ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

朝のひとコマ

2012-07-27 09:08:00 | 身辺雑事

朝、バタバタとダーリンが仕事に出掛けていき、やれやれ、とほっと一息、自分のためにコーヒーを入れる。

と、そこへ、またまたピンポ~ン。

このピン、ピン、ピン、ピンポン、ピンポン、ピンポォ~ン!というせわしない鳴らし方はまたダーリンが忘れ物をして戻ってきたに違いない。

やれやれ。

ほんとに、ダーリンてば刹那的な行動が多いんだから。

だから忘れ物も多いんだよ。

そうして、どっこいしょ、と腰をあげながら不機嫌になるわたくし。

そりゃあ、ダーリンのことは大事だけれど、今日も1日出掛けていった、やれやれ、これからほんのしばし自分の時間だ、とコーヒーを入れてゆっくりとした時間を楽しもうと腰をすえたときにまた戻ってこられるというのは、シーズンを通して戦ってきたプロ野球選手やゴルファーがシーズンが終わり、やれやれ、と体をゆるめたとたん、「ごめん、ごめん、もう1試合残ってたわ。もう1回身体つくってくれる?」と協会側から言われ、急遽ゆるみきった身体をもう1度戦闘態勢に戻す、というくらいイヤだ。(たとえが長い!)


「今日は何!?」と不機嫌そうにドアを開けるわたくし。

すると、

「やぁ! もう1回お出かけのチューがしたくってさぁ、帰ってきたってわけよ。そうしたら、なんと、ついでに忘れていた携帯のことにも気付いてさぁ。あ、そこの携帯とってくれる?」とダーリン。

ここで私は我慢できずに爆笑。

このようにダーリンは、毎日、毎日小芝居を打ちます。

夜、テレビの前で寝てしまうとき。

「こら、そんなところで寝ちゃあ、だめでしょ。」と私が言うと、

「いや、寝てない。ちょっと目をつぶって、地球とハグしてただけ。」とかヌカします。

でも、それらのすべてが愛嬌があるので、つい私は笑ってしまって、それまでの不機嫌さも直ってしまう、ということがほとんど。

やっぱり、男は愛嬌だね。

この年になってつくづく私が男に求める条件はただ1つ、愛嬌。

あんまり真面目すぎる人だと息がつまっちゃうし、あまりにも生活力がある男でもこちらがダラけるか、向こうがその生活力を楯に上から目線になるかだろうし、ましてや容姿の見目麗しさなんてこっちが気が張るか自分は女なのに・・ってかえって落ち込むのが関の山。

でも、愛嬌はいいよ。

飽きないし。

そいで、女は根性だぁ~!

というわけで、ふたたびバタバタとダーリンが出掛けていったあと、今度こそ、と私はコーヒー片手にテレビの前に座りました。

「はなまるマーケット」をやっていました。

別にいつも見てるわけではありませんが、この日はたまたまぼーっとこれを見てました。

すると、若い男優の桐谷健太さんが「はなまるカフェ」のゲストでした。


桐谷さんには富山におばあちゃんがいて、90歳ながらすこぶる元気だそうです。

このおばあちゃんが、「勿体ない」を連発するのが「なんかいいなぁ。」とおっしゃるのです。

桐谷さんは、

「これ、富山の方言かなんか知りませんけれど・・」と言いながら、おばあちゃんが、

「例えば今日、雨の予報だったのにすごく晴れたとするでしょ。そうすると、『勿体ないことだのぉ。』とか言うんですよ。」という使い方なんだ、ということを教えてくれました。

これを聞いて、私は「あぁ。それは富山の方言でもなんでもないよ。ちょっと昔の人ってそういえばそういう使い方したよなぁ。」なんて感慨にふけりました。

この場合の、「勿体ない」とは、「自分の身に余る」というほどの意味だと思います。

もともと「勿体」とは、「重々しい」とか「威厳」を表す言葉です。

「もったいつけちゃって」とか使うときがありますよね。

それが「ない」わけですから、「それほどの重々しさに、私は(これは)該当しませんよ。」という意味ですね。

ですからちょっとへりくだったような意味で、「もったいない。」を使うお年寄りがいらっしゃるんです。

うちのおばあちゃんもそういえば昔、よく使ってたなぁ、と思い出しました。

何かをあげると、それがたいして価値のあるようなものでなくても、おばあちゃんは、「もったいない。もったいない。」と言いました。

それは、「いいや、これはたいそう価値のあるものだよ。その価値に私は見合うだろうか。ありがとう。」というような意味なのですよね。


これって単純に「ありがとう。」というよりも、意味深いかんじがしませんか?

どんなモノにも存在する意味があるし、その“存在の重さ”に対して、私はどうだろう?と常にわが身を振り返る謙虚さを感じます。

そして、それをいただくことに対する深い感謝。

古い使い方の日本語は失われていく傾向にあるのかもしれませんが、みんなが「良い言葉だなぁ。」と思うものは、その意味がわからなくったって、残っていくように思います。

げんに、お若い桐谷さんだって、そのおばあちゃんの使い方を「?」「どういう意味?」と思いながらも、「なんかそれっていいよなぁ。」と感じたわけです。

ちゃんと伝わっているんですね。


「勿体ない」という言葉自体は、最近では、ケニアのワンガリ・マータイさんが提唱した「無駄をなくそう」運動の精神をわかりやすく一言で言い表した言葉としてこの「勿体ない」をぜんぶローマ字表記とした「MOTTAINAI」のほうがもう有名になってしまったかもしれません。

でも、「まだ使えるのに、もったいない。」というときに使うばかりではなく、今日はこの桐谷さんのおばあちゃんのように元もとの意味である、「そんなことまでしていただいては、私には分不相応ではないでしょうか。ほんとに深く感謝いたします。」という使い方として、私もちょっとこの「もったいない」を意識的に使うようにしよう!と思いました。


一瞬、不機嫌になりかけた朝の1コマでしたが、ダーリンの愛嬌とこの「勿体ない」に救われて、気持ちよくスタートを切ることができました。

もったいない、もったいない。





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