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ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

庭石たちと語らう

2014年07月07日 | 随筆・短歌
 石や土や空はものを言わないものだと、仕事に追われていた頃には、そう決め込んでいました。ところが歳を取ってみると、石も土も木も空も大変なお喋りだということに気が付きました。
 それは幻聴ではありません。私が耳を澄ませて聞こうと心を空にして、無心に対象物に相対すると、声を持たない筈のそれらが急に雄弁になるのです。
 ここまでいうと読者の皆さんは、きっとああそれなら私も解りますよ、と仰って下さると思います。
 不思議なことに、それらは私の心を知っている訳ですから、私に都合良く返事をして呉れると思えそうですが、必ずしもそうではありません。多くは、「でもねえ」と反論の囁きを始めます。互いに意見が一致しなくて、私が独りで居る時は時間を忘れる程になってしまいます。
 私の家の南側の空き地は、以前は義父母が耕し、畑になっていました。義父母が老いて、畑仕事が出来なくなると、畑作の経験が殆どなく、自分一人では何も作れない私は、お花など植えていましたが、退職を機に思い切って夫と相談して、ささやかな庭を造って貰いました。
 知り合いになかなか腕の立つ庭師さんが居られて、「全て私に任せて下されば」とおっしゃいました。もちろんどのような庭にするか、考えていなかったので、喜んで一切の口出しをせずに、お願いしたのです。造園業もしておられる人ですが、我が家を造るときは、何時も弟子を一人だけ連れて、全て木も石もご自分で選び、配置も全てご自分で決めて造って下さいました。
 「池に水を入れると家がしけるからね」と枯山水にされたのも、庭師さんの決めたことです。竹の樋から落ちる水を自然石の手水鉢で受け、溢れた水が小さな池から、ややひょうたんに似た大きい方の池に入り、やがてくびれた池の真ん中を過ぎた所から、暗渠にして水は排水溝へと導かれるようにして下さいました。コンクリートを敷いた上の玉石ですから、雨水も真ん中の排水栓に自然に集まり、毎年汚れた玉石を洗ったりするのも楽しみです。
 大小様々な石を運び込み、「この石はここに置くのが正しいのです」とか、「これはあちらと対になっています」とか、石の種類とか、大きさ形など、灯籠や松や植え込みのさつきにしても、色まで相対する植え方になっていたり、そこには庭を造る上での決まり事が沢山あったようです。
 庭師さんは完成後はとても満足して下さって、毎年剪定や冬囲いに来て下さいました。年老いて病気をされ、やがて大松などの雪吊りは、私達が見よう見まねで受け継ぎましたが、その私達も今は、ちらりと雪が降ると、枝を揺すって、雪を落とすだけになりました。さつきなどの小さな木は、毎年私達の手で雪囲いをしますが、大松などは余程の大雪でもない限り、雪吊りの必要は無いようです。
 庭師さんは、「苔はその内にそれぞれ相応しい苔が自然に付きます」と仰いましたが、本当に今はすっかり見事な苔庭になりました。庭に不要なゼニゴケだけは、手で取る以外絶やす方法が無いらしく、それはせっせと取っています。
 庭を造り始めた頃、ある人が、「庭を造ると後の管理が大変で、費用もかかるし、自分が歳を取ることを考えておかなければ」と教えて下さいました。全く考えも及ばなかった事でしたが、確かに仰るとおり、毎日綺麗にしておくには手もかかり、消毒や施肥をしたり、剪定は本職を頼まなければならず、確かに管理の費用はかかります。
 しかし、庭を造って約30年になりますが、この庭に家族一同、どれ程心を癒やされたか解りません。愛するものに手入れするのは楽しみであり、余りある恩恵を受けて来たと思います。
 四季折々に色も姿も変える石や木々と会話していますと、話題は自由に時空を駆けますから、本当に楽しいものです。
 時折娘を亡くした時の悲しい昔を引き出したり、子育てにお世話になった義両親に、十分なことをしてあげられなかったのでは、という後悔に、辛い思いをすることもありますが、「やがてあちらで会えますよ。その時は思い切りお喋りしなさい」と囁かれ、そうだったと気持ちを取り直します。
 最後にまた坂村真民の詩集で、心を洗いたいと思います。
 「万物に仏心は宿る」と仰った、弘法大師空海の教えを、坂村真民は、綺麗な旋律で詠っています。

