ばあさまの独り言

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芭蕉の句碑の想い出

2017年06月07日 | 随筆
 深い緑の美しい水無月になりました。やっと毎春恒例の、竹塀磨きや苔庭の細かい草取りが終了して、小さな旅に出掛けて来ました。
 毎年気候の良い季節を選んで、故郷のお墓へのお参りと、今は取り壊した実家の跡地に立ち寄り、それぞれ記念写真を撮って、最後はゆったりと温泉で一泊して来るのが習いになっています。
 ところが今年は思いがけない「おまけ」が付きました。実家の土蔵の隣に
「古池や 蛙飛びこむ 水のおと」
という、高さ2メートル 幅70センチ位の、自然石の芭蕉の句碑がありました。句碑から石段を少し降りたあたりに昔は瓢箪池があり、石碑の傍を通って水が池に落ちていたようです。池の中程に幅70~80センチ×2メートル位の大きな石橋が架かっていました。大きな牛が寝そべったような形で笠が円形の灯籠や、手水鉢などもありました。木々が茂る庭としては、池に飛び込む蛙の音がふさわしい感じだったのでしょうか。
 祖先には、芭蕉の弟子のそのまた弟子に当たるらしいと伝え聞く俳人がいて、この石碑などを作り、「嬉しさや 敷居またげば 花の道」と言う辞世の句がこの句碑の裏に刻んであります。安政3丙辰年(1856年)9月吉日と刻まれているのが、やっと読める位です。黄泉への旅立ちを、このような気持ちで迎えようとしていたのかと、そこに深い仏教への信心を感じます。
 私は小学校入学前の年に、高校教師の父と母や兄弟姉妹と共にこの家に戻って来たのですが、大きな池は家が湿気るからと、石橋と灯籠・飛び石・樹木などを残して埋められていましたから、茶人でもあったこの祖先の作った庭の全貌は伝え聞くだけでした。
 ところが今年になって、この石碑と前庭にあった石風呂が文化財として、実家近くに出来た公民館の前庭に移築されました。
 結婚後に子供連れで実家に帰る折々に、句碑の前で撮った写真が残っていますから、懐かしくて今でもお墓参りの帰途に寄ることにしています。
 綺麗に磨かれた句碑と、「子供が落ちたりすると危ない」と半ば埋められていた石風呂が全貌を現して並び立ち、真ん中に「由緒書き」が建てられていました。
 石風呂は父母に聞いた通り、円形の深い石のお風呂で、釜の部分がくり抜かれていました。ゆったりと庭の石風呂で優雅に夕涼みを楽しんだであろう祖先を、偲ぶよすがになりました。
 芭蕉の句碑については、また格別な深い思い出があります。夫の友人に公立医科大学の助教授だった人が居たのですが、年老いて病がちになったその方が、「金沢へ芭蕉の句碑巡りに行きたかったのだけれど、もう行けなくなって心残りだ」と夫との電話の中で、ポツリと漏らしたのです。それは今から10年前の夏の事です。
 夫が、「では代わりに、私達夫婦が句碑巡りをして、写真を撮って来てあげよう」と云い、その年の秋に出掛けました。先ず金沢市にある芭蕉の句碑を調べ上げて、見学順を決めました。
 最初の成学寺境内には、山門を入って直ぐに「芭蕉墳」があり、背面に「あかあかと日はつれなくも秋の風」と彫ってありました。丁度夫の胸の高さくらいあったでしょうか。風雨に曝されて苔むした芭蕉墳には、それなりの趣がありました。
 この境内には又、若くして亡くなった芭蕉の弟子の「小杉一笑」の「一笑塚」がありました。丸みを帯びた「一笑塚」と刻まれた塚には、ピンクの秋海棠と緑の小笹が植えられていました。
 野町一丁目には念願寺があり、山門脇に芭蕉翁来訪地・小杉一笑墓所という石碑が建ち、「つかもうこけ我泣く声は秋の風」の一句が彫られていました。境内の一笑塚は、成学寺の丸石とは違って大きく、真ん中に一笑塚と大書してありました。右端に「心から雪うつくしや西の雲」という一笑36歳の辞世の句が添えて彫られています。ここは、小杉家墓所になっていて、一笑も此処に眠っているのです。
 一笑塚の傍に、塚と小杉一笑の説明の立て看板がありました。芭蕉は一笑の早世を悲しみ「塚も動け」という強い言葉で悲しみを表現したのですが、芭蕉の深い悲しみが伝わって来て、胸ふたぐ思いがして、しばらくはその場を立ち去る気にはなれませんでした。
 兼六園小立野の山崎山の登り口に立つ句碑は、金沢の俳人「梅室」の筆で「あかあかと日は難面(つれなく)も秋の風」と刻まれていました。本長寺境内の句碑には「春もややけしき調ふ月と梅」の句碑が、寺町五丁目の長久寺は訪れる人も無いような閑寂な境内に「秋涼し手毎にむけや瓜茄子(うりなすび)」の句碑がありました。
 それぞれに写真を撮り、帰ってからコメントをつけ、小冊子に製本して、送ってあげました。夫の友人は、「白川までは行ったのだけれど、金沢が後回しになって・・・」と、冊子を喜んで下さいました。
 病がちだったその友人には、好きだという歌手の歌やクラシックCDなどを編集して、当時はテープが主でしたから、何本も送って上げました。彼はそれを擦り切れるほど聴いたと、喜んで下さいました。歌は越路吹雪が一番好きだ云い、クラシックはべートーベンを一番喜んだようで、それらのテープを大切にして下さったようです。
 たいていは暇な私が、夫の云うままに、楽しみ楽しみ編集させて貰い、これも忘れがたい想い出です。もう5年前に亡くなられました。少しずつ大学の同期の友人が減って、夫もメールや電話をする相手が少なくなりました。
 芭蕉が取り持ってくれた縁について考えると、長く豊かな時間が、其処に流れていることに気づきます。私も今思い出して書かなければ、ただ通り過ぎて行くだけの時間であったかも知れません。改めて当時の冊子やアルバムをひもといて、芭蕉翁の素晴らしい俳句と、それに触れた小旅行などを思い出して、ひととき懐かしく往時を偲ばせて貰いました。

 
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