イギリスに行けなかった今回のことで、私は1つ悲しい出来事を思い出していました。
それは祖母が亡くなったときのこと。
祖母は、それまで老人病院に入院していましたが、老人特有のボケ(今なら認知症と診断されることでしょう。)、足腰が弱い、などのレベルで入院していたので、今日の明日の亡くなるかも、という感じではありませんでした。
けれど、ある日あっけなく亡くなってしまいました。
身内の誰にも看取られずに。
そして、祖母が亡くなった日。
私は仕事で沖縄に行く予定でした。
当時私は大手スーパーに勤めており、販売促進部に在籍していたので、TVCF撮影のために広告代理店やカメラマン、モデルの人たちとともにその撮影のクライアント側の立会人として参加することになっていたのです。
私は祖母が亡くなったことを知らずに沖縄に立ちました。
それは、母が祖母が亡くなったことを私に教えなかったからです。
仕事で明日からは沖縄に行く、ということだけを知っていた母は、「死に目に会えるとかいうなら話は別だけれど、もう亡くなってしまったものを、仕事を辞めさせてまで呼び戻すことはない。」というふうに考えたようです。
この点、母は人は肉体としての一生をとじたらハイ、それまでよ、というけっこうドライな考え方の人なのですね。
そして私は現地に行ってから、父からの電話でそれを知りました。
父はドライな母とは違って、「どうするかは本人が決めればいいが、こちらから情報は提供する。」という考えの持ち主。
私自身がどちらのタイプか、と言えば父のタイプですが、ただこのときの母が私への思いやりからそういう判断をしたのだと考えたとき、あながち、母の判断を責めることもできませんでした。
撮影は、沖縄らしい海辺での天候しだいの撮影。
着いた当日は、“雲待ち”の状態。
雲待ちとは、1点のくもりもない抜けるように晴れ渡った空をとりたいので、あの雲が消えてくれるまで気長に待つ、ということです。
今なら、そんなものはとりあえず撮ってしまい、あとでCGで合成して消すでもなんとでもなったことでしょうね。
しかし、今から20年以上も前の当時はそんな技術もありませんでした。
これから撮影は何日かかるのか見当もつきません。
雲が消えてくれて、トントン拍子に進み、すぐに終わるかもしれない。
何日も何日も雲行きがあやしく、1週間かかるかもしれない。
それは誰にもわからないのでした。
私は今すぐとんぼ帰りは無理だとしても、なるべく早く戻りたい、と思ったので、本社の販売促進部の部長に電話して事情を話しました。
「・・というわけで、誰か代わってもらうわけにはいかないでしょうか?」
正直いって、撮影の立会いなんて、たいした仕事じゃありません。
すでに打ち合わせを重ね、絵コンテで確認し、GOがかかった最後の段階で撮るだけなんです。
そしてそこは、もはや職人さんたちの世界。
カメラマンもプロデューサーも業界での有名人です。
そんなところにいくらクライアントだからって口出しやダメだしができるわけがない。
ただ、一応クライアントも立ち会って、OKを出してくれたから我々仕事をすすめただけよ、というお墨付きが彼らは欲しいだけなのです。
クライアントはお飾りでしかありません。
だから、仕事とよべるようなシロモノではなく、お遊びに近いようなレベルです。
ましてや今回のように場所が沖縄となれば、もし撮影が早く終われば、予定してあった日数の残りはみんな遊びに出掛けようや~!ということがお目当てみたいなもんです。
だから、遠くでのロケの立会いの仕事は人気がありました。
部長もそれをわかっているから、いつも誰か同じ人にならないように順番に割り振りしていました。
しかし、今のわたしは帰りたいだけ。
でもさすがにそれぞれ今自分が抱えている仕事で忙しいですから、今日の今日で代理が見つかるものでもなく、電話口の向こうで部長も困っている様子がうかがえました。
私は、「あの・・ 誰もみつからないようでしたら、いいですよ。わたし、残りますから。」と言いました。
そこへ、後ろから同じ販売促進部の女子の声が聞こえました。
「そうまでしてやるような仕事かね~ 身内が亡くなったっていうのに。」
それはちょっと軽蔑しているような言い方でした。
沖縄ロケなんて遊び半分だ、っていうことはわかってるんだから、クライアント不在のまま進めてもらえばいいじゃん、さっさと帰ってくれば、何を格好つけてんの、というほどの意味だと思います。
確かにこのロケの立会いが重みのない仕事であることは当時のその会社の数ある仕事のなかでは歴然としていました。
お遊び半分と言われてもしかたがないような仕事です。
しかし、当然のことながら私の母はそのことを知るよしはありません。
何か大切な仕事で娘が沖縄に行っている。
急いでUターンさせてももうおばあちゃんは亡くなっている。
それならばもうそっとしておいてやろう、という母の気持ちを踏みにじられたような気持ちになりました。
私は母とは決して仲良し親娘ではありませんが、身内が好意からしてくれたことがたとえ世間の常識からは外れていることであっても、それが無碍にされる感じというものに対しては許せない、という感情が湧き起こるのだな、と思いました。
そしてまた私自身も、世間がどんなにちっぽけな仕事だ、と思うことに対しても、きちんと最後まで責任をとりたい、という気持ちもありました。
人の気も知らないで、という怒りと悲しみで私はいっぱいになりました。
またこれそういう発言をした女子の身になってみれば、彼女は大変な身内思いなのでしょう。
だからこそ、おばあちゃんが亡くなったにもかかわらず、代理を探し、見つからなければいいですよ、私がそのままいますから、という私が信じられなかったのでしょう。
まぁ、どっちもそんな目くじら立てるようなことではなく、それぞれのやり方で身内思いだったんだね、でいいじゃん、と言えばそれまでのような他愛のないことかもしれませんが、私が20年以上も前のこの出来事を非常に傷ついた記憶として抱えている、ということは、私にとっての悲しみとは自分自身のことよりも自分の身内、大事な人が自分を思ってしてくれたことをけなされたり、そんな価値なんてないじゃん、という扱いを受けたときに起こるのだな、と気付いたからです。
自分のことなら思いっきり泣いたりわめいたりして発散するすべを知っています。
これからも私は、自分のことより、自分の周りにいる身近な誰かのことをけなされたりしたときに一番腹を立てて生きていくのだろうな。
そしてその逆に自分の周りにいる身近な誰かがまた別の人から大切にされたり、褒められたりしたら自分のことのように嬉しいんだろうな。
まぁ、それもいいよね。
・・・と書いたことで私の長年のトラウマは解消されました(笑)
どうして今回イギリスに行けなかったことで、こんな昔の話を思い出したのか自分でもよくわかりませんが、こうしてまた新たな発見に気付けたことは、よかった、よかった。
ところで後日談ですが。
撮影は次の日にいっきに晴れ渡った空で快調に進み、終わりました。
そして私はそれから遊びの部分の沖縄を楽しむことなく、岐阜に舞い戻り、祖母の通夜とお葬式に間に合いました。
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