがにお手上げって感じです。

気付いていないということを優しく見守り、許してあげよう、という気にはとうていなれませんでした。


そして、ふといったい彼がオーラソーマのボトルを選んだら、どういう4本を選ぶんだろうな~と思いました。

っていうか、これまでに自分の内面を見つめたことなんてないでしょうから、選べないんじゃないでしょうか?

どれに惹かれるとか呼ばれている、という感じもわからなくて・・

そしてその選べなさに対してまた彼は、

「いいっすよ。どうしても選べ、っていうならてきとーに選びますけど? しょせんどれ選んだって何が変わるわけじゃなし。」とか言うんじゃないでしょうかね。

これまで私は2回だけ、サロンにコンサルテーションを受けるつもりでやってきたのに、選べなかったクライアントを知っています。

その人たちはおふたりともうつ病でした。

だから私はうつ病の人か、このあと自殺しよう、と考えている人でないかぎり、誰でもボトルは選べるものだ、と思っていました。

しかし、そうか。

自分の内面を見つめたことがない人っていうのは選べないかもしれないなぁ。

でも、この子のように内観をしたことがない、そういうことは考えてみたこともない、っていう人は結構世の中にいるような気がします。

そしてそういう子が、他人をいじめて、他人が「痛がったり」「苦しんだり」これを人に言おうか言わまいか「悩んだり」する様子をみて、初めて自分もほんのちょっぴり何かを感じたような気になれるんじゃないでしょうか。


いじめについては今回、大津の事件があったことによってさんざいろんなテレビ番組でもこれを取り上げ、特集を組んだりしていましたから、多少は私もいろんな角度からの考え方を知りました。

いじめをなくすためにはどうしたらいいのか?

どんなことをしたってなくなりはしないよ、という意見。

いや、みんながみんな、これは自分のことだ、と感じて真剣に取り組めば必ずなくなるはずだ、と信じなくてどうするんだ、という意見。
誰が悪いんだ?

いじめた子か? 担任か? 学校か? 教育委員会か? いや、結局は文科省だ、という意見。

そんなわけのわからない遠い地点が悪かったりするところまで広げちゃうと気持ちがついていけない。

じゃあ、うちの子は文科省が悪いから死んだのか? そうじゃないだろう、という遺族の親の意見。


ほんとに根深いものを感じました。

夕食のとき、ダーリンに

「どうしてこういう子ができるんだと思う?」と聞いたら、即座に彼は、

「環境ホルモンのせいじゃないの?」と言いました。

なるほどぉ・・・

そういう考え方もあるか。

っていうか、どこどこまでも外側の問題なのかなぁ・・

確かに私たちの若い頃にはいじめなんてなかった。

そう考えると、大量の化学物質が使われるような時代になってから起こっていることだ、と思えば確かにあのいじめた側の子の他人事のような態度も納得できるのかな・・

環境ホルモンとは「内分泌かく乱物質」のことですから、添加物をとりすぎたり、ダイオキシンが発生するような環境のなかで育つと、知らないうちに自分のなかの組成が何かかく乱され、変化し、おかしな考え方をするようになってしまうのだろうか・・

だったらなおのこと、自分が自分でありつづけられるように内観が大切な時代になっているのではないか、と思いました。

そして、自分の外側で起こっていることは、自分の内側が反映されていることに過ぎないのだ、ということを理解すること、だからこそ自分の内側をどこどこまでも責任を持って信頼することが大切なんだ、ということを彼らに感覚としてわかってほしいなぁ、と思いました。





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ひょっとして熱中症!?

