今日のひとネタ

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西慎嗣さんが紅白歌合戦でギターを弾いてた事が判明しました

2021年08月07日 | スペクトラム(ブラスロックバンド)
 
 昨日判明した衝撃の事実。西慎嗣さんというとご存じの通りのスーパーギタリストですが、キャンディーズのバックバンドMMPにてデビューし、その後スタジオミュージシャンを経てスペクトラムに参加。スペクトラム解散後はソロアルバムを発表したり、他のアーティストのプロデュース、スライ&ロビーとのコラボ、ナタデココでのバンド活動などを行いながら、ソロのライブ、他のアーティストのサポートなど、近年は相当活発に活動されています。(デビューからスペクトラム参加のあたりは「思い切り知ったかぶり「西慎嗣物語」」をご覧下さい。)


 そして、昨日判明したことは、1977年のNHK紅白歌合戦のステージでギターを弾いてたということ。それもMMPとしてキャンディーズのバックで1曲弾いたのではなく、紅組のリードギターとして参加していたそうです。

 以下、西さんご本人のTweetから。「NHKのプロデューサーに声をかけて頂いて、1977年の紅白で僕は紅組のリードギターとしてダン池田とニューブリードに入ってギターを弾いたんですよ。」と。

 一昨日、大阪での南佳孝さんのライブで西さんと共演した太田裕美さんが「ギター弾いてもらったの初めてだったかも…」とつぶやいたところ、「実は2回目なんですよ~。」と。その初回は1977年の紅白歌合戦で、曲は「九月の雨」。

 実は、1980年くらいのヤングギターで西さんがピンクレディーと対談した際に、「紅白歌合戦でキャンディーズとピンクレディーの両方の演奏をした。」という話をしてたのですが、あの時の紅白はキャンディーズの伴奏はMMPではなかったので「はて、どういうこと?」と思ってたのですが、40年以上経ってようやく謎が解けました。

 考えてみれば、西さんは1960年11月の生まれですので、1977年の大晦日の時点ではまだ17歳になったばかり。NHKのプロデューサーも随分思い切った起用をしたものですね。

 NHKというと「レッツゴーヤング」の演奏では、ビッグバンドに加えてリードギターとして山本トオルさんがいつも参加してましたが、ああいう位置づけだったのでしょうね。才能のある人は、年齢など関係ないという事でしょう。

 国民的番組である紅白歌合戦でリードギターを努めたなんていう経歴はどや顔で語っても良さそうなものですが、当の太田裕美さんも今の今まで知らなかったということで、西さんはなんと謙虚な人なのでしょう。プロフィールによると、幼少からクラシックピアノを学んだそうですから、譜面も問題なかったのでしょうね。とはいえ、あの大ステージではご本人は相当プレッシャーだったかと思います。何よりも本職のキャンディーズの方が解散を控えて全国ツアーの準備中だったので、それこそ西さんは寝る暇もなかったのではないかと思ったりしてます。

 いや、それにしても世の中知らない事が多いですね。とにかく、今年知った話としては一番の衝撃です。

思い切り知ったかぶり「西慎嗣物語」

2009年08月24日 | スペクトラム(ブラスロックバンド)

 昨日の感動を反芻しながら、今日もスペクトラム関連の記事です。「西慎嗣物語」という、たいそうなものが書ければいいのですが、そこまで詳しくないので知らない人のためにちょこっと書きましょう。ワシはもっと詳しい!という人は読まなくてもいいです。


 西慎嗣さんというと、簡単な経歴としてはキャンディーズのバックバンドであったMMPのメンバーとしてプロデビューし、その後スーパーブラスロックグループのスペクトラムに参加。スペクトラム活動中にソロアルバムを1枚発表。スペクトラム解散後は…いろいろですが、私はその辺は詳しくありません。チャーの江戸屋関連のオムニバスとか、ライトニング・ブルースフェスティバルとか、ジョンレノントリビュートライブの出演、スライ&ロビーとのコラボ、若手アーティストのプロデュースなど本当にいろいろで。

 なので、スペクトラム加入までの話をしましょう。基本的にはスペクトラム在籍当時の雑誌インタビューを基にします。最初は大阪でミューテーションというバンドでやってたのだとか。メンバーは元サウス・トゥ・サウスのクンチョーとかシーチャンとかだそうです。が、シーチャンとは誰なのかよくわからないです(笑)

 高校は入ってすぐやめたそうで、キャンディーズのコンサートの楽屋にギターを持って押しかけていき「僕の歌を聞いてくれ」といったとか。MMPは彼に対し最初はかなり厳しい態度で接し、ローディ半分ギタリスト半分という扱いであったという記事を見たことがあります。もちろん門前払いでなかったあたり只者ではなかったのでしょう。そのあたりの記事は今は手元にないのですが、ん~あれは何の雑誌だったでしょう。

