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ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

論語に学ぶ「思いやりの心」

2014年09月06日 | 随筆・短歌
 最近また論語が懐かしくなり、読み返しています。親しまれている一つに、次の文があります。
 「子曰く、其れ恕(じょ)か。己の欲せざる所、人に施すことなかれ」
 恕とは思いやりです。「人間の一番大切なことは(思いやり)である。自分が望まないことは、人にやってはならない」ということです。この思いやりは、孔子の哲学の根本の「仁(じん)」の中心にあるものだといわれます。
 自分と同じように他人を思いやる、優しくする、相手を許す、といった事を実践する事、と解釈すれば良いのでしょうか。
 私は、最近の経済至上主義が、人間の心の荒廃につながって来てはいないか、と心配しています。豊かな経済、豊かな暮らしは誰しも望みますが、その欲望は何処までいっても満足出来ないものであって、その結果自己本位が強くなり、自分さえ良ければ、人のことなど考える暇も無ければ余裕も無い人間が満ちあふれた社会になって行くことでしょう。その兆候として、責任を取ろうとしない人が政界・経済界・官僚はたまたマスコミの中に跋扈(ばっこ)している気がします。
 そこでこの孔子の教えを引いて来ますと、一番大切なことは思いやりだと説いています。
 企業は金、かねと儲けることを第一目的にするのではなく、そこで働く社員を大切にすること、また教育も豊かな人間性を育むことを第一に考えるようになれば、自ずといじめも減って、心地よい労働や勉学にいそしめる環境が生まれて来るのではないでしょうか。そうなって初めて平和を愛する国家、人間を大切にする国家へと変って行くものと思います。
 私達は、戦後の食糧難を知っています。あの時は、少ない食料を分けて食べました。お米一粒たりと無駄にしませんでした。それが今日では、コンビニなどで、時間切れの食べ物がどっさり捨てられていると聞きます。目を転ずれば、戦後と同じく日々を心安らかに食べられない子供たちが、この日本にもいるのです。
 眼の前の困っている人に手を貸してあげないとか、自殺者が増えても、殺人のニュースが毎日でも、平気になってはいないでしょうか。自分が困らなければそれで良い、将来の子供たちがどうなるか、等考えもしないというのは、矢張り人間としての教育をしっかり受けて来なかったからでしょうか。または、自ら目を背けて生きているのだろうかと思います。
 小渕経済産業大臣が、親として原発は心配だ、しかし原発は動かすことに決まっているから。と苦しい本音を言われましたが、福島の人達のことを考え、日本の未来を考えれば、原発の稼働は大いなる誤りだと思えます。
 政治にも経済にも疎い私ですから、こんなことを書いたら笑われるかも知れませんが、電気料が高くなっても、節約して何とか支払える位しか使わず、自然のエネルギーを巧みに使うことも、私達の年齢の人の中に、工夫する人も出るでしょう。
 日本中の人が室温29~30℃位まで団扇で我慢したら、原発無しでも乗り切れるのではないでしょうか。現在でも原発は一基も稼働していません。それでも何とかやっているではありませんか。
 また、現在高齢者の皆さんは、戦後の何もない時代から立ち上がり、高度経済成長時代の担い手ともなり、もう働けなくなって、年金暮らしになっています。恐らく日本の政府にとっては、こういった働けない人は少ない方が良いでしょう。しかしそうも行かないので年金の支給額を削って、帳尻を合わせようとしています。みな黙って我慢しているようですが、哀しいことですね。高齢者が年々増えていると政府が発表する度に、身を縮めて暮らさなければならないのはとても辛く淋しいことです。税金の無駄遣いをしないように、此処を切ったというはっきりした事実を聞きたいものです。
 私が愛読しているブログに「末永遍(すえながあまね)新・心の原風景・苦悩の克服」というのがあります。2014年8月30日付けで「古代と現代の政治姿勢」というのが載っていました。その中の次のような所に目を引かれました。

