ばあさまの独り言

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尊厳死について

2024年04月19日 | 随筆
 私は古くからの日本尊厳死協会の会員の一人です。もう加入して何年になるのか忘れてしまいました。今年度は尊厳死協会の会費を納めましたら、「私は日本尊厳死協会の会員です 延命措置は希望しません」というラベルに「会員番号 名前」が記入できるような用紙が、会費領収の通知書に入って来ました。早速番号と名前を記入して私の健康手帳の裏表紙などに貼りました。小型のラベルが沢山同封してありましたから、万一の時に直ぐに提示できるように持ち物のあれこれに挟めました。

 いつのことでしたか、脚本家の倉本聰氏の「そしてコージは死んだ」という一文を読みました。末期の癌に冒された友人が、亡くなる前になって苦しみ抜いているのに、少しでも長生きするように延命措置を繰り返す医師の様子を怒りをもって書いていました。「このようなことは間違っている。どの様な死を希望するかは本人が決めるべきだ」と言う趣旨の投稿だったと記憶しています。
 私のような高齢者だから言えるのかも知れせんが、私も末期に過度な蘇生術はして欲しくありません。苦しみだけで助からない高齢者は、楽に死なせて欲しいです。そういうのを尊厳死というのだと思っています。先頃国会でも話題になって思い出しました。
 長い年月を経てようやく国会で日の目を受けるまでになったことを私は大変嬉しく思っています。

 私は夫の両親と同居していましたから、義両親二人と実の両親を病院で最後を看取りました。先立った義母のベッドサイトで看病をしていた私は、夜中に次第に呼吸が荒くなった事に気づいて、看護師さんに「家族を呼んだ方がいいようですね」と聴きました。看護師さんが頷いたので、直ぐに我が家へ電話して夫に病状を説明し家族や間に合う親戚に集まって貰いました。この時は当時東京の大学にいた娘は間に合いませんでしたが、その他は義父母の子供達もまだ息のあるうちに全員ベッドサイトに集まり、義父母に可愛がられて育った孫達も、手を握ったり身体を撫でたりして見送る事が出来ました。
 遥か昔、私の祖父も両親達もそうでしたし、親しい間柄の人達や友達まで、何とか駆けつけてくれて見送る事が出来て幸せでした。最後にスウーッと呼吸が引いて行く様子を見て「お疲れ様でした。有り難うございました。」と心の底から感謝して見送る事が出来たのでした。

 人の最後は「神秘的」と言えるような崇高な気持ちになるものだと知りました。死が近づくとエンドルフィンという物質(内因性モルヒネ様物質)がほ乳類の脳や下垂体から出るのだそうです。ですから普通に亡くなる場合は苦しんだりせずに亡くなるものらしいです。産まれる時がそうであったように、死ぬ時も神のご配慮によるものだと思っています。有り難いことです。

 キュブラー・ロス博士の臨死の瞬間の快感は神のご配慮としか考えられない崇高なものだと思います。過度な延命治療はこの神の厚意に逆らう行為であって、決して褒められたものではないと思います。
生と死の決断を強いられる医療関係の皆様、どうか命は誰のものなのか常に忘れないで戴きたいと思います。
 今日は花曇りの一日で、黄色いレンギョウや赤い椿が緑の苔庭に散りかかっています。風もなく静かに時が刻まれています。午後は歯科医に行って、この先歯科医のお世話にならないで良いように治療を完結して貰おうと思っています。


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