    石を見よ
 太古から坐り続けている
 石を見よ
 天地創造の
 不思議を知り
 人間進歩の
 歴史を知り
 善も悪も
 じっと見つめてきた
 石の声を聞け
 すべては変転し
 流転(るてん)するなかにあって
 一処不動
 達磨(だるま)のように
 坐り続けている
 廓然大悟(かくねんたいご)の
 石を見よ

 人間ゆえに

 木の悲しみ 木の怒り
 石の悲しみ 石の憤り
 鳥の悲しみ 鳥の叫び
 魚の悲しみ 魚の恨(うら)み
 なにもかも 人間ゆえに
 

みんな違ってみんないい

2014年06月28日 | 随筆・短歌
 「好きこそものの上手なれ」という諺があります。人間の得意不得意を分類して、理系・文系などよく言われますが、理系の人が文系の仕事に就いたり、文系の人が理系の仕事に就いたりしたら、恐らくご本人は可成り苦しい思いをすることになるでしょう。ですが、人間は様々な能力を持っている為に、自分自身を良く把握していない場合が結構あるようです。
 自分が文系であると思っていたら、実は隠れた理系の素質を持っていた、またはこの反対ということがまま有ると聞きます。最初の職業をどうしても好きになれず、職業を変えたり、或いは自由人になって、自分が本当にやりたいものが何なのか、解ったということもあります。
 職業に貴賎は無いと言いながら、社会が無責任に作った価値観に振り回されて、自己を殺したまま、一生をがまんして終える人がとても多い気がします。
 先日ある新聞に評論家が、次のような記事を書いておられました。
 「有名大学を出て就職したが、どうしてもその仕事が自分に向いていないと思い、本職の植木職人に弟子入りして、やがて独立した植木やさんになった人が居る。物静かな人で、綺麗な仕事をする職人さんである。」とこの評論家の人は、高く評価しておられました。
 同じように、物作りに魅せられて転職する人は結構居られます。「親のお膳立てで一流大学、一流企業と、順調に進んで来たと思われた人が、突然この仕事は私に向かないと、ガラス細工を始めたという。親は、自分達は何の為に苦労して来たのだろうと嘆き、子は生き生きとして働いているという。」
 こんな話しは、珍しくないし、特に近年になって、増えた気がします。ここで私は、どうにも理解出来ないのは、親が何の為に苦労してきたのか、と嘆いたと言う処です。縁あって、このような価値観をもつ人の子供として産まれた人達は、気の毒な人達です。
 何が幸せかと言って、何十年かの働いている期間を、生き生きと喜んで過ごせるほど良いことは無いのではないでしょうか。
 高学歴であるとか、一流企業であるとか、それは単なる見栄という虚構であって、そこから何の人間的な価値も産まれて来ないと言うことは、少なくとも優秀なご本人には解って居るはずです。
 高校卒の18歳くらいの年齢で、本当に自分に適している進路(文系とか理系とか)を選び決めるのは、可成り困難が伴う気がします。しかし、大抵は何となく好き嫌いや、その時代の人気などで、決めたりしても、人間の適応範囲が広く、ひたすら努力している内に、その道のベテランになっているということは良くあることです。また一生自分の優れた才能を知らずに過ごす人も、多いのではないでしょうか。
 自分に合わないという悲劇は、教育熱心な親や学校の指導で、理系文系と振り分けられたりして、レールに乗ってしまうところから、多くは生まれるように思います。
 私の夫は、大学の卒業を迎えて、教授会の振り分けで、半ば強制的?に推薦されて、ある会社に入社しました。しかし、会社で与えられた仕事が、とても自分の性格に合わない仕事であることに気付き、たった5ヶ月で退社したといいます。その頃は、夫が身につけた職業は、引く手が多く、やがて自分で納得した所に就職出来、生涯の仕事としました。