2012-07-19 09:09:00 | 健康・病気

先週の日曜日、ダーリンとお友達のご夫婦とでゴルフに行きました。

天候は快晴。

気温は33℃。

風もなく絶好のゴルフ日和でした。


ゴルフのスコアのためには絶好の日和だったかもしれませんが、肉体にとってはちょいときつかったなぁ。

私はゴルフのコースに行くと、できるだけカートに乗らないようにして歩くんですが、この日はさすがに最初からはりきって飛ばすとあとあと体力がもたないかもしれない、と思って、できるだけカートに乗るようにしていました。


ハーフで1本ずつ、合計2本のポカリスエットを、喉が渇くと自覚する前にホールごとにちびちびと飲み、実際に「あ~、喉が渇いた!」と思ったことはないくらいでした。


そうして、ホールアウトして、お風呂に入って出てきてから、無性に喉が渇き始めました。

お風呂場の脱衣場に設置してあった給水機からいっきに3杯もおかわりして水を飲んだくらいでした。


さらに、「さ、帰ろうか。」とダーリンと車に乗り込んでからも、

「わたし、喉が渇いてしょうがないから、ちょっと自販機の前でとめて。」と言ってダイエットコーラとジャスミン茶を買い、家に帰りつくまでのわずか1時間ほどの間に飲んでしまいました。


でも、それでもゴルフに行った日というのは大体こんなものでして、何もこの日が特別、という意識があったわけではありませんでした。

プレー中は気を使ってちゃんと水分補給にいそしんでいる、という意識はある。

そしてそれほどには喉が渇いた、という感覚もない。

しかし、なぜかホールアウトしてお風呂に入ったあとからが無性に喉が渇くんです。

プレー中もほんとはもっと乾いているんだけど、プレーに集中してるからそうは思ってないだけなのかな~(プレーに集中、という言葉を使うのが恥ずかしいようなスコアですけど・・)

さて、そうして家に帰り着くとたいてい夕食の時間なので、いつも「どうする?何食べる?」ということになります。

私たち夫婦が一緒にゴルフに行くというのはたいていダーリンが休める日曜日。

日曜日は私はご飯づくりの家事から解放してもらうことにしているので、作らないんです。

だから「どうする?」というのは、「どこに食べに行く?」という相談の意味なんですね。


そしていつもだったら、「う~ん、中華の気分。」とか「おすし」とか言いあったりして、近所で外食するんですが、この日はどんな食べ物を思い浮かべてもピンとこなくて「なんかわたし、そんなに食べられそうにもない。」と言いました。

確かにゴルフコースに行くと、大量に水分を摂取するせいか、お腹ががばがばでぼよ~んとした感じになってしまい、すかっとお腹がすかないんですよね。

それでも何か食べ物を思い浮かべるとそれはそれで食べられそう、と食欲だけはわいてくるので何かしら食べに行っていたんですが、この日はどうにも食べに行く気にはなれない。

「へ~、珍しいな。」と言われながら、コンビニでサラダと惣菜のおつまみをちょいちょいと買って帰り、家で食べることにしました。

喉が渇いているので、ビールはおいしく飲みました。

そして普段の日だったら、それで寝ちゃうんですが、アルコールを摂取するとよりそれ以上に体から水分が奪われているはずなので、この日はそれも意識して、缶ビールを2本飲んだあとには意識してミネラルウォーターやお茶もまた飲みました。

そんなこんなで夕食のあとはたいていうだうだとテレビを見ているうちにダーリンはうとうととリビングで寝てしまい、1時間かそこいら経った頃をみはからって私が「寝るならちゃんとベッドで寝なさいよ。」といったん起こし、寝室に誘導する、ということで1日が終わるんですが、なぜかこの日はダーリンは眠くならないみたいでいつまでもテレビを見たり、パソコンをいじったりしていました。

普通ならゴルフに行った日は心地よく体が疲れているので、いつもより早めに寝てしまうはずなのに。

私もなぜか全然眠くなりません。

12時を過ぎ、「いくらなんでももう寝ようか。」と眠くもないのに、ベッドに横になったら眠くなるかもしれない、と横たわってみました。

しかし、いっこうに眠くならない。

しかもいつもなら、部屋を冷やしておいて「あ~、気持ちいい。」と第一声が出るエアコンの冷えが気持ち悪くて仕方がない。

体の表面は火照っているんです。

いくらSPF値の高い日焼け止めを塗っているとはいえ、顔なんてぽっぽするし、手のひらで触ってみても炎症を起こしているっぽく熱を持っている。

しかし、エアコンが効いた部屋にいるとやっぱり体の芯はすぐに冷える感じ。

いつもなら最初だけつけておいて、すぐに切って眠るんですが、この日は消したら消したで暑くて寝られないし、つけておくと風邪をひいて悪寒がするときのように何だかぞくぞくする。

そうして目は異常に冴える・・


やはり、隣で寝つけないダーリンがポツリと言いました。

「なぁ、これって俺ら、軽い熱中症にすでにかかってるんじゃないのか。」

ひえっ! 