『日本の歴史 04 平城京と木簡の世紀』(渡辺晃宏著 講談社学術文庫)を読みました。それによりますと、大宝律令(西暦701年制定)のもとでは、八十歳のご老人にはヘルパーさんがつくような仕組みになっていたそうです。ヘルパーは血縁者がなり、課役を免除されるなど様々な特権が与えられたそうです。九十歳になるとヘルパーが二人つき、百歳になると五人つくことになっていたそうです。
 当時はそんなに長生きする人はほとんどいなかったでしょうから、この制度がどれくらい生かされたか疑問ですが、このように高齢者と申しますか、弱者を大切にする発想が、国の方針としてあったことに驚かされます。国としては財政上、得なことではなかったでしょうが、損得勘定を度外視した福祉政策を持っていたわけです。中国を見習って作った律令ですから、中国にそういった制度があったのかも知れませんが、それでも立派なことだと思います。

(以上引用文)

 私は大いに驚きました。確かに今とは長生きの年齢が違うでしょうから、そのままは現在の日本にも応用することは無理ですが、そういう心が当時の為政者にあったことが驚きです。
多分私達の年齢の人達は、我慢することには慣れていると思いますが、それでも自分が亡くなった後の未来の日本の事が心配です。年を取って初めて解ったこと、それは未来をもっと大切に、その時代に生きる人々のことを真剣に考えて政治を行い、国民はそれを注視しなければならないという事です。
 思いやりの心、それこそが、これから益々大切にしなければならないことでしょう。その教育は何処で誰が、どの様に行ったら良いのでしようか。それすらも考えられていないように思えて、不安なのです。そうしなければ、日本人の美しい心は毀れて行くばかりです。私も含めて、このことの重大さを広く認識してもらい、大いに努力したいものです。

廻り来る自然の則に従ひて紅葉も吾も秋を生きゐる

虫たちの妙なる楽を聞きながら鳴けない虫に心寄す夜半

(某誌に掲載)
 

過ちは誰にもあるけれど

2014年08月24日 | 随筆・短歌
 「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」皆さんご存知の論語です。過ちは誰にもあります。日常的に、聞き違い勘違いによっても起こります。気が付いたら、直ぐに訂正すれば良いものを、私なぞは、突拍子もない過ちを犯したりすると、つい気後れがして、そのまま無為に時間を浪費したりします。すると益々事態は悪化することになってしまいます。 
 この度の広島の大災害についても、行政の「避難指示が遅れたのではないか」といわれました。初めは、「少し遅れたと思う」と反省した市長の態度について、あるテレビのニュースで、「正直な市長ですね」と言われていました。私も今時珍しく、あれこれ言い訳をして責任逃れをしないことに、同じように感じていたのですが、今日のニュースでは、突然前言を翻して「指示書通りに行った」と言っていました。災害が起きた時間と避難の指示のでた時間を並べて見ても、誰もが「遅すぎた」と感じた筈です。矢張り責任を回避しようとしているのでしょう。
 災害は起きてしまったことで、この記憶を忘れずに、次に備えるのが行政の責任だと思いますが。最近の政治家はすべからく、自己保身に走りがちで、その姿をいやという程見て来ました。言い逃れは、不信感に繋がります。正直に誤りを認めて謝る方が清々しいし、特に今回の災害は夜中でしたから、適正な指示が出ても矢張りこのような被害が起こった可能性があります。
 誰しも雷が恐ろしいですし、加えて経験したことも無い程の大雨の中を、果たして深夜外へ逃げられたかどうか解りません。坐して死を待つ結果になったかもしれません。そのような場合、行政の責任をそんなに問うでしょうか。指示に従って避難した人は、3%位だと聞きました。
 もう一つ先のことを考えて、過ちに気付いたら改めて欲しいことがあります。それは次の東京オリンピックです。今何故東京でしなければならないのか、それが疑問です。多分それを景気浮揚の起爆剤と考える経済第一主義の念願なのでしょう。
 私はかねてから東北の大災害の復興を置き去りにして、オリンピックをする間違いを指摘して来ました。何処に予算をかけるか、国民の安心安全優先だとすれば、先ず東北の復興が先ではないでしょうか。更に今は、加えてこの天候不順と東京地方の酷暑の中で、オリンピックが果たして無事に出来るのでしょうか。戸外の種目は、熱中症になる選手や係員・観客が続出するのではないでしょうか。不幸にして、亡くなる人が出たりすれば、開催国として、どう責任を取ったら良いのでしょう。そうなる予想が立つ、この気候を熟知している私達日本人は、予めしっかり考えて、そのような危険から、多くの参加者を守らなければならないと思っています。もちろん政治家やオリンピック実行委員の人達も、当然対策は考えておられることと思いますが。
 一昨日のテレビのアンケートに「東京オリンピックが、季節的に是か否か」とありましたが、確か90%位の人がNOと言っていました。多くの人が突然の豪雨やこの蒸し暑さが、とても耐えられないと言い、母国よりも暑いとしいう外国の人もいました。特に屋外の競技は、悲惨な状態を招くのではないでしょうか。心配の先取りをしやすい私ですが、不安です。外国の選手には、きっと大打撃でしょう。マラソンなどは、競技にならないかもしれませんし、沿道の観客もばたばた倒れてしまうかも知れません。
 少なくとも秋にするとか、何処かの国に代わって頂くとか、私は出来たらそうして頂きたいと思います。現在でも、津波の災害と原発の事故以来、草が生えたままの、東北の荒れ野の状態や、放射能の汚染水をどう閉じ込めたら良いのか、計画が頓挫している状態で、汚染水の処理も目途が立っていません。「ようこそ、安全な日本へ」とこの状態では、とても言えないと思っています。そのような所に住まざるを得ない人々を、何時もお気の毒だと思っています。
 放射能汚染の処理は、頬被りして過ごす訳にはいかない状態であって、早く解決しなければ、とじりじりする思いで見つめています。
 大事な情報を隠したり、不安があっても「大丈夫」と隠蔽していれば、やがて真実が解った時の国民の怒り・失望は大きいものがあるでしょう。当たり障り無く傍観者になっていることはたやすいかも知れませんが、先に書きましたように、「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」ように、改める努力や勇気が必要です。さもないと不幸に見舞われ、長く良心の痛みを抱え込むことにもなります。
 