 その後縁があって私達は結婚したのですが、私でさえも、最初の職業はとても夫の性格に合わないと思いました。
 夫は理系の大学でしたから、理系の仕事につきましたが、退職してからの趣味は文系でした。もしあのまま退社せずに、ぐずぐずしていたら、どんな人生になったのでしょう。悲惨なように思えます。
 人間は、何も出来なくとも、産まれて来るということは奇跡と思われ、それだけでありがたいことだとある高僧が説いておられるのを聞きました。
 人間は、生きているだけで役に立っているというのが、私の信条です。生まれてからずっとベッドに伏せて居なくてはならない病を持って生まれたとしても、生きているだけで、親は子育てにいそしみ、子供の笑顔に救われます。それで充分生まれて来た価値があるし、育てる喜びに恵まれたのだと思います。一生を赤ちゃんの状態で過ごす訳ですが、和顔施と言われるものがあります。ニコニコとするだけで、回りの人の心を和ませることを言います。不思議なことに赤ちゃんと死に行くお年寄りと、どちらも和顔施が美しいと思います。
 昨日のニュースに、中国の赤ちゃんポストに、障害児がとても多く見られると聞いて、私は思いもよらないことに、悲しい思いをしました。産まれて来る赤ちゃんに罪がある訳ではないのです。どうしてそんなむごいことが出来るのでしょう。独りで育てられないなら、国が援助すべきですし、その道を選べることを教えるべきです。
 今日はまた、日本で過去3年の間に483人の子供が、親に遺棄されたとありました。食べ物を与えられずに餓死する子供の悲惨さを思うと、涙が出て来ます。また、突然トイレに置いてきぼりにされたり、その理由が彼氏に会いたかったという親のエゴだったと聞くと、情けなさを超えて怒りが湧いて来ます。
 我が子をせっせとなめて育てる動物に比べて、なんと情けないことでしょう。最低限の人間性さえも身についけいないとしか、言いようがありません。共働きで、義父母にすっかり育児を手伝ってもらった私としては、こんな事を言うのは、恥ずかしいのですが、せめて、親がまともな人間として子育てが出来るような「親育て」の必要性をも感じます。、出産・育児の折々に、どのように愛情を注いで育てるべきか、教える必要があります。それが身に付いていない人が、子供を遺棄したり、殺したりするのではないか、と思うのです。
 政治は、未来指向であらねばならないと思います。あらゆる政策の中で、一番大切なことは、子供の教育だと思います。それも幼い時代を、親が愛情を込めて育てられるように、国家をあげて支援して欲しいと願っています。
 いわゆる鍵っ子として育てられた親達が、今の親だとしたら、親御さん達は子供の気持ちがわかる筈だと思います。
 国は今、女性の社会進出を計画していますが、その為には、どうしても子育て支援が欠かせません。愛情不足に育てられた子供に、将来犯罪者が多く出たり、自分もまた愛情不足の親になると言われています。豊かな愛情に包まれて、戸外で太陽に当たって友達と駆け回り、花や動物と一緒に育つ、そんな豊かな子育てであって欲しいと願うのは、贅沢でしょうか。
 平沢 興と言う京都大学第16代総長だった医学者が「社会の中で何が尊いとか、何が素晴らしいとかいっても、おそらく幼児の教育に携わることほど尊い仕事は無かろうと思います」と書いています。(「人生を豊かにする言葉」新潟日報事業社)
 この中には、むろん親も入ります。愛情豊かな子育てがやがて心豊かな国の礎を作り、国を発展させると信じて居ます。そして個性が生かされた道に進めるように、みんなで考えて行きたいものだと思います。
 どの様な人でも、それぞれが、生き生きと仕事に励み、自分の存在が世の中の役に立っていることを知ることができ、満足と安心感をもって暮らせるような国であって欲しいと思っています。
 金子みすずの詩に「私と小鳥と鈴と」というのがあります。素晴らしい詩です。