あー、そうか・・

でも、ひょっとしたらそうなのかも。


この前もテレビで見ていたばかりでした。

20代にとっての気温35℃は、60歳にとっての40℃に匹敵する、って。

さすがに60歳にはまだ何年もあるけれど、20代か60代かどっちに近いかって言われたら圧倒的に60歳のほうに近いわけだから、今日の気温は私たち夫婦にとっては気温40℃に匹敵する体力の消耗があったのかも。


しっかしなぁ。

私の若い頃には熱中症(その頃は熱中症とも言いませんでしたが)になんてよほどのことがないとかからなかったけどなぁ。

いくら環境が変化しているからとはいえ、人間、弱っちくなっちゃってるのかなぁ。

部活なんかでは途中で水なんて飲ませてもらえないのが当たり前だったし。


そして、今日の1日を振り返ってみて、ではあれ以上に気をつけて水分が補給できたか、というと、完璧だったと思うんだけど。

あれ以上には気をつけようがないと思うんだよねぇ。

それでも、かかっちゃうときにはかかっちゃうのかなぁ。

お年寄りだと部屋のなかにいてもかかっちゃうときがあるっていうし。

やっぱり、基礎体力つけるしかしょうがないのかもね。


悶々とそんなことを思いながら、猫と遊びながら夜中まで起きてました。

猫は必ず人間が起きていると、遊びにやってきます。

まぁ、彼らは日中好きなときに眠れるからいいんだろうけど、眠くないのかなぁ。

眠さより人間と遊びたがるなんて猫っていうより犬みたいだね。





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目は口ほどにモノを言う

2012-07-18 09:10:00 | 社会・経済

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        今月の新月は明日、19日 13:24 です。

    今月も願いがかないやすいという新月のときに

    一緒に祈りませんか

    今月は、大津のいじめ事件などに象徴されるような

    人が人の心を失っていることに対して、本来の心を

    取り戻し誰もが自分の問題として受けとめられますように、

    ということと、九州を中心とした大雨で被害を受けられた

    方々が1日も早く元の生活を送ることができますように、と

    いうことをメインにお祈りしたいと思います。

    一緒に祈ってくださる、という方は、いつものようにコメント欄

    にメッセージをください。

    その方をより感じながら、あわせて幸せをお祈りしたいと

    思います。

    私は、明日東京へオーラソーマの講座を受けに行っているため、

    13:24には祈れませんが、新月の影響がもっとも強い、と

    言われている8時間以内にはホテルに帰り、祈りの時間を持ちたい

    と思っています。


***********************************

決して気持ちのいい話題でないことはじゅうじゅうに承知しているのですが、今日もまた秋葉原殺人事件のことにお付き合いください。


昨日、私が何を言いたかったかと言うと・・・

彼のしたことは決して許されることではありませんが、いったん「秋葉原に突っ込む」と決めたあとの描写は、私には非常によく説明できている、と思えたのです。


誰でも、何かを「やる」と決めたとき(それがいいことでも悪いことでも)、いったん決めてしまったことなのに、実際にそれを行動に移すときには相当なエネルギーを要すると思います。

(いいのか、ほんとうにいいのか。)と(今なら踏みとどまれるぞ。)というような思いと戦います。

そういうとき、人はほんのちょっとしたサインを自分にとってGOがかかった、と思い込んだり、STOPと天から言われたんだ、と思い込んだりして踏みとどまったりするのでしょう。

