ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

街をぶらぶらの大切さ

2012-07-26 09:04:00 | まち歩き

AEOSで3日間、駒沢の「IRIDESSENCE」さんに通いました。

ここはどこの駅からでも必ずさらにバスを利用することになります。

私は今回五反田のホテルをとっていたので、恵比寿まで山手線で行き、そこからバスに乗りました。

帰りももちろん、この逆ですね。

そして、初日の行くときと、最後の日の帰るときだけ、ほんのちょっぴりですが、品川から新幹線に乗るより新横浜まで出たほうが時間的に早かったので、初日のときは自由が丘からバスで、帰りは駒沢から自由が丘にバスで行きました。


バスに乗っている間は、ぼーっと窓から東京の景色をながめていました。

私はだいたいほかの街に行ったときは、風光明媚な緑などの景色を眺めるより、市井の人の暮らしぶりがうかがえるような、ふつーの商店街とか町並みを見ているほうが好きです。

そうして恵比寿←→駒沢、自由が丘←→駒沢の景色を見ていて、つくづく思ったことがあります。

東京はこじんまりとした店が多くて、それぞれがちゃあ~んと経営が成り立っている感があっていいな~っていうこと。

東京に限らず、都会の方は変なこと言ってんな~ こいつ、意味わかんない、とお思いでしょうね。

もう少しちゃんとご説明しますね。

わたしの住んでいる町、岐阜とか地方都市というのは、ドーナツ化現象が激しいんです。

その一番の市街地という場所での商店街がどんどんさびれていく。

その理由は、郊外のスーパーの大型化です。

地方都市ほど都会より公共交通機関が発達していないため、マイカーでの移動が多くなります。

そうしたら市街地の商店街にマイカーでやってきて、「○千円以上お買い上げで30分駐車無料券」なんてものをもらい、駐車時間と駐車料金と首っ引きで時間を気にしながらショッピングしたり、街中に点在する民間の駐車場に並んで入ったりしなくても、広い無料の平地での駐車場が完備されている郊外のスーパーのほうがいい、ということになるんです。


そのようにして、みんながみんな、休日ともなれば郊外の大型ショッピングセンターに出掛けてしまえば、街中は閑散としたものになってしまいます。

その格差はどんどん広がり、経営が立ち行かなくなった店は閉め、ところどころ閉まっている店がある商店街なんか魅力がないので、余計に人は減り・・

こうして富む郊外の大手チェーンストアはよけいに富み、さびれゆく商店街はよけいにさびれてシャッター通り化します。


こうした現象に対して、「商店街、頑張ろう!」という動きも時々見受けます。

けれど、根本的に自分がお客の立場だったらやっぱり郊外の大型ショッピングセンターへ行って、そこで何もかも揃う、っていうほうが便利でいいよなぁ、なんて思っているうちは絶対に商店街が元の活気を取り戻すことなんてないんだ、と私は思います。

ちょっと話がそれますが、今、我が街 柳ヶ瀬では、空き家になっている店舗を利用して、お化け屋敷をやっていて連日盛況だといいます。

何でも岐阜がそのむかし話題になった“口裂け女”発祥の地だということにひっかけた企画なんだそうな。

・・・せっかくの企画にケチをつけるつもりはないんだけど、なんだか頑張る方向が違うような気がして仕方がない。


そんな私がぼーっと東京の街をバスの窓から見ていると、それぞれの町に根付く商店街や小さなお店がほんとにちゃんとその町に根付いているようでいいなぁ、と思います。

小さな洋服屋さん。

小さな花屋さん。

小さな八百屋さん、お惣菜屋さん。

みんなみんないい感じ。

そこに住んでいる人たちに本当に利用されて愛されている、っていう感じが窓から見ているだけでわかる。

地元の人たちに利用されずに、外からだけ人を呼ぼうったって、それは無理。

それがよぉくわかった。(感覚的にだけど)

地元民に愛されてこそ、「お、なんかあそこの商店街いい感じ」と初めてよそからの人だって呼べるんだよなぁ。

自由が丘なんて平日にバスで通ったときは、ちょっと小じゃれた郊外の雰囲気で、地元民が自分のお気に入りの店、ひいきの店があるんだろうな~って感じだったけど、土日となるとなんじゃこれは!というくらいうじゃうじゃと人がいて、ほかからの町の人たちがやってくる。

でもそのほかからやってきた人たちは、“地元に愛されている自由が丘”の雰囲気が好きで、休日だけ自分達はそこにちょっとお邪魔させてもらっている、っていう感じが漂っている。


郊外のスーパーにそんな感じがあるはずもない。

たとえば岐阜にあるイオンよりお隣の各務原市にあるイオンのほうが大きいからそっちへ行こう~となったときに、岐阜市民ははたして「各務原市にお邪魔しにきています。」という感覚があるだろうか?