 私が両手を広げても
 お空はちっとも飛べないが
 飛べる小鳥は私のやうに
 地面(じべた)を早く走れない

 私がからだをゆすっても
 きれいな音は出ないけど
 あの鳴る鈴は私のやうに
 たくさんな唄は知らないよ
 
 鈴と小鳥とそれから私
 みんなちがってみんないい 


「みんなちがってみんないい」そうですよね。それで初めて世の中は丸くなって行くのですよね。

手紙を頂く喜び

2014年06月18日 | 随筆・短歌
 最近種々な手紙を何通か頂きました。「私の病気の見舞の手紙」「ある新聞に私の知人の短歌が載っていたと、新聞の切り抜きを同封した手紙」「私がある支社長に宛てた礼状が、部下である当人に届き、そのご本人から丁寧なお礼の手紙」「思いも掛けないガンを告知をされた友人からの手紙」「残り少ない人生の片付けをしていたら、私に適している詩集が出てきたとの温かい手紙と詩集」等さまざまです。
 最近の私はメールが多くなりました。メールは「何時でも書いておけるし、継ぎ足しも自由」「電話だと相手の時間を一方的に奪うことになるので、電話をかける時間の配慮が必要」「読む方も自由な時間にゆっくり読める便利さがある」「繰り返し読んだり大切なものは、コピーして保存出来る」など様々な長所があります。
 しかし、機械が打ち出す無機質な冷たさは避けようがありません。喩えハガキ一枚でも、手書きの温かさは、書かれた内容を大きくふくらませてくれると私は思っています。
 文字が力強く躍動している時は、きっと精神状態も良いのだろうと想像します。また小さく縮こまっている時は、何処か体調を崩しているのでは、と心配になります。私はハガキでもよいから、出来るだけ自筆の手紙にしたい、とかねがね思っています。
 大切な人に出す大切な手紙は、下書きをパソコンで書いて、校正してからわざわざペンで便箋に書き直すこともします。
 愛する人を亡くした方などへのお悔やみが、これに当たります。
 結婚前には、余り間をおかずに、せっせと未来の夫に宛てて手紙を書きました。こんな事を言うと笑われると思うのですが、相手の手に触れた事もないのに、思ったことを有りのままにまるで日記のように気軽に書いて直ぐに投函する、そんな時代もありました。もちろんその頃は、離れて暮らしていましたから、電話か手紙しか、伝える手段はありませんでした。
 メールもケータイもある現代になってからも、離れて住んでいる子供たちに、せっせと手紙を書いたりしたこともあります。さかのぼってみれば、幼かった我が子へは、夜寝る前に手紙を書いて、枕元に置いて翌朝まだ早い内に出張ということもありました。子供たちも私の枕元に、私宛の手紙をわざわざ開いて置いてありました。
 どんな手紙でも、心がよく伝わり、今も手紙の良さをしみじみ感じます。2年ほど前まで、我が家の前を通りすぎた所のアパートに、少し体の不自由な女性が暮らしておいででした。すごく優秀な人で、習字も小学校の頃に、全国大会に特選を取ったことのある人です。何時でしたか、こういうことは余り好まないのですが、といいつつも、私の願いに特別に見せて下さいました。その方は働けないのですが、絵手紙がうまく、時折わざわざ我が家の前を通りすぎて、ポストに投函して下さって、不自由な体で歩いて出してくださるその心と、美しい絵手紙に感動して、私はその都度必ず返事を出し、絵手紙は全て綴ってあります。やがて引っ越しをされましたが、今も絵手紙は届いていて、私の宝物の一つになっています。
 ついついせっせと書いたりするので、夫に「返事を書く人の身にもなって書きなさい」と言われることもあり、様々なメールや手紙にも、適当な間を取って、考えて返事を出している積もりです。
 何でも書くことの好きな私は、何かしら書いていることが多く、その為に自分のノンビリ過ごす時間を減らしてしまい、何時も追われているように日々を過ごしています。もう少しゆとりを持って暮らしなさいと家族に言われるのですが、今日も矢張りお昼寝無しで、パソコンの前にいます。
 これもご先祖様から頂いた遺伝子の成せる技でしょうか。ものを書くことは、認知症から遠のく手段でもあるそうですから、楽しみながら励んで行きたいと思っています。


