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「マンデー・モナリザ・クラブ」だそうです>ピンク・レディーの曲

2023年04月27日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡
 先週NHKラジオ「ふんわり」にゲスト出演したピンク・レディーのケイさんこと増田恵子さんですが、一番好きな曲は「マンデー・モナリザ・クラブ」だそうです。(番組出演時の記事はこちら) 私は当然流行のど真ん中の世代ですが、この曲は知りませんでした。

 調べてみたら、これは1979年9月9日の発売。彼女たちのこの頃のシングルを時系列でみると、

1978年12月 「カメレオンアーミー」発売
1979年3月  「ジパング」発売
1979年5月  「ピンク・タイフーン」発売
1979年7月  「波乗りパイレーツ」発売
1979年9月  「Kiss In The Dark」発売(全米デビューシングル)
1979年9月  「マンデー・モナリザ・クラブ」

ということになります。私はまったくファンではなかったのですが、このシングルの発売ラッシュはどういう事情でしょう。「ジパング」でシングルのオリコン1位の連続記録が途切れたそうですが、その後にかえってシングル連発というのは興味深いですね。

 あらためて聞いてみると、その「マンデー・モナリザ・クラブ」はディスコ調の曲でドナ・サマーのカバーだと言われれば私は信じてしまうかもしれません。レコードで聞くとかっこいいです。

 ピンク・レディーのお二人というと、とにかく忙しすぎて当時の記憶があまりないとか聞いたこともあります。なにしろ事務所が移動時間を考慮せずにあちこち仕事を入れるものだから、どこの現場も自分たちの入りを待ってから収録開始で、行く先々で待たせたことのお詫びばかりだったとか。

 その辺、事務所がもうちょっとうまく対処できなかったのだろうかと思いますが、事務所があってレコード会社もあって、当時の芸能事務所というと所属歌手を商品のように扱ったことがあったのかもしれませんね。芸能界のことは実際はわかりませんが。

 ピンクレディーはまったくファンではなかったので、当時のインタビュー記事なども見たことないし、どういうところを目指していたのか、自分たちの意向は尊重されていたのか、アメリカには行きたくて行ったのか、などまったく知りません。ただ、一番好きな曲が「マンデー・モナリザ・クラブ」というあたりは色々な事情が推察されます。

 なんにしても、彼女たちはあれだけヒット曲があったのだから、当時の熱狂を知らない若い人がサブスクで曲だけ聞いてあれこれ評価しているかもしれません。映像無しで曲だけ聞いた場合は、どういう風にとらえるのでしょう。

 レコードで聞くとアレンジはどれも素晴らしくかっこいいし、声の組合せも面白いと思うので、あのハーモニーを聞いてから動画サイトで映像を見るか、あるいは逆のパターンで映像から入ってレコード音源にはまるか。私のようにリアルタイムで見ていた世代はシングルの順番まで思い浮かびますが、その辺も無しにしてどういう曲が現代でウケるのかは興味あります。

 ただ、若い人は音源も映像もタダなのに慣れ切ってると思われ、先週出たDVDボックスは簡単には買わないでしょう。それを考えると、はまる若者が多いとしても経済効果とか、他の昭和アイドル歌謡作品への波及効果は期待できないかも。その辺はなんとかビジネスに結びつく世の中になって欲しいと思う次第です。