ばあさまの独り言

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子育てに最も大切なもの

2014年07月19日 | 随筆・短歌
 このほど夫婦の間の子として育って来た子供が、父親のDNAが異なった場合、親として育てて来た男性を親とするか、DNAが一致した男性を親とするかについて最高裁の判決がありました。
 「生活を共にして来た育ての親が、親である」という判決でした。私はホッとしました。
 人間は、遺伝子に依りそのDNAに左右されて、生まれて来ます。背が高いとか、目鼻立ち皮膚の色など、加えて性格・素質なども遺伝子の作用で、親や祖父母に似て生まれてきます。
 しかし、生まれた後は、育てられる環境により、様々な性格や才能が引き出されて、その特有の自我や個性を持った一箇の人間として成長していきます。
 世の偉人と言われる人が「私はこの人に出会ってこの道に進んだ」と聞くことがあります。このように人との出会いや、書物との出会いが動機となって、優れた能力を発揮する人が多く居ます。
 しかし、人間は生まれた直後から「三つ子の魂百まで」と言われる様に、特に幼い内の環境がとても大切になってきます。
 皆さんは「野生児」の話を聞かれたことがあると思います。人間の子として生まれながら、オオカミやサルのような動物と共に育てられた人の話です。偶然発見されて人間性を取り戻すための教育が成されました。しかし、殆どは、同年齢の人間と同等な行動はとれませんでした。保護された時、人間の言葉を理解出来なかった彼らは、自分がどのように育ったのか、言えませんでしたから、本当に動物に依って育てられたのか、病的な育ち方や、隔離されて育てられたのか、結論を導き出すのは難しかったようです。
 しかし、一歳未満の幼児が日々覚えていく様々は、驚くばかりです。このことから考えても、少なくとも生まれて間もなく隔離されたりして、正常な愛情を受けて育てられなかった子供は、後々まで人間らしい思考や行動が出来なくなるということは、想像出来ます。更にどんなに優れた素質を持って生まれてきたとしても、育てる環境によって、人間は変わるということを示唆しています。幼児教育の重要性をこれ程知らされることはないでしょう。
 今回の場合、父親のDNAと子供のDNAが一致しなかったわけですが、ずっと夫婦として過ごし、子供に親としての愛情を注いで来た訳ですから、その人を親として認定するのが当然だと思います。
 女性の地位が向上し、自己を高める意志が強くなったが故に、離婚する夫婦がが増えて来たのかも知れません。離婚によって、生まれた子供を父親が育てるか母親が育てるか、裁判になることも多くなりました。
 私はこの現象をとても心配して眺めています。何故このように離婚が増えたのでしょう。お互い我慢するとか、協調するとか、力を合わせて家庭を作り上げて行こうとすることが出来なくなったのでしょうか。
 子供の立場から見たら、両親が揃って愛情深く育てられるのが何より幸せなことです。親の勝手で簡単に離婚したら、子供は不幸になることが目に見えています。子供にとっては一生涯一人親になるのですから、堪らなく淋しく不安でしょう。目の前で繰り返される夫婦ケンカも耐えられないことでしょう。想像しただけで胸が痛みます。
 片親で育つ子供は、離婚ばかりではなく、事故や病気でやむなく親に永遠の別れをしなければならない人も多いのです。片親が子供を育てる苦労は、並大抵なものでは無いと思います。どんなに努力しても、子供にとって満足のいく愛情を与えることは不可能でしょう。ですから何とか協力して、離婚が避けられるものなら、それが次の世代を担う子供にとって最も望ましいことです。
 アメリカ映画の名作「クレーマー・クレーマー」を思い出します。家庭の中でばかり過ごしていた母親が、自分も自立したいと願い、突然家を出て行くのです。急に5~6歳の子供を抱えた父親は、自分の会社の地位を捨てて、安い給料しか貰えない職場に変わっても、息子の通学の面倒から家事、育児に全力で取り組みます。その子供への父親の努力と愛情が素晴らしく、子供も次第に父親を慕うようになっていきます。父親と子供の間に通う愛情にはほろりとさせられます。
 やがて母親が親権を主張して裁判を起こすのですが、子供の年齢からも、父親より母親に親権が委ねられることになってしまいます。いよいよ別れの日が近づいた時、父は子供に事情を説明し、母の処へ行きなさい、と言って聞かせるのですが、子供は泣きながら拒否します。このシーンは何回見ても泣かずに見ることは出来ません。別れの日が来て、母が迎えに来るのですが、子供の様子から全てを察した母は、自ら身を引いて、子供を夫に委ねて帰って行きます。何度も見ましたが、何時も泣ける映画です。
 主演のメリル・ストリープもダステイ・ホフマンも大好きな名優ですし、子役は映画界きっての名子役として有名になりました。
 諸外国では、親の無い子や、親が育てられない子供と、養子縁組みという形で、子育てをする人が多いようです。最近のニュースに子供の遺棄や虐待の話を聞くと、このような親に育てられるくらいなら、養子縁組みの方が恐らく良いと思えて来ます。
 大切なことは、生まれた子供たちが、安心して暮らし、必要な教育を受けて、一人前の大人になる事です。これは紛れなく、どの国にとっても第一の基本的な重要政策です。今まさに女性の地位向上が言われていますが、その為に子供が犠牲にならないように、充分な対策をお願い致します。
 私の友人は、離れた処に娘さんがいて、二人の子供を育てていますが、小さい頃から、おはようのハグを欠かさないと聞きました。高校生になっても、未だ続いていると聞きました。日本人は、「愛している」と口に出すことをはばかったり、ハグになれていないようですが、最近の親御さんは、ハグに抵抗がなさそうです。体の一部をくっつけて、皮膚を通して心を繫ぐということは、子育てにおいてもとても大切なことだと感心して聞きました。
 一方、夫の知人に、外国の貧しい国の男子学生に、卒業までの学費の援助をしている人がいます。大変立派なことだと思って尊敬しています。このように我が子を愛し、我が子のいない人は、世界の子供の学費の援助をしたり、日本の足長育英制度の支援者として協力することが、どんどん増えて行ったら、素晴らしいことだと思っています。
 
どうせならユニセフのものを買ふと息子(こ)はカタログ見つつ飢餓を話せり(あずさ)

名も知らぬ誰かが誰かと助け合ふ温さに満ちし国でありたし(あずさ)
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