何にでもよく効きますと絵手紙の枇杷のオレンジ温かきなり (あずさ)
 



病床から

2014年06月08日 | 随筆・短歌
 九州一周の旅行から帰り、滞っていた身の回りの仕事を片付けて、ホッとしたところにひどい風邪に罹りました。激しい咳を伴った風邪でした。家族全員同じ風邪に2日ほどおいて次々に罹ったのです。今もまだ全員完治していません。
 幸い高い熱が出るわけではないので、家族で補い合って過ごすことが出来ました。日を置いて次々に医師に診て頂き、薬も飲んでいますが、咳は中々治りにくく厄介です。
 夜寝室で横になると、急に咳がひどくなって長く続き、隣に寝ている夫の眠りを妨げるので、1時間もするといた堪らずに、隣室の応接間のソファに夏布団と枕を持って避難しました。ところが矢張り体が横になると咳き込みます。遂に居間の自分の安楽椅子に背をもたせかけたまま、朝までうとうとすることになりました。寝室から安楽椅子へと移動する日が、きょうで6日になりました。一度は床について見るのですが、毎日駄目でこの繰り返しです。
 今回の風邪は、私が一番ひどく、二回目の診察日には、結局吸入と点滴をして頂き、吸入薬を頂いて、一日使用したら、翌日からとても楽になりました。
 寝不足もあって元気が出ず、何もする気になれないので、短く読める詩集を読んでいました。
 回復の体ならしに、気に入った詩を載せることで、今回のブログはお許し頂きたいと思います。どの詩もそれぞれに私には、思いが籠もっています。しかし、作者の綴る言の葉が読者の心の襞と合致する時、震えるような感動を生むのだと思います。それ故に詩も俳句も短歌も、読む人によって大きく評価が異なるのは、当然なことと言えるでしょう。

 八木重吉詩集   世界の詩52から 弥生書房
  
「幸福」を失うひとは
うつむいて 考えるがよい
「幸福」を押しやっといて
「幸福」を探すなら  そりゃあ無理だ
だが  「幸福」ってあるんだろうか?


    ねがい

きれいな気持ちでいよう
花のような気持ちでいよう
報いを求めまい
いちばんうつくしくなっていよう


   おだやかな心

ものを欲しいとおもわなければ
こんなにもおだやかなこころになれるのか
うつろのように考えておったのに
このきもちをすこし味わってみると
ここから歩きだしてこそたしかだとおもわれる
なんとなく心のそこからはりあいのあるきもちである


   真実

さあ寝ようと思って
今日のことをふりかえっても
これでいいという事が一つも無い
自分をぐっとひき締めて
このまま軽るく深くなってゆきたい


  雨

雨のおとがきこえる
雨がふっているのだ

あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう
雨があがるようにしずかに死んでゆこう
           以上

自選  坂村真民詩集   大東出版社

   ねがい

いきとし生けるものの
いぶきを
ぼくの詩のなかに

かたすみに暮らすひとの
かなしみを
ぼくの詩のなかに

よきひとにみちびかれゆく
よろこびを
ぼくの詩のなかに

ゆうやけの雲に呼びかける
ゆめを
ぼくの詩のなかに


  あの時のことを

あの時のことを
お互い忘れまい
ふたりが
かたく誓いあったときのことを
深く喜びあったときのことを
おもいあがったときは
いつも思い出そう
始めて父となり
始めて母となった
あの日の嬉し涙を
お互い
古くなってゆく袋に
新しいものを入れなおそう
おのれを失ったときは
いつも語りあおう
慰めあい悲しみあい苦しみあい
二人ですごしてきた数数の日のことを


