昨日は放送記念日だったそうで、NHKで「激震マスメディア~テレビ・新聞の未来~」という討論会をやってました。ちゃんと見れば見所もあったのかもしれませんが、パソコンやりながらだったのであまり記憶になし。
パネリストには新聞協会会長とかNHKの偉いさんとか、あとはニコ動の社長とかいろいろ出てました。要するに既存のメディアとネットの立場からの討論ということだったのですが、噛み合ってなかったというかそもそもそんな短時間に新聞もテレビもネットも論じようというのが間違い。
私としては、新聞にもテレビにも「もっとしっかりしいや」と思いますが、ネットの世界も信用できない部分が多すぎるので、結局はお互い補完しあってというのが理想と思います。ニコ動の社長は「若い人ではまったくテレビを見ない人も多いんですよ。これは声を大にして言っておきたい」と言ってたのですが、テレビのニュースもまったく見るに値しないわけではないと思いますから、それを自慢するのもいかがなものかと。
それとネットユーザーのみんながみんな暇があればニコ動を見てるわけでもないでしょう。(私も見てませんし) また、ニコ動とかYouTubeで見逃したテレビ番組とか昔の番組を見てたりするのなら、それは「テレビを見てない」というのとは違うんじゃないかなぁと。
番組では岡田外務大臣の会見にニコ動の記者が取材に行った様子が紹介されてて、社長曰く「衆議院と参議院の違いもわからないような奴が取材に行ったのですけど、それがかえってうけちゃって…」と言ってました。そんなもんなんでしょうか。
毎日新聞夕刊編集長だった近藤さんがラジオで言ってた話。「この先は危険だから立ち入り禁止と言われても、50m先にビンラディンがいるとわかってて行かない奴は馬鹿だ」と。報道記者魂のある人なら、地雷を踏んだらサヨウナラ、空爆されたらサヨウナラと思って取材に行くのでしょうが、ネットのニュースではそこまで望めないような気がします。次元が違う話かもしれませんが。もっとも、既存メディアといってもフジの女性アナにそんな大層なことを求めたりしませんけど。
既存メディアに対しては「スポンサーや大手芸能事務所のしがらみで制約が多いように見受けられる」という視聴者からの批判がありました。これもごもっとも。
ということで、やっぱり相互補完を望みたいところです。融合というのとはちょっと違うかと。それにしても、新聞の立場からはもっと若い人に出て欲しかったですね。新聞の将来を考えるなら、数十年先を見ませんと。
パネリストには新聞協会会長とかNHKの偉いさんとか、あとはニコ動の社長とかいろいろ出てました。要するに既存のメディアとネットの立場からの討論ということだったのですが、噛み合ってなかったというかそもそもそんな短時間に新聞もテレビもネットも論じようというのが間違い。
私としては、新聞にもテレビにも「もっとしっかりしいや」と思いますが、ネットの世界も信用できない部分が多すぎるので、結局はお互い補完しあってというのが理想と思います。ニコ動の社長は「若い人ではまったくテレビを見ない人も多いんですよ。これは声を大にして言っておきたい」と言ってたのですが、テレビのニュースもまったく見るに値しないわけではないと思いますから、それを自慢するのもいかがなものかと。
それとネットユーザーのみんながみんな暇があればニコ動を見てるわけでもないでしょう。(私も見てませんし) また、ニコ動とかYouTubeで見逃したテレビ番組とか昔の番組を見てたりするのなら、それは「テレビを見てない」というのとは違うんじゃないかなぁと。
番組では岡田外務大臣の会見にニコ動の記者が取材に行った様子が紹介されてて、社長曰く「衆議院と参議院の違いもわからないような奴が取材に行ったのですけど、それがかえってうけちゃって…」と言ってました。そんなもんなんでしょうか。
毎日新聞夕刊編集長だった近藤さんがラジオで言ってた話。「この先は危険だから立ち入り禁止と言われても、50m先にビンラディンがいるとわかってて行かない奴は馬鹿だ」と。報道記者魂のある人なら、地雷を踏んだらサヨウナラ、空爆されたらサヨウナラと思って取材に行くのでしょうが、ネットのニュースではそこまで望めないような気がします。次元が違う話かもしれませんが。もっとも、既存メディアといってもフジの女性アナにそんな大層なことを求めたりしませんけど。
既存メディアに対しては「スポンサーや大手芸能事務所のしがらみで制約が多いように見受けられる」という視聴者からの批判がありました。これもごもっとも。
ということで、やっぱり相互補完を望みたいところです。融合というのとはちょっと違うかと。それにしても、新聞の立場からはもっと若い人に出て欲しかったですね。新聞の将来を考えるなら、数十年先を見ませんと。