 MMPに入ったのは1976~77年ごろでしょうが、その当時のMMPには西村コージさんというギタリストがいました。あの「普通の女の子に戻りたい」宣言の日比谷野音の映像を見ると、ギターが二人いるのが確認できますので片方が西さんのようです。その当時にはステージに立ってたんですね。

 その解散騒動のドタバタで西村さんが脱退し今度は山田直毅さんが加入。77年秋というと「アンドゥトロワ」くらいの頃ですが、それからファイナルの後楽園などの映像でギタリストが二人確認できるのは、西さんと山田さんですね。キャンディーズのアルバムに「早春譜」というのがあって、これは全曲MMPが演奏を担当しており、歌詞カードでお二人の写真も確認できます。ただし、どちらも長髪で背格好も似ているので私は長年どっちがどっちかよくわかりませんでした。この当時山田さんも10代だったそうですが、この人はその後歌手の石川ひとみさんと結婚されました。彼女の「キャンパスライブ」というアルバムでそのプレーも聞けます。

 西さんの話に戻りますが、MMP時代にはキャンディーズの曲でいくつかの共作があるのと、シングル「スーパーキャンディーズ」「悲しき願い」などでヴォーカルを努めてます。ちなみに西さんの「ハイ、みんなのってるか!」という雄叫びは、キャンディーズのファイナルカーニバルが最初です。スペクトラムの武道館ライブであの声を聞いた時、私なんぞは「お、変わらぬ芸風」と思いました。 そして、キャンディーズ解散と同時にMMPも解散して(「悲しき願い」は解散後の発売のような気がしますが?)、西さんは渡米します。2~3年はいるつもりだったそうで、楽器は全部売っていったのだとか。キャンディーズのステージではファイアーバードとかファイナルの後楽園ではストラトとレスポールを持ってましたが、その辺は全部売っちゃったってことでしょうか。

 そして向こうで楽器を探してたまたま入ったハリウッド・ミュージック・ストアというところの社長が日本人で、いろいろ話しているうちに雇ってもらうことになり、そこで働きながら色々セッションしてたのだとか。店にはデイブ・メイソンとかジム・クリューガーとかシーウインドのメンバーが来てて、店内のスタジオでしょっちゅうセッションしてたそうです。おまけに、毎週ベイクドポテトにラリー・カールトンを見に行ってたのだとか。楽しそうですね。

 が、結局半年ほどで観光ビザで働いてるのがばれて強制送還されてしまったのだとか。半年ほど働いてたということですから、英語もしゃべれるんでしょうか。って、もしかして奥さんはアメリカの方だったかなぁ…。勘違いかなぁ。う~む。誰か詳しい人いたらおせーて下さい。

 帰国後はスタジオの仕事を細々とやったりしたそうです。なお、キャンディーズの後釜としてデビューしたトライアングルというアイドルグループのコンサートで、西さんと渡辺直樹さんが演奏してたという目撃談もありましたが、これが渡米前か帰国後かはわかりません。

 帰国後は諸般の事情でスタジオ仕事にはやや不便な場所に住んでいたため、段々仕事がなくなって極貧生活になったのは昨日書いた通り。その後、新田一郎さんに誘われてスペクトラムに参加したと。

 昨日も書きましたがスペクトラムに入るまで本格的にカッティングをやったことなかったというのが本当に意外で、ファーストアルバムなんて本当に激しいウンチャカばかりなので、私はそれをかわれて加入したものだとばかり思ってました。ファーストアルバムなんてソロが皆無ですから。もっとも、数年前に発売されたライブビデオのおまけインタビューにて新田さんが「慎嗣にカッティングを40分くらいぶっ通しでやらせて、よく腱鞘炎になってた」といってました。鬼リーダーだったんですね。

 ちなみに、昨日の30周年記念祭で「スペクトラムで好きな曲は?」と聞かれ、西さんは「侍ズと夜明け」と答えてました。実は私もこの曲は大好きです。ギターソロがかっこいいのはもちろんですが、曲自体最高にかっこいいので。なので、昨日はその話を聞いて結構嬉しかったです。関係ないけど、同じ質問で奥さんが「Questionが結構好き」といってたのも嬉しかったです。(曲名忘れてたけど) 私もあれが結構好きなので。

 ということで、西慎嗣さんの話でした。写真は昨年のライブでいただいたサインです。それにしても、これだけ思いっきり知ったかぶりするとスッキリしました。ただし、あくまでも雑誌のインタビューを信用しての話ですから「オー!ソレハ チガイマース」という指摘は謹んでお受けします。というか、詳しい方は存分に突っ込んで下さ~い。