ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

街をぶらぶらの大切さ

2012-07-26 09:04:00 | まち歩き

AEOSで3日間、駒沢の「IRIDESSENCE」さんに通いました。

ここはどこの駅からでも必ずさらにバスを利用することになります。

私は今回五反田のホテルをとっていたので、恵比寿まで山手線で行き、そこからバスに乗りました。

帰りももちろん、この逆ですね。

そして、初日の行くときと、最後の日の帰るときだけ、ほんのちょっぴりですが、品川から新幹線に乗るより新横浜まで出たほうが時間的に早かったので、初日のときは自由が丘からバスで、帰りは駒沢から自由が丘にバスで行きました。


バスに乗っている間は、ぼーっと窓から東京の景色をながめていました。

私はだいたいほかの街に行ったときは、風光明媚な緑などの景色を眺めるより、市井の人の暮らしぶりがうかがえるような、ふつーの商店街とか町並みを見ているほうが好きです。

そうして恵比寿←→駒沢、自由が丘←→駒沢の景色を見ていて、つくづく思ったことがあります。

東京はこじんまりとした店が多くて、それぞれがちゃあ~んと経営が成り立っている感があっていいな~っていうこと。

東京に限らず、都会の方は変なこと言ってんな~ こいつ、意味わかんない、とお思いでしょうね。

もう少しちゃんとご説明しますね。

わたしの住んでいる町、岐阜とか地方都市というのは、ドーナツ化現象が激しいんです。

その一番の市街地という場所での商店街がどんどんさびれていく。

その理由は、郊外のスーパーの大型化です。

地方都市ほど都会より公共交通機関が発達していないため、マイカーでの移動が多くなります。

そうしたら市街地の商店街にマイカーでやってきて、「○千円以上お買い上げで30分駐車無料券」なんてものをもらい、駐車時間と駐車料金と首っ引きで時間を気にしながらショッピングしたり、街中に点在する民間の駐車場に並んで入ったりしなくても、広い無料の平地での駐車場が完備されている郊外のスーパーのほうがいい、ということになるんです。


そのようにして、みんながみんな、休日ともなれば郊外の大型ショッピングセンターに出掛けてしまえば、街中は閑散としたものになってしまいます。

その格差はどんどん広がり、経営が立ち行かなくなった店は閉め、ところどころ閉まっている店がある商店街なんか魅力がないので、余計に人は減り・・

こうして富む郊外の大手チェーンストアはよけいに富み、さびれゆく商店街はよけいにさびれてシャッター通り化します。


こうした現象に対して、「商店街、頑張ろう!」という動きも時々見受けます。

けれど、根本的に自分がお客の立場だったらやっぱり郊外の大型ショッピングセンターへ行って、そこで何もかも揃う、っていうほうが便利でいいよなぁ、なんて思っているうちは絶対に商店街が元の活気を取り戻すことなんてないんだ、と私は思います。

ちょっと話がそれますが、今、我が街 柳ヶ瀬では、空き家になっている店舗を利用して、お化け屋敷をやっていて連日盛況だといいます。

何でも岐阜がそのむかし話題になった“口裂け女”発祥の地だということにひっかけた企画なんだそうな。

・・・せっかくの企画にケチをつけるつもりはないんだけど、なんだか頑張る方向が違うような気がして仕方がない。


そんな私がぼーっと東京の街をバスの窓から見ていると、それぞれの町に根付く商店街や小さなお店がほんとにちゃんとその町に根付いているようでいいなぁ、と思います。

小さな洋服屋さん。

小さな花屋さん。

小さな八百屋さん、お惣菜屋さん。

みんなみんないい感じ。

そこに住んでいる人たちに本当に利用されて愛されている、っていう感じが窓から見ているだけでわかる。

地元の人たちに利用されずに、外からだけ人を呼ぼうったって、それは無理。

それがよぉくわかった。(感覚的にだけど)

地元民に愛されてこそ、「お、なんかあそこの商店街いい感じ」と初めてよそからの人だって呼べるんだよなぁ。

自由が丘なんて平日にバスで通ったときは、ちょっと小じゃれた郊外の雰囲気で、地元民が自分のお気に入りの店、ひいきの店があるんだろうな~って感じだったけど、土日となるとなんじゃこれは!というくらいうじゃうじゃと人がいて、ほかからの町の人たちがやってくる。

でもそのほかからやってきた人たちは、“地元に愛されている自由が丘”の雰囲気が好きで、休日だけ自分達はそこにちょっとお邪魔させてもらっている、っていう感じが漂っている。


郊外のスーパーにそんな感じがあるはずもない。

たとえば岐阜にあるイオンよりお隣の各務原市にあるイオンのほうが大きいからそっちへ行こう~となったときに、岐阜市民ははたして「各務原市にお邪魔しにきています。」という感覚があるだろうか?

あるはずがない。

そういう感覚を培うような商業施設じゃないんだから。

ただただ日本全国どこへいっても金太郎飴のようなチェーンストアなんだから。


こういうことも、ひょっとすると今の子ども達が育つ環境としてはよろしくないのかもしれない。

礼儀とかコミュニケーションとか人との間に起こるいろんな感情を経験することがふつーに買い物に行くだけとかでは何もないもんね。

昔の商店街のなかで育つとあったんだけどな。

商業施設にかぎらず、なんでも物事というのは中央集中(あるいは集権)と拡散との繰り返しです。

それを今まで、「東京」と「地方」という関係性のなかで考えてきました。

けれど、そうじゃないなぁ。

むしろその町がその町らしく生き残っていく、ということでは東京のほうが、「中央集中」ではなくて、いろんな拡散をしながら生き残っていくなぁ。


小さな洋服屋さんだって、外のショーウィンドウからちらりと覗く、中のだいたいの在庫量で、ちゃんと在庫回っているんだな、っていう感じがわかる。

それにライ麦だけを使ったパン屋さんとか、チョコレートだけの専門店とか盆栽だけの植木屋さんとか、カテゴリーを絞り込んだ専門店が成り立つ、というのも東京の特徴ですね~

恵比寿の駅前にあるパーラー(パチンコ屋さん)を見て、驚きましたもんね。

「へ? こんな小さなビルのこんな小さな入り口がパーラーだったのか!?」って。

岐阜なら絶対にすぐにつぶれます・・

そしてバスで行くときに見かけたオートバックス。

車の専門大店でこんな小さなオートバックス初めて見た・・

感動モンだったわ・・(いや、バカにしてんじゃないですよ。マジ、これで東京は成り立つんだ~という感動です。)


私はぼーっとバスの窓から見ていてこんなことを感じたんですが、1度、地方の議員さんも、東京へ行ってみるといいですよ。

もちろん、よく行ってみえるとは思いますが、それはたぶん、最初から目的地があり、そことだけの往復の生活でしょう。

あるいは“視察”という名目に名を借りたお遊び旅行・・?(あ、こりゃまた失礼。言葉がすぎましたかしらん。)

そうじゃなくて、ゆとりをもって、一度ふつうの東京の下町の商店街のなかをぶらぶら歩いてみるとか。

そういうなかで感じることが必ずあると思います。

ぶらぶら街歩き、大切ですね。





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