ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

そのときの気分を味わい尽くす

2012-07-08 09:04:00 | 身辺雑事

今回イギリスに行けなくなって一番悔しかったときは(まだ、その話題かよ、って声が聞こえてきそうですが・・ すみません。これで最後です。)、やれやれ、とトランクに詰めた荷物をほどいて片付けなければならなかったときですね。

着替えなんぞは別にちゃっちゃっと洋服ダンスや棚に戻すだけのことで何の感慨もありませんでしたが、例えばドライヤー。

あぁ、これ変圧器なしでいける海外対応のやつ、買ったんだったな・・

ワット数でいうとものたりないから家でなんて使わないけれど、3回イギリス行くならまぁいいか、と思って買ったんだよなぁ、とか。
チャクラウォークでファームに行くときのための長靴。

これも普段家で長靴なんて必要としないし、荷物も重くなるからと思ってガーデニングやるときのくるぶしまでの丈のゴム靴にしたんだっけな。

でもうちはベランダ菜園だし、どのみちこれもつぶしがきかないよなぁ、とか。
そもそも3回イギリスに行くなら多少はマイクの話すことも通訳なしで聞き取れるようになると楽しいだろうなぁ、と思って初めたスピードラーニングとか。

ダーリンと海外と日本でも連絡が取れるように、と買ったiPadとか。


全部、全部、私はちゃあ~んと長期戦で、3回にわたって行くつもりだったから買ったものだったよなぁ、と思うとそれらのモノを見ているとじわ~んと胸にこみ上げてくるものがありました。

これがたった1回で、次なんてないぞ、ということであれば買っただろうか、と思うとドライヤー1つにしたところが私はショートヘアだから、よぉくタオルドライしてたらどうってことないでしょ、ドライヤーなんてなくたって、と買わなかったに違いない。

ゴム長もスピードラーニングもiPadもみんな1回のためだけだったら、買わなかったに違いない。

そう考えると、1回目にイギリスに行ったときにはさんざホームシックに陥ってうだうだと落ち込んでいたのに、ちゃんと私は3回こなすためのものを最初から用意していた。

なんだ、私ってヤル気満々だったんだな、と思うとその頃の自分がものすごーく遠い昔のことのような気がしてきて、そしてとても愛おしいものに思えてきて、思わず涙がこみ上げてきそうになりました。

そして、こんなことを思うなんて何か私は後悔しているんだろうか?とふと考えました。

たぶん、多少感傷的になっているだけで後悔なんかはしていない。

だって、選択の余地があった話じゃないし。

あぁ、あっちの道を選べばよかったな、ということであれば後悔ということもあるかもしれないけれど、そんなものはなかったのだから後悔もしていない、と思うんですが、なんでこんなことを思うんだろう?と考えていたら、思い当たりました。


たぶん、人間てそのときの気持ちをまだ味わいきっていない、と思うと振り返ってもじんわりと味わい切りたいんですね。

あのとき空港で私は連絡を受けたとたん、すぐに秒殺とも思える速さで気持ちを切り替えました。

よし、仕方がない。

イギリスなんて行けなくなったってどうってことない。

これで道がすべて閉ざされたわけでもない。

もともと時差のある遠い土地へ行くことは好きじゃなかったじゃないか。

すべてに「そうですよ~」という自分のYESで寸座に「イギリスに行く」という方向に向いていた気持ちに眼の前で「閉店、がらがら~」という感じでシャッターを下ろしたのでした。

それで自分は気持ちの切り替えも立ち直りも早い、と思っていました。

けれど、こうしてイギリスに3回行くために買ったモノたちを片付けたり、改めて眺めたりしているとそれを買ったときのいろんな気持ちが交錯してきてしまったのでした。

それらに込めた気持ちを味わいきっていなかったんだな、と思いました。

ほんとにここ数ヶ月、ティーチャーになるために頑張ってきたよな。

寝る間を惜しんで課題をやっつけたり、ダーリンや猫たちに迷惑をかけながらも連泊で家を空けたり・・

いろんな講座を受けて、そのたびに気持ちを新たにして・・

デヴ・オーラには一度は行ってもいい、とは思っていたけれど、1年に3回も行くことになろうとは・・

これが日本で行われるコースだったらな~ もっと気楽に飛びついて応募してただろうな~ それは誰でもそうか・・ 私は試されていたのかな。

それでも来るか、それでもやるのか、って。

そのようにしてためらう気持ちと戦いながら、それでも結果的に私が準備したものには寸分の迷いもなく、「行く」「やる」と決めたものたちばかりで・・

それを思うと改めて自分が愛おしくなってきてしまったのでした。

そして気づきました。

よく過去の自分を癒さなくてはいけない、って言いますよね。

なぜ「過去を振り返ってまでも癒さなくてはならないのか?」という記事を1ヶ月ほど前だったかにUPしたこともあります。

そのときには、そもそもがお母さんから生まれてくる、という最初の記憶がへその緒を切り離されることだから、私たちは何かから切り離されて何か足りない、という欠乏感で生きているのだ、それは不幸なことだから癒さなくては、みたいなことを書きました。

しかし、自分が今回体験したことで感じること、体験しなければ感じなかったであろうことを今自分が感じられていること、でまたその記事に加筆したい感じです。

私たちというのは何かが起こったとき、その瞬間にすべての味わうべき気持ちは体験できていない、と。

だからこそ、後になってすでにそのことにこだわらなくなってから、もう一度、そのときに戻ってみて、いろんな気分を味わい尽くす、つまり体験しつくす、ということが大切なのでは、ということです。


私たちは何であれ、神から「いろんなことを体験して、心を動かされなさい。」と命をうけた存在です。

だから感情を体験しつくさないことには、後悔を残してしまう生命体なのだ、と理屈抜きで思います。

それを時に「後悔」と呼んだり、「感傷」だと呼ぶのであれば、それでいいじゃないですか。

おおいに後悔して、おおいに感傷にふけって、そのあとはさっぱりしましょうよ。


あー、私はこの数日でいろんなことを体験できたなぁ。

幸せ者です。





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