GO
STOPか、結果は天と地ほどに違いますが、そのわけ目となったのはほんの些細なことで、しかし、それは確実に自分のなかに潜んでいる、もう決めていた何かとそれが波長が合ったからなのです。

人は信じたいものを信じる。

だからこそ、自分がどうしても秋葉原に突っ込む、と決めていたのだとしたら、そちらに傾くようなサインだと受け取ってしまうんでしょう。

しかし、私は1つ、手記のなかで目を見張る部分がありました。

被告は5回もうろうろとトラックで秋葉原の交差点付近を回っていた、と言いましたが、その最初のとき、「よし! 行こう!」と自分にGOをかけたときがあったそうです。

しかし、そのときは、その瞬間にたまたま自分の目の前を向こう側から歩いてきた通行人とばっちり目があってしまった。

もちろん、被告はトラックのハンドルを握っているときですから、車のガラス越しにですけれど。


そうしたら、その瞬間、その通行人の目が、ものすごく驚いた様子で、「どうして? どうして私なの? 許して。やめて。」と懇願し、語っていた、というのです。

それに被告はひるみ、そこで突入するのを思いとどまりました。

そうして、ずっと思いとどまってくれたらよかったのに・・・


私たちは通常運転しているとき、たとえ車であっても、ドライバーの意志を反映して、ちょっとした車の動きに悪意を感じたり、ゆったりしてリラックスしたものを感じたりします。

普通に道を運転していて、隣の車線の車に言うに言えないかすかな動きから、(あ、この車、こっちの車線に入ってきたがってるな。)と思っているということがわかることがよくありますもんね。

このとき被告は「よし! 突っ込もう」と思っていたわけですから、ちょっとした車の動きにその意志が表れていたと思われます。

それに対して、ほんの0.何秒の間に、前を行く通行人は、

「わたしを轢こうとしているの?」

「だとしたらどうして? どうしてあなたのことをしらない私なの?」

「いや、私はそんなの嫌。まだ死にたくない。」

「轢かないで。やめて。」

「お願いします。助けてください。」

    ・・とまぁ、これだけのことを訴えているわけです。それも目だけで。

そして被告もそのメッセージをちゃんと受け取っている。

これってすごくないですか?

まさに目は口ほどにモノを言う、ですね。


でも、じゃあ本当に目が口ほどにモノを言っているのか、といったらそんなはずはありません。

目は心を映し出している窓なだけで、その人が一瞬にして思った潜在意識が目に表れている、ということでしょう。

この通行人の人だって、ほんの0.何秒という一瞬のうちにそれだけの言葉を確かに脳で考えている、ということはないでしょう。


私たちは普段、考えていることのほんの何十分の1か何万分の1かがようやく言葉になるそうです。

実際はもっともっといろんなことが頭の中では浮かんでは消え、浮かんでは消え、しているわけですね。

それは顕在意識にはのぼってこない潜在意識のかたちにならない言葉たちだ、ということができるかもしれません。

でも、目はそれらの言葉にならなかった潜在意識をすべて完璧に演じることができるのですね。

しかも、間違いなくその意味を相手に伝える伝達能力もある。

すごい!

よく目だけで演技ができる役者はうまい役者だ、といったりしますが、それはつまり、言葉にならない潜在意識下にある思いをいかに人に伝達することができる人かどうか、ということなんですね。

そして、誰でもいざ、というときは国宝級にうまい役者にひけをとらないだけのことができるんですね。

また、受け取るほうも実際に言葉で伝達されるよりも、直接潜在意識下にズキューンと弾を打ち込まれるような感じで、目で伝えられたことにはすごく強い意志やこめられた思いを見るんじゃないでしょうか。