あるはずがない。

そういう感覚を培うような商業施設じゃないんだから。

ただただ日本全国どこへいっても金太郎飴のようなチェーンストアなんだから。


こういうことも、ひょっとすると今の子ども達が育つ環境としてはよろしくないのかもしれない。

礼儀とかコミュニケーションとか人との間に起こるいろんな感情を経験することがふつーに買い物に行くだけとかでは何もないもんね。

昔の商店街のなかで育つとあったんだけどな。

商業施設にかぎらず、なんでも物事というのは中央集中(あるいは集権)と拡散との繰り返しです。

それを今まで、「東京」と「地方」という関係性のなかで考えてきました。

けれど、そうじゃないなぁ。

むしろその町がその町らしく生き残っていく、ということでは東京のほうが、「中央集中」ではなくて、いろんな拡散をしながら生き残っていくなぁ。


小さな洋服屋さんだって、外のショーウィンドウからちらりと覗く、中のだいたいの在庫量で、ちゃんと在庫回っているんだな、っていう感じがわかる。

それにライ麦だけを使ったパン屋さんとか、チョコレートだけの専門店とか盆栽だけの植木屋さんとか、カテゴリーを絞り込んだ専門店が成り立つ、というのも東京の特徴ですね~

恵比寿の駅前にあるパーラー(パチンコ屋さん)を見て、驚きましたもんね。

「へ? こんな小さなビルのこんな小さな入り口がパーラーだったのか!?」って。

岐阜なら絶対にすぐにつぶれます・・

そしてバスで行くときに見かけたオートバックス。

車の専門大店でこんな小さなオートバックス初めて見た・・

感動モンだったわ・・(いや、バカにしてんじゃないですよ。マジ、これで東京は成り立つんだ~という感動です。)


私はぼーっとバスの窓から見ていてこんなことを感じたんですが、1度、地方の議員さんも、東京へ行ってみるといいですよ。

もちろん、よく行ってみえるとは思いますが、それはたぶん、最初から目的地があり、そことだけの往復の生活でしょう。

あるいは“視察”という名目に名を借りたお遊び旅行・・?(あ、こりゃまた失礼。言葉がすぎましたかしらん。)

そうじゃなくて、ゆとりをもって、一度ふつうの東京の下町の商店街のなかをぶらぶら歩いてみるとか。

そういうなかで感じることが必ずあると思います。

ぶらぶら街歩き、大切ですね。





メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。

そこに直接「予約フォーム」に入れる表記があります。

ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」をクリックしていただきますと、最新の「営業案内」を見ることができます。

ご予約はメールにて受け付けております。

「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)


改めてAEOSの素晴らしさをお伝えします

2012-07-25 09:11:00 | オーラソーマ

********************************


新メニュー  8/1~


AEOS ホリスティック フェイシャルトリートメント

    その全貌は近日大公開! 乞うご期待!

********************************

さて、今日は改めてAEOSの素晴らしさについて語りたいと思います。

よく肌が変わると人生観まで変わった、とかインナービューティとか、ノーファンデでいられるようになったら素晴らしいよね、とか言いますが、私はそんなものすべて信じてはいませんでした。
いや、正確に言うと、私には無縁のこと、と思っていました。

確かにトラブル肌・・ 例えばニキビだらけで人前に出たくない、人の目が気になって人の目を見て話ができない、などという方がノーマルなお肌になれたらそれは人生変わった、とまで言える気持ちになるのはわかります。

逆に言うと、そういう激しい体験でもないと肌のことで人生が変わるなんてありえない、と私は思っていたのです。

私自身はすっぴんだと赤ら顔なんです。

でもそれが病的か、というとそこまでではない気もするし・・

お化粧すると、比較的薄いカバー力しかないファンデーションを塗ってもまぁまぁ隠れて、そんなふうには見えないのでそれも私から真剣さを奪っていたかもしれませんね。

父がそんな肌質なので私も似ちゃったんだわ、とあきらめていました。

カバーするメイクの第一人者で知られるカヅキレイコさんの著書を読んだとき、彼女はその昔心臓病でそのせいでやはり私と同じく赤ら顔だったのだけれど、そういうときにはグリーンのコンシーラーを使うといい、と耳タコで言われそうしていたけれど、イマイチ隠れない。

そこで自分でグリーンじゃないんじゃないのか?と疑問をいだき、開発したのがイエロー。

これがカズキメイクの売りとなりました。

そして私も実は小さいときには心臓が悪くて、体育の授業は全キャンセルだったくらいなので、あぁ、やっぱり心臓が悪いとどうしても赤ら顔になるんだ、と仕方のないことだと思っていたのでした。

そしてスキンケアに対してはまた、私は強固な思い込みがありました。

それは健康なお肌とは、水分量と皮脂量のバランスのとれたお肌のことですが、皮脂についてはけっこう年齢を重ねても自分に必要なぶんというのは出ているので、水分のほうをせっせと補わなくてはならない、と思っていたのです。

「思っていたのです・・」ってまぁ、それを間違いでした、と決め付けることもないと思いますが、要はその人に合ったお手入れが一番で、なんでも頑固な決め付けや思い込みはいけない、ってことです。