御霊迎え

2014年08月11日 | 随筆・短歌
 旧暦のお盆が近づきました。私もお盆の仕度をしています。仏具を磨き粉で磨き、仏壇の隅々まで新しい布で拭きました。お花も買って来ましたし、お菓子の供え物や果実の籠盛りもリボンをかけて供えました。これで仏壇はもう一杯のお盆の装いになりました。仏壇の前の左右に、回り灯籠を二つ、組み立てて供えました。回り灯籠が影絵を写しながら回りだすと、今年もお盆が来たかとしみじみと思います。
 何故か今年ほど、義父母や娘を親しく思い出し、「有り難う」と幾多の想い出に浸りながら、懐かしく楽しく仕事をした年も無い気がします。
 我が家では毎年仏具磨きは男性がすることになっていたのですが、今年は妹が「今日は久しぶりに涼しかったので、仏具などみんなで磨いてもうお盆仕度をしたよ」と言うので、それでは私も、と例年より可成り早かったのですが、直ぐにとりかかったのです。
 今エボラ出血熱が問題になっていますが、子供たちの予防注射も、検診も、みんな義父母にお願いしたのだったと、二人の子供のそれぞれに出掛けて頂いた数を考えると本当に沢山お世話になったと、しみじみと感謝しています。夏の暑い日には、義父は黒いコーモリをさして、「暑い陽に当たらないように」といって、お昼寝前のおんぶをして下さいました。体の弱かった義母に代わって、二人がかりで、私達の不在の間のお守りを全て引き受けて貰ったのでした。黒いコーモリのおじいさんのおんぶは、ご近所て有名でしたが、義父は一向に気にしませんでした。暑い夏の日には、朝からビニールのプールに水を張って、日光で温め、水遊びをさせてくれました。もちろんご近所の友達も集まりました。
 私達が庭に二人乗りのブランコを設置しましたので、子供たちも大勢集まり、みんなで乗って遊ぶのですが、なかに腕白な子もいて独り占めして、時折子供たちでもめるのですが、「代わりばんこにね」とよく義母が順番を決め、列になって仲良く乗っていた光景が目に浮かびます。
 少し大きくなると、子供たちは大勢の友達と徒党を組んで、あちらの家、こちらの家と「おじゃましまーす」と声をかけて、ドドッと二階まで駆け上がり、ひと遊びして、また「おじゃましました」と風の如く去って行きました。男の子が草野球をするようになると、私達が息子にキャッチャーミットや面や胸当てや、ボールやバットなど、揃えてやると、みんなで共用していました。 この団地が出来た頃に、丁度家を手にした人々の年齢が似ていましたから、子供たちの年齢も近く、少し離れた市営住宅からも集まって、真っ黒になって一塁しかない野球に熱中していました。 中に三振すると直ぐに泣く子がいて、初めは、みんなで集まって慰めていましたが、やがて少し時間をおくと、自分から立ち直って、元気に仲間に戻るようになりました。子供の世界は何と爽やかなものかと思ったものです。
 日曜日には、夫が毎回キャッチャーを買って出ていました。同じ仲間でザリガニ取りや、蜻蛉やセミを追いかけました。今の子供たちを思うと本当に様変わりしていて、大勢集まって泣いたり笑ったり集団で遊べた幸せな時代だったと思います。その代わりお誕生会となると部屋に入りきらない位大勢集まり、歌を歌ったりゲームをしたり、自分達でルールを決めて楽しんでいました。私はせいぜいフルーツパフェやサンドイッチを作って出したりしただけです。義母がお赤飯を沢山蒸して、一人に一つのパックをお土産に持たせてくれました。何と有り難いことだったか、今思うとそれも又義父母の大いなる愛情に支えられていたのです。
 歳をとるにつれて義父母には、感謝の気持ちがどんどん脹らんで、フトしたことで大変お世話になったことを思い出すようになりました。ですから、お盆の御霊迎えは、私には、心を込めてする、有り難く楽しい仕事なのです。
 義父母に一番感謝していることは、夫を産んで下さったことです。これは何をおいても忘れられない有り難いことです。そして二人のわが子に恵まれ、楽しい家族ができました。何を忘れてもこのことだけは生きている限り忘れず、感謝しなくてはなりません。何と楽しい日々だったか、今はただ有り難い想い出として胸に焼き付いています。
 仏壇の遺影に向かって、「主人と巡り合うご縁を頂いて、有り難うございます。二人の子供も授かりましたし、良い家庭で、ささやかですが、幸せに過ごして居ます。娘はそちらで元気でしょうか。娘よ、もうじき私達も逝きますから、待っていてね。」と途切れる事の無い話しが続きます。
 この幸せな暮らしを続けていられるのも、皆さんに守って頂いているからだと思い、「お陰様で、今日も無事に元気で過ごさせて頂いています。」と心から手を合わせて感謝します。
 本当に、ご先祖さま、特に一緒に暮らした先だった人々の御霊をお迎えして、短い間ですが、共に暮らせるお盆を有り難いと思っています。

故郷の盆の慣わし笹寿司を今年も作る嫁して五十年(某紙に掲載)
 