だから、被告は手記でつづっていますが、その後は人と目合わせないようにした、と書いています。

彼はトラックで5人を跳ね飛ばしたあと、14人の人を次々にナイフで襲ったのですが、その14人を襲うときには意図的に目を見ないようにした、と言っているのです。

そのようにして、大量の人を傷つけながら、自分が傷つけたことを覚えている人の顔はたった3人だと言います。

被告がもっとまともに目を合わせようとしていたら、これだけの殺人を犯すことはできなかったでしょうね。


重ねて言いますが、彼のしたことは決して許されることではありませんし、被害者の方がたのことを思うと面白半分にみえるような記事を書くべきではなかったかもしれません。

ただ私は今は、事件そのものに触れる、とか深く洞察してみたい、ということではなくて、被告が書いた手記で、「目を合わせた人がこう訴えていたからそのときはやめた。」という供述があまりにも印象的で、人が目でものを語る力、潜在意識の伝達の力、というもののものすごさに改めて人に無限の可能性を感じ、それについてだけ触れたかったのです。


事件関係者の方々の心の傷が少しでも癒えますようにお祈り申し上げます。






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悪魔の囁き

2012-07-17 09:15:00 | 社会・経済

少し前に4年前に秋葉原殺人事件を犯した被告が「解」という本を書いた、ということでその内容の一部をテレビで伝えていました。

秋葉原通り魔事件・・・

覚えていますか?

っていうより、私にはまだ昨日のことのように思えます。

もうあれから4年も経っていたなんて、びっくりです。

せいぜい1年ちょっと前くらいの感覚でした。

あとの私の3年はどこへ行ってしまったんでしょう?と言いたいくらいです。


ま、それはいいですが。

私はこの被告が無差別に「誰でもよかった」と言って殺人を犯す犯人のなかでは、最初からちょっと異色に思えていました。

というのは、たいていこういう罪もない見知らぬ行きずりの人を巻き込もう、とする犯人というのは、「事件を犯して、死刑になりたかった。」と言いますよね。

これがまず私にはさっぱり理解できない。


もちろん、社会に憤りを感じたことがある、ということから殺人を犯す、という行為までには天と地ほどの開きがありますから、もともと殺人犯の心理は理解できなくて当たり前なのかもしれませんが、それにしても、まったく意味がわからない。

死にたけりゃ、勝手に死ねばいいじゃありませんか。

それをどうして、人を殺して死刑になる、という1クッションかます必要があるのか? 

自分で自殺する勇気はないから、悪いことをして他の人に自分を殺してもらいたい、という心理だというなら、そのために罪もない赤の他人を殺すという勇気(これを勇気と言っていいのかどうか・・)ならある、というのがこれまたわからない。

そしてこの秋葉原の被告には、そういう犯人の心理とはちょっと一線を画したものを感じていたのでした。

よく言えば、もともとはごく普通の常識の持ち主で、何かの歯車が狂ってしまったがゆえにここまでの事件を起こしてしまったけれど、自分が死にたかったわけでも、人を殺したかったわけでもない人間に違いない、という感じを受けていたのです。

その私の感覚は当たっていました。

その手記には、被告が「僕は死にたかったわけではないし、人を殺したかったわけでもない。」ということがちゃんと書かれてあったのです。

では何が被告をあそこまでの連続殺人に駆り立ててしまったのか?


その理由は非常に幼稚なものでした。

会社を同僚の嫌がらせにあって嫌気がさして辞め、ネットの書き込みだけが自分の本当に居るべき場所、家族のように感じていたところ、その自分に成りすました輩があることないこと書き立てたから、そのやり場のない怒りのために殺人に走った、というのです。


理由はちゃちなものだし、とうていそれくらいのことで殺人に走る、ということが理解できるわけではありません。

理解する必要もないかもしれません。

けれど、番組で紹介されていた被告の文章からは、あぁ、ここで止めることもできたかもしれないのに、こういうサインがあったから殺人にGOがかかったのか、という情景描写が実に淡々と他人事のように描かれていました。