事実、半年ぐらい前ですか、ちょっとあるブランドでスキンチェックを受けたのですが、そのとき私は水分量も皮脂量も両方とも年齢の平均値より低く、なかでも特に低いのは水分量より皮脂量でした。

そんな私がずっとせっせとお手入れしていたのは、Dr.シーラボみたいな水分中心のオンリーワンジェル。

これを大量に塗布する。

すると肌の上はべたべたになりますが、それでもお構いなしにベタベタを通していました。


しかし、AEOSのお手入れにすると実にこの水分量と皮脂量がちょうどバランスよく、その人にとって必要な分が肌に入っていく、っていう感じがするんですね。

ご存知な方はご存知ですが(当たり前か)、AEOSのお手入れ法というのはちょっと変わっていて、肌の上に水分を切らさないような状態で、次々とアイテムを使っていきます。

洗顔後、顔が濡れている状態で、どんどん次、次、と使っていくんですが、最後のモイスチャライザーを使ったときにはちょうど水分が顔の上からなくなっていました、といううまい具合に出来ています。

そうするとお肌もっちり。(決してベタベタではありません。)

最初に遠藤友里先生にお会いしたとき、その肌のきれいさにびっくりしました。

もちろん、私よりずっとお若いから、ということもありますが、私はその年齢の頃、そんなきれいじゃなかったぞ、と思いました。

そして内心で、(いいなぁ、これくらい肌がきれいだとファンデーションのノリもよくって、ピタッとくっついてよれない感じだし。)と思ってみていると、なんと、友里先生は、ノーファンデなんだそうです。

それにまたびっくり!

クリスタルジェミーでおなじみの中島香里が「わたしはずっとすっぴん」と言ったって、(そんな自慢しなくても、それは見ればわかりますよ。)と思いますが、友里先生のは言われても嘘でしょー!と言いたくなる。

結局、「すっぴんの割りにはきれい。」では納得できませんもんね。

「それで、すっぴんなのぉ! ファンデーション塗っているよりむしろきれいじゃん。」じゃないと。


そんな友里先生ですが、実はアトピー肌でずっと化粧品には悩んできたんだとか。

最初にマイクから「AEOSやらないか。」と持ちかけられたときも、

「無理無理。私はアトピーだから、ほんとうに自分に合ったものしか使わないし、今使っているものを変える気もないし。」と断ったぐらいなんだそうで。

わからないものですね~


それが今では、「明日またこのAEOSが使えるんだ、って思うと眠るときにわくわくしちゃって、早く明日にならないかな、って思う。」ですって。

私たちはこういう純真さを忘れてはいけませんね。

確かに子どもの頃は、新しい洋服を明日お出かけで着る、というとき。

はたまた新しい靴を明日はおろすんだ、っていうとき。

わくわくして早く明日にならないかな~って思ったことってありますよね。

そこまでのモノに対するワクワク感、わたくし、最近失くしておりました・・

最初にお手入れの練習ですっぴんになったとき、友里先生にやはり、

「あれ? その赤いのはどうして?」と赤ら顔のことを言われました。

そして先述のように、父もそうだし、昔からそうだからそういうものなんだ、ってあきらめてる、ひょっとしたらカズキレイコさんと同じように心臓のせいかも、って同じコトを言いました。

すると、じーっと私の肌をみつめていた友里先生は、一言、

「ふぅ~ん。その肌、AEOSきちんと使っていったら、治るかもよ。」とおっしゃいました。

こう言われてもまだ私はそのときは内心では、(これだけ何十年も、何やってもこの肌なんだから、無理っしょ。)なんて冷めていました。

しかし、3日間の間、変わりばんこに練習台になりあって、3回ぐらいせっせとAEOSのフルコースをほどこした私の肌は3日目には、あれ? 初日のときより赤くないかも・・という片鱗をうかがわせていたのでした。

自分だけの錯覚か、と思っていましたが、やっぱり同じことを友里先生にも言われました。

「あれ? 赤み引いてるんじゃない?」って。


そうなってみると、がぜん、欲が出てきました。

ノーファンデ、と言っても、なんだ、それBBクリームと同じように色付きのアイテムじゃん、というものがラインのなかに入っている化粧品を使っていたり、やけに嘘くさくピカピカにテカるような化粧品ではなく、ほんとうに自らの内側から輝くような美しいすっぴん。

これこそが本来、みんなが目指していたものだったんだ、ということにようやく私は気付いたのでした。

そして、外側からのアプローチによっていかに自分の内側が変わるか、ということについてもおぼろげながらに素直に信じられるようになりました。

オーラソーマはもともと、内側にある光をみつめ、いかに軽やかに生きていくか、がテーマのシステムです。

それをAEOSによって、外側からのアプローチで内面が変わる・・

「Outside In、Inside Out、the Synergies of Beauty」

外から内へ、内から外へ・・ 美の相乗作用 というこの言葉はもともとオーラソーマ創始者のヴィッキー・ウォール女史が言っていたことだそうです。


皆さんもオーラソーマとAEOSによる、この美の相乗作用・・

体験したくありませんか?






メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。

そこに直接「予約フォーム」に入れる表記があります。

ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」をクリックしていただきますと、最新の「営業案内」を見ることができます。

ご予約はメールにて受け付けております。

「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)








3日間のAEOSトレーニングを受けて

2012-07-24 09:09:00 | オーラソーマ

*******************************


       <現在残席があるイベントのご案内>

  ☆8月18日(土) 13:30~ 「ボトルシェアリングの会」

     1coin(¥500)で楽しくおしゃべりしながら、ボトルを使って

      感じたことなどをみんなでシェアしあいませんか?

      当日は、1本リーディングも行います。

      お茶・お菓子付き

  

   

8月25日(土) 13:30~「プロダクツクルージングの会」

                         ~ポマンダー編~

   オーラソーマのプロダクツには、5本柱といわれるボトル、ポマンダー、

   クイントエッセンス、アークエンジェロイエッセンス、カラーエッセンス

   などの優秀なプロダクツがあります。

   それぞれ何十種類もの色のバリエーションがありますが、なかなかコンサル

   テーションのときには、それらのすべての意味や効用をお伝えすることは

   できません。

   今回は、ポマンダー15種類を全部使ってみながら、簡単な楽しいワーク

   を行います。

   すべての意味を知りたい方、ポマンダーにこんな使い方もあるんだ、という

   ことを知りたい方、ただぼーっとお茶とお菓子で楽しみたい方、いらっしゃ

   ~い!!

   お茶・お菓子付き、その日に選んだその方のソウルエッセンスのポマンダー

   10ml付き で、参加費¥2100


   

☆9月1日(土) 13:30~ 「ボトルシェアリングの会」

    8月25日と同内容


         <定員いっぱいとなったイベント>

   

8月7日(火) 13:00~ 「オーラソーマ1coinお茶会」

               in 美容室「そらから」

    1coin(¥500)で、オーラソーマって何?から始まって、オー

    らソーマの魅力に触れましょう。お茶・お菓子、1本リーディング付き

  「そらから」さんは、岐阜市旦ノ島5丁目、尻毛橋ふもと、こじか

  幼稚園向かいにあります。

     今回は定員いっぱいとなりましたが、西岐阜など岐阜市西部の方、

「些々羅」はちょっと遠いけれど、「そらから」なら行くわ、と

いう方がいらっしゃいましたら、ご希望日時をおうかがいしまして

次回の企画に役立て、実現の折にはご連絡差し上げますので、以下に

メールください。

 上記のイベントに興味のある方、出席希望の方、以下にメールをください。

                           chakra@aura-soma.name

********************************

去る19日~21日の3日間、東京駒沢の「IRIDESCENCE」の岡部和代先生オーガナイズによる遠藤友里先生のAEOSトレーニングを受けました。

これは前にも書きましたが、私が自分でAEOSを体験して感動し、すぐにトレーニングを受ける気になり、岡部先生にお願いして実現したものでした。

私は今まで、マッサージでもエステでも比較的強い刺激が好きでした。

優しく柔らかいものでは物足りない、もっと刺激がほしいのさ~って感じでした。

自分の感覚を鋭敏に研ぎ澄まし、肉体ではないサトルボディで感じるのはオーラソーマで十分、直接肉体に受ける刺激ははっきりと認識できるものに限る、なぁ~んて思っていたわけです。

そんな私ですから、AEOSのスキンケアラインがオーラソーマから登場したときにも、

「へぇ~、ついにオーラソーマも化粧品までラインを伸ばしたか~ なんでまた化粧品なんだろうね? やっぱ、化粧品って儲かるからかな~」とか不遜なことを思ったり、ヴィッキーさんが生前そもそもクリームなどを作っていた、ということもあるので、初心に帰るってことかな、とか思ってみたり・・

まぁ、そんな程度の認識だったわけです。

そんな程度の認識ではありながら、一応オーラソーマが出している製品、メニューについてはすべて網羅しようと思っている私は、ひとまず自分自身がその使い方のユニークさとオーガニック特有のホンモノ、という感じがするハーブやお花たちの香りの素晴らしさに惹かれて、使ってはいるものの、その製品を使ってほかの人にトリートメントしてあげたい、とかそんな気持ちは全然湧き起こってきていませんでした。

っていうか、そこまで気が回らない、っていうか、気付きもしないっていうか。


しかし、そんな私が表現アートセラピーに出会って、サトルボディ(微細体)のゾーンの感覚を鋭敏にするためにも、(それがオーラソーマの究極の目的である“光の身体”に還る、ということ)うぅん、ためにこそ、直接の肉体への刺激は大切なんだ、ということに気付いたのです。

これは以前にレベル4でのモジュールBの私のテーマでもあった、と書きました。


そこに気付いたとき、がぜん、AEOSというラインがオーラソーマから出たことは画期的であり、実に意味深いことである、ということに合点がいくわけです。

お気楽に「なんで化粧品のラインに手だしたんだろ?」なんて言ってる場合じゃありませんでした(笑)

