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ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

礼儀の薄れゆく社会

2010年07月05日 | 随筆・短歌
 最近は、「長幼の序」等という言葉は死語になったのでしょうか。やたらと平等意識が支配して、人と人の間に自ずから存在する筈の礼儀を、わきまえない人間が沢山闊歩するようになって来たように思います。
 先日あるテレビニュースを見ていましたら、菅総理大臣に向かって、テレビキャスターが菅さん、菅さん、と呼びかけて話をしていました。私のような年寄りには、少しこのテレビキヤスターは、常識に欠けているのではないかと感じられました。少なくとも日本国の総理大臣にたいして、「菅さん」とは・・・。
 そして、同じ質問を何度も繰り返すのですが、これは総理の説明が彼には理解出来ないせいなのか、或いは言質を取ろうと故意に質問を繰り返しているのかのどちらかに見えました。その上最後は「しっかり頑張って下さい」と締めくくったのですが、この言葉もいやしくも総理大臣に申し上げる言葉ではないように思います。
 「昔陸軍、今マスコミ」と言われるようになって、もう久しい年月が経っています。確かに地位や名誉のある人は、マスコミを敵にしたら、怖いことだと思います。筆一本で葬られてしまうのですから。
 参議院選挙が近づいて来て、政治家は自分たちのしてきたことを忘れたように、他党の批判に明け暮れしています。同じ考えを持っていたら、この国の為になることは、なぜ党派を越えて協力しないのでしょうか。
 Aの党もBの党もCの党も、自分達の主張を言い張るばかりで、ではどうすべきか、というと具体案はないか、もしくは素人の私にも「それではどうしようもない」と、思われることしか言いません。批判の為の批判であって、建設的な前向きな意見とは、とても思えません。
 テレビ局は、国の政治より、サッカーに熱中したり、他国の俳優の死の方が大切らしく、それを悪いとは一概には言いませんが、ニュースの内容の軽重をもっと吟味して、放送して欲しいと思うのです。
 話は変わりますが「サムライ」とはどういう人のことを指して言うのでしょうか。日本サッカーのチーム(オリンピックの時は野球チーム)を指して、サムライジャパンと言うようですが、どういう価値観を持ってこう名付けたのでしょうか。武士道とは、忠義を第一義とする価値観であり、美学でもあって、武士道の理念を表した「葉隠(はがくれ)」には、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」と書かれているのです。
 諸外国では、「ハラキリ」を連想させる「サムライ」という言葉に、どう感じているのでしょうか。無学の私は知りませんが、たしかペルーの日本大使の母親も息子をサムライと称して、世間の失笑を買った記憶があります。
 サッカー選手達の素晴らしい活躍に感動した私ですが、選挙戦に血眼になっている政治家に目を転ずると、政治家こそ日本を背負うサムライであって欲しいと思わずにはいられません。この場合の忠義の対象は、国民です。
 はてさて、テレビを見ては、直ぐにカッカとし易い私のこと、この辺で外に目を向ければ、今紫陽花が梅雨空に美しい花を付けています。殊更に紫陽花好きの私達夫婦は、切り過ぎないように気を付けながら、「お陰様で今年も紫陽花がきれいに咲きました。楽しんで下さい」と語りかけて、新しい花を切っては仏壇に供えています。
 庭の紫陽花でも眺めながら、もう少しゆとりある心で世の中の出来事を眺めることに致しましょう。

 苛立ちて尖りゆく心をなだめつつ青きあじさゐに降る雨を聴く (再掲)


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