外見で差別しないで

2014年07月31日 | 随筆・短歌
 言葉は私達の心を伝える大切な道具です。正しい言葉遣いは相手に自分の思いを正しく伝える上で重要です。日本語は一つの事柄が様々な言葉で表現されますから、特に言葉の使い方が難しいと言われます。
 私がよく感じることなのですが、外国語の会話を日本語に翻訳する人が、話している外国人の外見から、その人を差別して、翻訳していると思われることがしばしば見られます。通りすがりの人や、事件の後に居合わせた人にマイクを向けて意見を聞く時、又は大リーグの感想などを観客に聞く時などに、よく感じることです。
 意見を聞かれている人の服装や外見で、どうも翻訳に差別があるように感じます。返答した相手が、キチンとした服装、或いは地位の高そうな紳士には、丁寧な言葉の日本語が使われますが、少しくだけた服装や、皮膚の色などで、可成り乱暴な言葉遣いになることが往々にしてあります。
 例えば「恐ろしいことだと思いますね」「おっかねぇことだっておもっちまうなぁ」と言ったふうに、字幕にその言葉が出ます。雰囲気を伝える積もりかも知れませんが、私は礼を欠いた行為に思えて不快になってしまいます。一つの言葉を人間の外見から区別して翻訳するのでなく、たとえ回りの雰囲気を伝えたいとしても、その訳には、相手の心が大切に表現されるようでないといけないと感じます。それは翻訳する人の心の謙虚さによるような気がします。おのづと超えてはならない限界をしっかりと保持しているかどうか、だと思うのです。必要以上に侮蔑的な言葉があったりすると、ついその翻訳者が薄っぺらな心の貧しい人のように感じてしまいます。
 私達も服装で、人を区別しやすいところが無いとは言えず、反省させられます。先日夫が経験した話しですが、あるゴミ捨て場の近くで、老婦人がゴミを持って歩いておられました。すると、その人の後ろから追いついた若者が、「私が持って行ってあげましょう」と手を出したそうです。老婦人は「いいえ直ぐそこですから」といいましたが、その若者は、「どうせついでですから」と婦人からゴミを受け取りました。老婦人は「有がとうございます」と頭を下げて戻っていかれたそうです。
 その若者の姿形は、金髪に近い茶髪で、裾がだぶだぶのズボンをはいていて、ともすると敬遠されがちな人だったようです。やがて夫はその老婦人に追いついたので、「さっきの若者はお知り合いですか」と聞きました。「いいえ全く知らない人です。」と仰いました。夫は「立派な若者ですね。今朝は良いものを見せて頂きありがとうございました」と言うと「最近はたまにそういう人が居られるのです」とのこと、夫は感激して帰って来て話してくれました。
 人をその服装で区別してはいけない、と言うことは「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言った福沢諭吉を引き合いに出す迄もなく、誰しも知っている当たり前のことです。ところが現実は必ずしもそうはなっていないことは、誰しも認めるところでしょう。
 特にインタビュァーには、その心で、相手に向かって欲しいですし、翻訳をする人は、勝手に人を差別することなく、謙虚に言葉を選んで欲しいと思います。
 最近ある地方紙に相馬御風の言葉として、 
 「味ひは物にあるのではない。それを味ふ人にある。それを味ふ心にある。」とありました。料理が好きな私は、この言葉に感動しました。
 私は、この「味わい」という言葉を「人間の価値」という言葉に置き換えて、人の立派さを判断するとき、
 「人間の価値は外見にあるのではない。その人を判断する人間にある。その人を判断する心にある」となって、矢張り相馬御風の心の深さを感じました。