そんなこと言う人、オーラソーマファミリーでありながら、風上にもおけませんね(大笑)

そうなると、そのタッチが刺激が強いものでなく、ゆるゆるのジェントルなものであることは当然のこととしてすんなりと受け入れられるし、実際に受けてみて、自分がいかにそういうタッチが好きで身体も求めていたか、がわかりました。

実際に今回習ったフェイシャルトリートメントの最後には「ジェントルタッチリバランス」という、頭から顔、デコルテにかけて17のツボに対してそーっと優しく指をおいていく、というものがあります。

これなどついもっと強くぐーっとツボ押しをしたほうが経絡の流れがよくなったり、コリがほぐれるのではないか、と思う人もいらっしゃるかと思います。

しかし、実際にはジェントルなタッチのほうが、より感じるのです。

不思議なことに。

これは体験したことがある人にしかわからないかもしれません。

このジェントルタッチだけを希望して施術を受けに来る方もいらっしゃるようです。

そりゃそうですよね。

これは絶対ほかのフェイシャルサロンやエステではやってませんもん。

オーラソーマ独特のものだと思います。


AEOSの教科書には「より振動が感じられる」という言い方で記してありますが、友里先生は、「クライアントの脈を感じる」という言い方をされていました。

そう言われて施術のレッスンをさせてもらっていたら、確かに17あるツボのすべてが同じようにではありませんが、クライアント役をしてくださった方の脈をすごおくよく感じる点というのがありました。

通常、医療行為で脈を感じ取る場合には、手首とか腋の下とか脈を取る場所、というのがあります。

しかし、決してこの17のツボはそのように脈が感じやすい場所ばかりではないはずなのに、すごくドクドクと感じる地点というものがあるんです。


クライアントの脈が私に伝わる。

私の脈と同化して、また私の指先を伝わってクライアントにそれが帰っていく。

そして呼吸を合わせる。

そうすることで同振を感じます。

そして大きく言えば、(あぁ、この人と私は一緒なんだな。)というワンネスの感覚を味わいます。

ツボ・・つまり、東洋医学でいうところの経穴とは、生命エネルギーを供給する出入り口で、情報の伝達をする場所のことです。

この定義を知ると、さもありなん、という感じですね。

このようにして私は、AEOSというスキンケアラインが、いかにオーラソーマシステムの中でも大切な役割をになっているか、内側から自分を見つめたり感じたりするためには外側からのアプローチも行うことによって相乗効果でより早く感じられるようになるか、ということの重要性を知りました。

というわけで私は今回、「AEOSプロダクツインフォメーションアテンダント」の資格を得ました。

これはつまり、AEOS製品についての正しい知識やすばらしさをインフォメーションしていく係りの人になった、ということですね。

よぉし、はりきってインフォメーションしていくぞぉ!





メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。

そこに直接「予約フォーム」に入れる表記があります。

ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」をクリックしていただきますと、最新の「営業案内」を見ることができます。

ご予約はメールにて受け付けております。

「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)


「西の魔女が死んだ」を読んで

2012-07-23 09:09:00 | 本と雑誌

以前、ブリッジコースのときに私のことを「西の魔女・・」と書いてくださった方がいて、そのときのことを私は「岐阜が“西”っていう意識がなかったからなかなかそれが私のことだとは思わなかったよ~」という内容でこのブログに書いたら、コメント欄で「それって、梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』っていう小説からきてるんじゃないですか?」と教えてくださった方がいて、とてもステキな小説ですよ、ということでしたので、読んでみることにしました。


そして読後、とてもすがすがしく心が洗われたような気持ちになりました。

最後はちょっと切なくもある小説なんですが、この小説がずーっと1つの静謐でおだやかなトーンを保っているのは、ひとつには“西の魔女”こと、主人公のおばあちゃんの話し方によるところが大きいと思います。

お話のほとんどはこのおばあちゃんと孫の会話で成り立っているんですが、このおばあちゃんは小さな孫であろうともちゃんと一人前の扱いをしてくれて、「~だそうですね。」などの丁寧な言葉で話してくれます。


そしてもう1つは、物語の舞台。

緑に囲まれていて、自分たちが食べるぶんのジャムやらパンやらは自分で作る、という生活。

なんだか私はデヴ・オーラを思い出してしまいました。

わたしもこういうところで1ヶ月ぐらいのんびりと過ごしてみたいなぁ、って。

今日は、この物語のなかで私が最も印象的だった1つのシーンを皆さまにもご紹介したいと思います。

なにせ、「そうよ、そうなのよぉ!」と最近私がずっとそういう考えでいたことをまさにわかりやすく孫娘との会話のなかで語ってくれていたシーンだったので。

梨木香歩さんという方は、名前が今風なのでもっとずっとお若い方だとばかり思っていたら、プロフィールを見たらなんと同級生じゃないの!

