ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

今回の教え

2012-07-06 09:05:00 | オーラソーマ

今回、急遽イギリスに行けなくなった、ということにはどういう学びがあるのだろう?と考えました。

いま、このタイミングでこういうことが起こった、ということ。

それについては「ただ意味なんてない、それだけのことだ。」と受け止め、ことさらにそのなかに何かしらの意味を模索するような真似をすまい、という気持ちもあります。

けれど、反対に世の中で起こることはすべて必然であって、偶然なんて何もない、ということを信じる気持ちもまたあります。


つまり、無理やり意味を求めて、やたらと自分に都合のよい解釈に力技でねじまげてもってくる、ということはしたくないし、その意味については自分でどれだけ考えても今はまだこじつけにすぎない、という考えしか浮かばないようだ、という間はそのへんにちょいと味噌が発酵するまで寝かせておくようにそっとしておいて、ただ毎日それに対して慈悲深い気持ちで発酵具合だけは観察しよう、と思いました。


先回2月のイギリス行きのときには、初めてということもあって緊張していました。

しかし今回は2回目ということで変に緊張しませんでしたし、ティーチャーになる、ということに対しても前向きに考えられるようになっていました。

先回のときには、「こんなふうにティーチャーになって私はやっていけるんだろうか? いいんだろうか?」という気持ちがもやもやとくすぶっていましたが、今回は憑き物が落ちたかのようにネガティブな感情は一切持つことなく、前向きに、純粋にティーチャーになることに取り組める、と思っていた矢先なのに。

やっぱりこれは先回のイギリスに行くときに抱いた考え、「1年でT3までを取ってしまう、ということではなくて、1年に1つずつ階段をあがる、というぐらいのペースであなたはティーチャーになりなさい、ってことか。」とも思いました。

そしてその後、あぁ、これだな、と納得できる答えがみつかりました。

それは、「地道に使える分のお金を使いながら、階段をあがりなさい。」ということです。

今回、私はT3までにかかる授業料や渡航費用をすべて生活費や日々の少ない稼ぎから捻出するのではなく、えいやっと貯金を切り崩してまかなおうとしていました。

それはそう決心をして、実際にそうしながらも、不安のつきまとうことでした。

本当にこれでよかったのかな、という気持ちも常にありました。


そして今回、T2のために使おうとしていたお金がすべて霧消したわけですから、今後どうなるかわかりませんが、少なくともT2に関してはまたお金が必要になるわけです。

ひょっとしたらT1からやり直しなのかもしれませんから、そうなると莫大な費用です。

また再び貯金を切り崩そう、という気にはとてもなれません。(お金の問題だけではなくて、ちょいと心も折れそうですがね。)

どのみち、こつこつと家計に響かない程度に貯めながら、1つずつステップを進むしか残された道はない、という状況になりました。


私のテーマは「オーラソーマで生計をたてる」ということです。

次に進むための進み方として、どぉんと貯金をおろして済ませる、というのはやはり私らしくないんだ、という結論に達しました。

それを今回の出来事が教えてくれたように思います。

貯金そのものは自分で貯めたものではありますが、だから何に使おうが自由ではありますが、少なくとも私自身は万が一の病気に備えて、老後にそなえて、というつもりだったわけですから、オーラソーマの授業を受けるために使うことは決して本意ではなかった。

自分の心に嘘をついて、使っていたからどこか今まで居心地が悪かったんだな。


おろしてしまえば貯金なんて、あぶく銭と一緒です。

なんだか今回は何にも苦労せずに不労所得でイギリスに行っていた気がしました。

それでは身につかないぞ、という天の教えのような気がします。


「『ティーチャーズ特別企画』ではなく、1年に1つずつ、というペースでティーチャーになりなさい。」も、

「地道に使える分のお金をつかいながら、1つずつ階段をあがっていきなさい。」も、

結局それがT1、T2、T3を地道に取得していきなさい、ということでは同じことかもしれません。

でも、それは多くのお金をともなう話ですから、そのお金の使い方、という点で言えば、決して同じことではありません。

ただ特別企画というペースではやらない、と決めるだけのことか、そのための費用を捻出しながらあがりなさい、ということか、というのは全然別の視点の話です。


ちょっと光の当て方の角度を変えるだけでほぼ同じような意味のことが別の輝きをもって現れる、ということがありますが、私が「地道に使えるぶんのお金を使いながら、1つずつ階段をあがっていきなさい。」というメッセージが私にはあったんだな、と気付いたことはまさにそんな感じです。

私にとってしっくりくればそれが正解なんですから。

気付き、というのは必ず自分の内側からしか起こりません。

人がいくら、「それは違うと思うよ~ 私はそんなふうに考えなくてもいいと思うな。」とか言ったって、私は私のなかでピカッと光り輝いて「あ、これだ!」と思った気付きを大切にする。

それしか大切にはできない。

それはオーラソーマが教えてくれたことでもあります。

私たちは信じたいものを信じればいいんですから。

それは大げさな言い方をすれば、自分のなかにいる神に気付いた瞬間でもあります。

だからこそ、ときに「信じたいもの」というのが決して「自分にとって都合のいいこと」でない場合があるのがイタイところですがね。





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