子育てに最も大切なもの

2014年07月19日 | 随筆・短歌
 このほど夫婦の間の子として育って来た子供が、父親のDNAが異なった場合、親として育てて来た男性を親とするか、DNAが一致した男性を親とするかについて最高裁の判決がありました。
 「生活を共にして来た育ての親が、親である」という判決でした。私はホッとしました。
 人間は、遺伝子に依りそのDNAに左右されて、生まれて来ます。背が高いとか、目鼻立ち皮膚の色など、加えて性格・素質なども遺伝子の作用で、親や祖父母に似て生まれてきます。
 しかし、生まれた後は、育てられる環境により、様々な性格や才能が引き出されて、その特有の自我や個性を持った一箇の人間として成長していきます。
 世の偉人と言われる人が「私はこの人に出会ってこの道に進んだ」と聞くことがあります。このように人との出会いや、書物との出会いが動機となって、優れた能力を発揮する人が多く居ます。
 しかし、人間は生まれた直後から「三つ子の魂百まで」と言われる様に、特に幼い内の環境がとても大切になってきます。
 皆さんは「野生児」の話を聞かれたことがあると思います。人間の子として生まれながら、オオカミやサルのような動物と共に育てられた人の話です。偶然発見されて人間性を取り戻すための教育が成されました。しかし、殆どは、同年齢の人間と同等な行動はとれませんでした。保護された時、人間の言葉を理解出来なかった彼らは、自分がどのように育ったのか、言えませんでしたから、本当に動物に依って育てられたのか、病的な育ち方や、隔離されて育てられたのか、結論を導き出すのは難しかったようです。
 しかし、一歳未満の幼児が日々覚えていく様々は、驚くばかりです。このことから考えても、少なくとも生まれて間もなく隔離されたりして、正常な愛情を受けて育てられなかった子供は、後々まで人間らしい思考や行動が出来なくなるということは、想像出来ます。更にどんなに優れた素質を持って生まれてきたとしても、育てる環境によって、人間は変わるということを示唆しています。幼児教育の重要性をこれ程知らされることはないでしょう。
 今回の場合、父親のDNAと子供のDNAが一致しなかったわけですが、ずっと夫婦として過ごし、子供に親としての愛情を注いで来た訳ですから、その人を親として認定するのが当然だと思います。
 女性の地位が向上し、自己を高める意志が強くなったが故に、離婚する夫婦がが増えて来たのかも知れません。離婚によって、生まれた子供を父親が育てるか母親が育てるか、裁判になることも多くなりました。
 私はこの現象をとても心配して眺めています。何故このように離婚が増えたのでしょう。お互い我慢するとか、協調するとか、力を合わせて家庭を作り上げて行こうとすることが出来なくなったのでしょうか。
 子供の立場から見たら、両親が揃って愛情深く育てられるのが何より幸せなことです。親の勝手で簡単に離婚したら、子供は不幸になることが目に見えています。子供にとっては一生涯一人親になるのですから、堪らなく淋しく不安でしょう。目の前で繰り返される夫婦ケンカも耐えられないことでしょう。想像しただけで胸が痛みます。