それだけできっと梨木さんもこのシーンでのことはすごく言いたかったことに違いない、と思ってしまいました。

夜、おばあちゃんと枕を並べて寝るときに、ふいに孫娘の主人公まいは、おばあちゃんにこう尋ねます。

「ねぇ、人は死んだらどうなるの?」

それは以前に彼女が自分のパパに同じことを聞いたとき、パパは「なんにもなくなるんだ。」と言い、彼女はそのことがとてもショックだったからです。

それに対して、おばあちゃんは、「ではおばあちゃんの信じている死後のことを話しましょうね。」と話し始めるのです。

以下、そのシーンをそのまま抜粋します。

「おばあちゃんは、人には魂っていうものがあると思っています。人は身体と魂が合わさってできています。魂がどこからやってきたのか、おばあちゃんにもよく分かりません。いろいろな説がありますけれど。ただ、身体は生まれてから死ぬまでのお付き合いですけれど、魂のほうはもっと長い旅を続けなければなりません。赤ちゃんとして生まれた新品の身体に宿る、ずっと以前から魂はあり、年をとって使い古した身体から離れた後も、まだ魂は旅を続けなければなりません。死ぬ、ということはずっと身体に縛られていた魂が、身体から離れて自由になることだと、おばあちゃんは思っています。きっとどんなにか楽になれてうれしいんじゃないかしら。」

「じゃあ、魂がわたしなの?」

「まいは魂と身体が合体して、まい自身なんですよ。」

まいはしばらく考えたが、やはりよく分からなかった。

「じゃあ、こうやって、考えたり、うれしかったり悲しかったりするわたしの意識はどうなるの。私はそれが消えてなくなるのがいちばん怖いの。」

「まい、おばあちゃんはさっき、上等の魔女は、外からの刺激に反応しない、って言いましたね。でも、それを完璧に遂行するのは無理です。正確には、上等の魔女ほど、外部からの刺激に反応する度合いが低い、と言うべきでした。なぜなら、肉体を持っている人間なら、だれでも傷を負ったら痛いと思うし、風邪をうつされて高熱が出たら、意識が朦朧としてくるでしょう。食べ物がなくなってお腹がすいたら、怒りっぽくなる人もいるでしょうし・・」

「わたしも少しそういうとこある」

「そう? 最近では、カルシウムが足りないといらいらするとも言われていますよね。それだって身体があるからで、やっぱり身体が意識に影響を与えていますよね。」

「だからわたしは魂と身体の合体というわけなの?」

「そうです。で、死ぬってことは、その身体の部分がなくなるわけですから、やっぱり死んだ後もまいは今のまいのままだとは、言いづらいですね」

「じゃあ、魔女って生きているうちから死ぬ練習をしているようなもの?」

「そうですね。十分に生きるために、死ぬ練習をしているわけですね」

まいはしばらく考え込んだ。

「それじゃあ、身体を持っていることって、あんまりいいことないみたい。何だか苦しむために身体ってあるみたい」


このときまいは、鶏小屋が何ものかに襲われて無残に殺されていたにわとりのことを思っていました。

そして、

「もしああいう目に遭うとしても、身体をもつ必要があるの?」と、責めるようにおばあちゃんに聞きます。

それに対してまたおばあちゃんはこのように言います。

「あの鶏にはあの鶏の事情があったのでしょう。魂は身体をもつことによってしか物事を体験できないし、体験によってしか、魂は成長できないんですよ。ですから、この世に生を受けるっていうのは魂にとっては願ってもないビッグチャンスというわけです。成長の機会が与えられたわけですから」

「成長なんて」

まいは、なぜだか分からなかったが腹が立ってきた。

「しなくったっていいじゃない。」

おばあちゃんは困ったようにため息をついて、

「本当にそうですね。でも、それが魂の本質なんですから仕方がないのです。春になったら種から芽が出るように、それが光に向かって伸びていくように、魂は成長したがっているのです」

まいは何となく、納得したくなかった。けれど、長年心にあって苦しんできた重しがようやく取り除かれて、別のドアが開かれたような、明るい気分にもなってきているのも事実だった。

「それに身体があると楽しいこともいっぱいありますよ。まいはこのラベンダーと陽の光の匂いのするシーツにくるまったとき、幸せだとは思いませんか?寒い冬のさなかの陽だまりでひなたぼっこしたり、暑い夏に木陰で涼しい風を感じるときに幸せだと思いませんか? 鉄棒で初めて逆上がりができたとき、自分の身体が思うように動かせた喜びを感じませんでしたか?」

確かにそうだった。まいは返事の代わりに少しふくれてうなずいた。おばあちゃんは笑いながら、さあ、もうそろそろあきらめなさい、というように、

「今夜はこれでおやすみなさい。」と言った。

大変長い引用をしてしまいましたが、この柔らかな日差しを感じるような文章のなかで皆さんにもお伝えしたかったからです。

私たち人間と言う存在は、そもそも魂と肉体というちょっと矛盾したものを抱えている存在なのだ、ということを。

そして何だかちょっとスピリチュアルのことを学ぶと魂ばかりが崇高な存在で肉体はその下僕にすぎないような存在につい考えがちだけれど、そうではなくて魂は肉体を使って感じることによって体験ができるし、体験することによってしか成長ができないしくみになっているんだ、ということ。