 ねがい

わたしのねがいは
呼吸を合わせることである
石とでも
草とでも
呼吸を合わせて
生きていくことである


   二度とない人生だから

二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛をそそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳をかたむけてゆこう

二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないように
こころしてゆこうどんなにか
よろこぶことだろう

二度とない人生だから
一ぺんでも多く
便りをしよう
返事は必らず
書くことにしよう

二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう

二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめて見つめてゆこう

二度とない人生だから
登る日沈む日
まるい月かけてゆく月
四季それぞれの
星々の光にふれて
わがこころを
あらいきよめてゆこう

二度とない人生だから
戦争のない世の
実現に努力し
そういう詩を
一編でも多く
作ってゆこう
わたしが死んだら
あとをついでくれる
若い人たちのために
この大願を
書きつづけてゆこう


八木重吉氏に

あなたが生きていたら
手をとり合って話したい気がする
一輪の花の心を二人で語り合いたい気がする
夕焼の雲の下に黙ってすわっていても
温かく心は通う気がする
でもあなたはもうこの地上へはおりてこない
手を握りあうことも
林檎を食べ合うことも
花を見 雲のかがやきを語りあうことも
できなくなってしまった
あゝせめて
あなたのいる天国の夢でもみよう
あなたと一緒に天国の園でも散歩しよう
そう思ってあなたの詩集を
今もまくらべにおいて寝る


 大詩人お二人の、詩だけの中身になってしまいましたが、この詩集の中に一つでもあなたの心に深く響くものがあったら、私の手抜きを赦して頂けるものと思っています。
 お二人の詩人の心の深層に、信ずるものへの深く帰依する心を感じ、一層胸を打たれるのです。



忘れかけた大切なもの

2014年05月30日 | 随筆・短歌
 毎日様々なニュースに接していますと、本当なのかしら?と思うことがあるようになりました。信じられない私の心が、きっといけないのかと思いますが、経済優先が過ぎて、人間性が犠牲になってはいないか、情報に操作の手が加わっていないかなど、要らぬ心配をしている自分に気付きます。
 5月22日の新聞各紙が、可成りの紙面で「大飯原発再稼働認めず」と大見出しをつけて報道しています。福井地裁の樋口英明裁判長が、21日に「地震対策に欠陥がある」として、現在定期点検中の2基の再稼働を認めない判決を言い渡したのです。  
 私が心を引かれたのは、骨子の5項目の中の最後に「福島原発事故は、最大の環境汚染である。二酸化炭素の排出削減は原発運転継続の根拠にならない」という所でした。
 関電側の基準値振動(耐震設計の目安となる地震の揺れ)の1.8倍までは、苛酷事故に至らないとする主張は、「それを超える地震が来ない根拠はない」と退けています。事故が起きた場合は、実態把握が困難で、炉心溶融(メルトダウン)までの時間が短いともしています。
 基準値振動を下回る振れでも外部電源や主給水が断たれ、冷却機能が確保出来ないと判断したのです。
 さらに「使用済み核燃料プールから、外部に放射性物質が放出される堅固な設備は存在しない」と言い、「福島事故は我が国最大
の環境汚染」と認定し、原発は二酸化炭素(CO2)排出削減に資するとする関電の主張を「甚だ筋違い」と否定。「原発は人格権よりも劣位に置かれるべきだ」とまで踏み込んでいます。
 私も人格権の方が最優先であるべきだと心得ていますから、この判決には同感です。しかし、菅官房長官は、21日の記者会見で、「再稼働を進める政府方針に変化は無い」との認識を示しましました。
 やがて南海・東南海トラフを震源とした大地震が起きると言われているこの時期でも、そして現在も原子炉地下水を汚染させずに海に流す方策が、100%確立している訳ではなく、毎日溜まり続けている現状をどう見ているのでしょうか。「経済優先」の国の方針は、使用済み核燃料の処理方法すら見つからないまま、日本ばかりでなく、外国にまで売り歩いています。世界の人類に多大な影響を与えるとしたら、その責任は誰が取るのでしょうか。
 何時も穏やかな鎌倉の円覚寺のブログ「居士林だより」にも、5月22日には、「私心なき生こそ大自然から頂いたこのいのちを本当に全うする生き方なのです」と諭されています。
 「原発は人格権より劣位に置かれるべきだ」という裁判長の意見が、素直に身に浸みます。経済優先は、私心そのものです。
 何が真実かということは、禅で言うと本来誰にも解らないことのようですが、今を生きて居る私達は、少なくとも将来の人々に、何万年も消えない汚染された環境を残してはならないのです。
 どうしたら放射線が無害になるのか、今もって誰にもわかりません。このままいけば、やがて私達は自然界から、無害の食べ物も頂けなくなるかも知れないと心配しています。
 私達日本人は昔からこの様な利益第一主義の民族だったのでしょうか。
 先頃たまたま九州一周のツアーに入れてもらって、行ってきました。その際にフランシスコ・ザビエルが初めて日本に上陸した地、鹿児島市の坊津という所を通りました。
 ザビエルは、自身の見た日本人の印象を、イエズス会の仲間に手紙でこう綴っています。