例えば私たちでも、出かけようとするときにプツンと靴紐が切れたとしたら、「やだ~。なんか今日は出掛けないほうがいいってことかしら?」と考えたりしますよね。

でも、そういう風に思うってことは、何か自分の心の中に気が進まないことがあって、その部分と靴紐が切れたことが波長を合わせるからそう思うんですよね。

これがもし、大好きなアーティストのコンサートに行くときだったりしたら、こんなことぐらいで出掛けるのをやめたほうがいいってことかしら?なんて思いませんもん。

秋葉原の被告は、えっ、いちいちそんなことをそういう風に受け取っちゃったの?とどんどん自分を追い込んでいったようなところがあります。

どういう風に受け止めるかはその人の心の中にあるものを映し出しているんですよね。

しかしいずれにしても私たちは、自分の身になにかふりかかったり、思わぬことが起きたとき、「でも、これって自分にとっては何か学びがあるのかも。」と考えようとします。

事実、今回私はイギリスに行けなかったですが、それを決して「だからこれは私がティーチャーになるべきではない、ってことなんだ。」というようには受け止めていません。

私は、そのときB61「サナトクマラ&レディヴィーナスクマラ」とワークしていましたが、この上部がペールピンク、下部がペールイエローのボトルのシェイクカラーはペールコーラルです。

コーラルのテーマは、「分かち合う」ということです。

私がイギリスに行けなかった、ということを知った多くの友人からはそれはそれは温かいメッセージをいっぱいもらいました。

「あら、大変だったわね。」ぐらいのことを言われるかな、とは思っていましたが、友人たちの思いやりはそんなものではありませんでした。

1つ1つが本当に親身になってくれて、自分のことのように毎日毎日お祈りしてくれた人もいますし、「何か出来ることがあったらいつでも言ってね。」と言ってくれた人もいます。

そんな胸が熱くなるような温かいメッセージに触れているうちに、私は自分のなかで「オーラソーマのティーチャーになりたい。」と思ってきた気持ちのあり方が変わってくるのを感じました。


以前は、ただオーラソーマをもっと知ってほしいから、教えることが好きだから、自分にはティーチャーになる使命があるように感じたから、ということでした。

ひたすら「私が、私が」だったわけですね。

しかし、この友人達のメッセージに触れているうちに私はだんだん、「この温かい気持ちを私は誰かに返したい。そのためにティーチャーになりたいのだ。」と思うようになったのです。

人との関係性のなかで、その温かさに触れたことによって、また次代にそれを受け継ぎたい、という気持ち。

それが、私がB61「サナトクマラ&レディヴィーナスクマラ」とワークしたことによる気付きだったと思います。

さて、普通に生きている人間、あるいはもっともっとポジティブに生きている人であれば、このように自分の身に起きたことを学びとして生かしていこう、と思って日々生きているわけですが、この秋葉原殺人事件の被告は、その逆にわざわざちょっとしたサインを自分自身を殺人へと駆り立てるGOサインだと思って突っ走ってしまったのです。


例えば、彼は、トラックで秋葉原の交差点に突っ込む前に、5回も同じ通りをうろうろとしています。

その間、彼は逡巡していたんです。

そして5回目の交差点に差し掛かり、ふいに右折車が割り込むようにして自分のトラックの前に来たとき、一瞬ですが、彼は、「あぁ、この車が割り込んでくれてよかった。これで今回も俺は突っ込まずに済む。」と思っているのです。

しかし、その右折車の横をふと見やると、その右折車をさらに右から追い越して前に出られるスペースがあることに気付きます。

そこで、悪魔が囁きます。

(さぁ、ここ通って突っ込めるじゃないか。)と。

そういう風に受け取ってしまうのですね。


さらには、何人かを跳ね飛ばしてすぐにトラックを停車させざるをえなくなったとき、そこで止めるかと思うと、彼の中の悪魔がまた囁きます。

(ナイフ持ってただろう? そのために買ったんじゃなかったのか。車が使えなくなったら、今度はナイフだ。)と。


こんな感じで、これは自分が犯したことじゃなくて、悪魔に囁かれたんだ、と彼が手記で書いているわけではありません。

でも私には1つ1つ、悪いものと波長を合わせていくと、こういうことになるのか~というように受け取れました。

どこに波長を合わせるかで、とんでもなく人生が狂ってしまうことがありますね。

だからこそ、人間にはある程度の楽観的な観念が必要なんだ、と思います。





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