だから肉体をもっていると時にはつらいことや悲しいこと、苦しいこともあるけれど、楽しいこと、嬉しいこと、わくわくするような心が躍ることもまたあるのだから、それをぜーんぶ引き受けて、いつも1つ1つコツコツと何かにぶち当たりながら、その場でこうかな、ああかな、と無骨に生きていくしかないんだ、っていうことを。

それにしても・・・

ブリッジコースで「西の魔女・・」と書いてくださった方が、もし私が、この「西の魔女が死んだ」のおばあちゃんみたいだ、と言うことから「そっと優しく、あなたがあなたであるべき場所にお行きなさい。」ってきっと言うんでしょうね、と私のことを書いてくれたなら、それはそれは光栄です。


つい最近、別の人にも私のことを「犬のお母さんが、一緒に行こうと言ってくれるなら、いっておいで、と旅させてくれるのが猫のお母さん、そんな気がします。恵津子さんは猫っぽいです。」と言われました。

この方はこの「西の魔女・・」の話も踏まえたうえでそう言ってくださったんですけど。

私ってそういうふうに見えるのかなぁ。

自分では自覚ないなぁ。

でも、そうありたいなぁ、とは改めて思いました。

だからそういう風に見えるなら嬉しい限りです。

すべての人はパーフェクトな存在であり、その人の持っている限りの可能性を信じてあげたい。

だからできるだけ手出しはしたくない、って思います。

この小説は映画にもなっています。

どんなふうに映画になって、誰が演じたんだろう、というのに興味があって、ちょいとネットで調べてみたら、おばあちゃん役はサチ・パーカー。

この人は、シャーリー・マクレーンの娘さんで、シャーリー・マクレーンと言えば大の親日家で有名なので、娘にも日本名っぽい名前をつけたんだとか。

私はその昔、シャーリー・マクレーンが“目覚めた”という「ダンシング・イン・ザ・ライト」とかの3部作、読みましたよぉ!

その頃のわたしには、何のこっちゃ、という感じでしたが(笑)

ここへきて、またつながったかぁ。

改めて、家のなかじゅう探してまた読んでみようかしらん。

そして、サチ・パーカーも私とほとんど同世代の人じゃないですか。

この映画もちょっと見てみたくなりました。

改めて、「西の魔女が死んだ」を教えてくださったじゃむ太朗さん、ありがとうございます。






メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。

そこに直接「予約フォーム」に入れる表記があります。

ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」をクリックしていただきますと、最新の「営業案内」を見ることができます。

ご予約はメールにて受け付けております。

「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)


打ち込めるものが見つからないという悩み

2012-07-22 09:08:00 | 身辺雑事

最近なぜか立て続けに「わたし、今、こういうことで人生悩んでます・・」という方のお話を伺う機会があったんですが、それがみなさん、ほぼ同じ悩み。

これは私にも何かメッセージがあるな~と思って、今日は自分自身の考えをまとめるためにもこの話題を選びました。


その立て続けに続いた皆さんの悩みがどういうものか、と言うと。

「これからの私の人生、何を目標に、生きがいにしていったらいいかわかりません。」というもの。

そして、それが悩みだ、とおっしゃる方々は(みな、つながりはありません。)皆、傍から見れば「どうして悩んでるの?」と不思議に思えるくらい生活には恵まれている人たち。

つまり、自分が働かなくてもご主人に結構な稼ぎがあり、何不自由なく暮らせる立場。

自分としては家計を支えるためではなく、好きなことに打ち込める立場なわけですよ。

だから人によっては「贅沢な悩みだねぇ。」とか、「うらやましいわ。そんな悩みを抱いてみたいわ。私なんて、毎日生活していくことで必死よ~」なんて言いたくなるかもしれません。

私はそういう方々が一様に自分の生き方について悩んでいるのを聞いて、なんだかじぃ~んとしてしまいました。

彼女たちは、実に真剣に悩んでいるんです。

そんな悩みを抱えなくてものほほんと何不自由なく暮らせるんなら、毎日てきとーに遊んで暮らして、んでもって時には趣味にでもいそしんで優雅に日々を送ればいいだけじゃなぁい?なんて誰も思っていない。

このままではいけない・・

自分の奥底からふつふつと湧き起こってくるその小さな声に耳を傾け、自分の人生に焦っている・・

その姿がとっても愛おしいなぁ、って思えて。

やっぱり人間っていうのはどれだけ体力的には衰えようとも、死ぬまで自分の魂が成長し続けることを望んで必死に生きていきたい、って思ってるんだなぁ、と思って。

だから、“暇つぶし”のような趣味や優雅なひとときでは心が動かないんだね。

自分がもっと何かのために必死になってやった、という充実感が味わえないことには生きながらにして死に等しい、ぐらいの感覚がどこかにあるからこれほどまでに真剣に悩むんだね。