 片親で育つ子供は、離婚ばかりではなく、事故や病気でやむなく親に永遠の別れをしなければならない人も多いのです。片親が子供を育てる苦労は、並大抵なものでは無いと思います。どんなに努力しても、子供にとって満足のいく愛情を与えることは不可能でしょう。ですから何とか協力して、離婚が避けられるものなら、それが次の世代を担う子供にとって最も望ましいことです。
 アメリカ映画の名作「クレーマー・クレーマー」を思い出します。家庭の中でばかり過ごしていた母親が、自分も自立したいと願い、突然家を出て行くのです。急に5~6歳の子供を抱えた父親は、自分の会社の地位を捨てて、安い給料しか貰えない職場に変わっても、息子の通学の面倒から家事、育児に全力で取り組みます。その子供への父親の努力と愛情が素晴らしく、子供も次第に父親を慕うようになっていきます。父親と子供の間に通う愛情にはほろりとさせられます。
 やがて母親が親権を主張して裁判を起こすのですが、子供の年齢からも、父親より母親に親権が委ねられることになってしまいます。いよいよ別れの日が近づいた時、父は子供に事情を説明し、母の処へ行きなさい、と言って聞かせるのですが、子供は泣きながら拒否します。このシーンは何回見ても泣かずに見ることは出来ません。別れの日が来て、母が迎えに来るのですが、子供の様子から全てを察した母は、自ら身を引いて、子供を夫に委ねて帰って行きます。何度も見ましたが、何時も泣ける映画です。
 主演のメリル・ストリープもダステイ・ホフマンも大好きな名優ですし、子役は映画界きっての名子役として有名になりました。
 諸外国では、親の無い子や、親が育てられない子供と、養子縁組みという形で、子育てをする人が多いようです。最近のニュースに子供の遺棄や虐待の話を聞くと、このような親に育てられるくらいなら、養子縁組みの方が恐らく良いと思えて来ます。
 大切なことは、生まれた子供たちが、安心して暮らし、必要な教育を受けて、一人前の大人になる事です。これは紛れなく、どの国にとっても第一の基本的な重要政策です。今まさに女性の地位向上が言われていますが、その為に子供が犠牲にならないように、充分な対策をお願い致します。
 私の友人は、離れた処に娘さんがいて、二人の子供を育てていますが、小さい頃から、おはようのハグを欠かさないと聞きました。高校生になっても、未だ続いていると聞きました。日本人は、「愛している」と口に出すことをはばかったり、ハグになれていないようですが、最近の親御さんは、ハグに抵抗がなさそうです。体の一部をくっつけて、皮膚を通して心を繫ぐということは、子育てにおいてもとても大切なことだと感心して聞きました。
 一方、夫の知人に、外国の貧しい国の男子学生に、卒業までの学費の援助をしている人がいます。大変立派なことだと思って尊敬しています。このように我が子を愛し、我が子のいない人は、世界の子供の学費の援助をしたり、日本の足長育英制度の支援者として協力することが、どんどん増えて行ったら、素晴らしいことだと思っています。
 
どうせならユニセフのものを買ふと息子(こ)はカタログ見つつ飢餓を話せり(あずさ)

名も知らぬ誰かが誰かと助け合ふ温さに満ちし国でありたし(あずさ)