 私は今日まで自ら見聞きし得たことと、他の者の仲介によって識ることの出来た日本のことを、貴兄等に報告したい。
 先ず第一に、私達が今までの接触によって識ることのできた限りにおいては、この国民は、私が遭遇した国民の中では一番傑出している。私にはクリスチャンでないどの国民も、日本人ほど優れている者はないと考えられる。
 日本人は、相対的に良い素質を有し、悪意が無く、交わってとても感じがよい。彼らの名誉心は特別に強烈で、彼らにとって名誉が全てである。
 日本人は大抵貧乏である。しかし武士たると平民たるとを問わず、貧乏を恥辱だとは思っている者は一人もいない。
 彼らには、キリスト教国民の持っていないと思われるひとつの特徴がある。それは武士がいかに貧困であろうとも、平民がいかに裕福であろうとも、その貧乏な武士が、裕福な平民から富豪と同じように尊敬されていることである。(中略)
 日本人は妻を一人しか持っていない。窃盗は極めて稀である。死刑をもって処刑されるからである。彼らは盗みの悪を非常に憎んでいる。大変心の善い国民で、交わり且つ学ぶことを好む。
 神のことを聞く時、とくにそれが解るたびに大いに喜ぶ。私は今日まで旅した国において、それがキリスト教徒たると異教徒たるとを問わず、盗みに就いて、こんなに信用すべき国民を見たことがない。
 獣類の形をした偶像などは祭られていない。大部分の日本人は、昔の人を尊敬している。私の知り得た所に依れば、それは哲学者のような人であったらしい。国民の中には、太陽を拝む者が甚だ多い。月を拝む者もいる。しかし、彼らは、みな、理性的な話を喜んで聞く。また、彼らの間に行われている邪悪は、自然の理性に反するが故に、罪だと断ずれば、彼らはこの判断に両手を挙げて賛成する。(「よく生きよく笑いよき死とであう」アルフォンス・デーケン著 新潮社より)

 このザビエルの言う日本は、鹿児島市に上陸した1549年(室町時代)ですから、ずいぶん以前ですが、私達は日本人というDNAを受け継いでいますから、現在でもそれをかいま見る場面が多々あります。卑近な例では3.11の大災害の時に、東北の人々が整然と行動したこと、また他人の金庫が放置されていても盗まれなかったという報道が海外で流されて、有名になったことがありました。
 脈脈と引き継がれた優れた価値観や倫理観、そしてその底流にDNAがある訳ですから、ザビエルの話に改めて誇りを覚えました。 今この大切な時に、名誉と誇りを重んずる日本人のDNAに期待する人々は、多数居るのではないでしょうか。様々なニュースに紛れて、忘れかけていた大切なことを思い出す旅になりました。