それはとっても美しい姿です。

人間には「悩む力」ってものがあるんだなぁ、と思います。

それは天が「選択の権利」を私たちに与えてくれたからにほかなりません。

選択の余地もない人生であったら、こんな悩みは起こらないわけだから。


エデンの園を追われたアダムとイブも、食べてはいけない、と神さまに言われていた実を食べてしまったから楽園から追われたわけだけれど、少なくとも「絶対にお前たちには食べられないようにしてやるぅ。」ということを神はしなかったわけです。

「食べてはいけない。」ということは言っておくけれど、それでもその誓いを破って食べたければ、その選択もあるわけよ、そのせいでその後の人生どうなるか、っていうことも自分で引き受けないといけないけれどね、という選択権を神は与えてくれたわけですよね。


いったんこういう悩みの滝つぼのなかに落ち込むと、自分の好きなことに没頭して生き生きと毎日暮らしている人たちのことが眩しすぎてしょうがない。

いいなぁ、とは思うんだけど素直に近寄っていって「そういう生き方っていいよね。私もそういうものを見つけたいのだけれど、今、見つからなくて悶々としているの。あなたの近くにいたらそういうものが見つかるかもしれないから、ちょっと近くにいさせて。自分もうきうきと楽しくなってくるわ。」・・・とはならないんですね。

どうしてあの人は、あんなにも生き生きとしていられるんだろう?

いいなぁ。

それに比べて私は・・

そのうち嫉妬と憎悪のような気持ちまでがこみあがってきて、そんな自分がまたイヤで余計に落ち込んでしまう、という悪循環のなかに入っていきます。


でも、私は彼女たちの気持ちがとってもよくわかります。

オーラソーマと出会う前の自分がそうだったから。

しかもそれは20年以上に渡って続きました。

それを言うと、たいていの人は言葉を失います。

(じゃあ、私なんてまだまだいいほうなのかな・・)と思って、この人にはさすがに自分の悩みは打ち明けられないわ、と遠慮してしまうみたいなので、それは言わないようにしてるんですけども。

こういう悩みを抱いている多くの人たちにそんな私が助言できることがあるとすれば、まずはこんなふうにして悶々と悩んでいる自分っていうものも丸ごと受け止めて受容してあげましょう、ってことです。

そんな自分を最低の人間のように思って卑下する必要は何もありません。

私たちは生まれたときからすでに完全なんだから。

完全に目覚めているはずの、ありのままの自分に気付けばいいだけなんだから。

そして受けとめることができたら、この悩みをほ・ん・っ・とうに悩み切ったら、必ず自分が何かに向かって動き始めるはずだ、ということを100%信じましょう。

よく、「どうしたらいいのかは、自分ではもう、わかってるんだけどね・・」というふうにつぶやくときがありますけれども、わかっていながら動き出せないのはどうしてなのか?

それは、悩んでいるようでありながら、今のままでいい、と自分が思っているからです。

今のほうがラクだから、変われなくっても、今のままでも困ることはないから、というのが本音ってわけです。


何でも物事が動き始めるとき、というのは多大なエネルギーが必要となります。

自転車だってこぎ出しにはちょっと力がいる。

えぃ、えぃ、ってペダルをこがなきゃならない。

けれど、いったんスピードに乗ったら、あとはペダルの上に足を乗せているだけで前に進んじゃうよ~んて感覚になってきます。

最初だけは大変かもしれないけれど、本当に心から自分がこのままではイヤだ、と思っているなら、必ず「あなたのように生涯かけてやりたい、っていうライフワークが私にはまだ見つからないから。見つかったらそれからは絶対に動き始めるから。」なんて言っていないで、絶対にすぐにでもその今、立っている足元から動き始めるはずなんです。


そのためには、今の自分を否定するのではなく、全面的に受け容れてあげるところから始めましょう。

何でも“否定”から始まるエネルギーというのは、それはそれは最初こそ強いものがありますが、のちのちそれは虚しいものだということに気付くから。

否定するものがなくなったとき、エネルギーも消失してしまうことになります。

でも、自分にくつろいで本当に楽しいからやってるだけ、というエネルギーに支えられたものはいつになっても決して消失はしません。

人というものは、永遠に色あせることのない真実のエネルギーを求めるように出来ているんですねぇ。

その美しいエネルギーを自分も持っているんだ、ということを心から信じましょう。


なんだか今日はちょっと上から目線のような記事になってしまいました。

ちょっと恥ずかしいな。

でもこれは私が身をもって体験してきた真実だと思うから、ぜひともお伝えしたいな、と思いました。





メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。

そこに直接「予約フォーム」に入れる表記があります。

ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」をクリックしていただきますと、最新の「営業案内」を見ることができます。

ご予約はメールにて受け付けております。

「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)