昨年は体調不良があり、色々、自分の体について意識を向けてきましたが、年末から新しい年を迎えるにあたり「来年は、やはり今後もやっていける体にすることだろうな~」ということで、図書館で本を借りていました。
そして、実は今年に入って、少し「悟り」を開き、そのせいか、年末借りても読まなかった本を読み、実際にここ2週間ぐらい、毎日「寝ヨガ」なるものを実行して、体調が少しよくなっている気がしています
その「悟り」とは「この体こそ大事にしないと」という愛情を持つ感覚が芽生えたのです
どういうことかというと、私は元来、我慢強い方というか、何かあっても「それはそれで、自然の流れの中で起きていることだから」と受け止める気質みたいなものを持っていまして、例えば、腰痛で5時間以上睡眠が出来ない期間が2年ぐらい続いても、それはそれで、頑張って我慢をしてきたというより、「仕方が無いこと」みたいな感じで流してきました。
病気になっても決して人前では寝なかった戦国武将の伊達政宗の「この体は今生の借り物」という思想も好きで、体は親からもらったもので、この体が痛いことと、自分のことを多少切り離して考えているという感じでした。
ただ、それは若いから良かったのであって、昨年は体の痛みではなく、気持ちが悪くなったりと言う「体調不良」で、体を動かしたくても動かせないという状態が頻繁に起きておりました。
で、今年に入って、外から帰ってお風呂に入った時に、とても気持ちよかったのですが、その時に「あぁ~、この体が喜んでいる。あぁ~、体ちゃん、良かったね、有難う~」みたいな気持ちが沸いてきたのです。
それが昨年の体調不調を経験してきたことが積もっていたせいなのか、「お風呂を開発した人は天才だ」みたいなことは、いつも思っていたのですが、今回は、そんなレベルではなく、「あ~、やっぱり体を大切にしなくちゃ」といったように、何か悟った感じなのです
それをきっかけに、昨年借りっぱなしだった本をちゃんと読んで実行するようになりました。
その1つが、パーキンソン病の患者さん達では結構知られている方だそうなのですが、橋本先生という方が書いた「寝ヨガ」の本です。
この先生は、西洋医学だけでなく、東洋医学の考えも持ち込み、また自分の経験からヨガがとても良いことに気づき、診療所の2Fでヨガ教室もやっている人です。
整体などで骨盤のゆがみをとったり、色々ありますが、自分できちんと体を整えていくために、自分の経験から気孔などもあわせて、ヨガが良いということにたどり着き、また立ってヨガが出来ない方でも、少しずつ出来る「寝ヨガ」を中心に、全体を整える「基本ポーズ」と、痛みがあるなど具体個別の症状別のポーズの2つを整理しています。
内容はとてもシンプルですが、パーキンソン病からうつ病など、様々な症状の患者さんが、きちんとヨガをやり続けることで、治っていったという実例もあります。
私も朝起きて「寝ヨガ」の基本ポーズをやってから起床するということを続けているのですが、最初の3日間ぐらいで、「ありゃ?腰が痛くて目が覚めず、今日は朝まで寝れたぞ」という感じになり、かなり睡眠がとれるようになってきました
効果を実感出来るのは、人によっては1週間~1ヶ月ぐらいと期間は変わるそうです。
ただ、大切なのは「毎日、コツコツ続けること」だそうで、その通りだと思い、続けております
思うに、「ストレッチなどは毎日やった方が良い」というのは頭ではわかったつもりでも、本当に心の底から思わないと、毎日続けることは出来ませんものね。
そんな私が続けられている理由の1つに、もう1つの本「はじめてのきくち体操」を読んだことがあげられます。
この本には偉く感動しました
かなり昔から有名な方で、私も「そういえば聞いたことがあるな~」と思って何気なく借りた本なのですが、びっくりしたのが「体は命」ということを思想・信念をもって書かれていること。
まさに「食は命」と表裏一体をなす言葉じゃないかと思ったのです。
「食は命」というのは、有機農業をやっている高柳さんや、自然療法の東城先生など、色々な方が真実としていることです。
体を作っている分子レベルでは、食べたものがそのまま分解されて、分子結合してアミノ酸になりタンパク質になり体になっているということ、食べ物こそが命を支えている源であること、おてんとさまからの命を頂いているということなど、物理的にも思想的にも生き方にもつながる言葉です。
ただ、食べ物が良ければ健康かというと、私のとおり必ずしもそうではないわけです。
本来の食べ物を食べているから腰痛が治るか、というと、そうではないわけですね。
一方で、菊池先生は元々体育教師だったそうですが、子供達の体がどんどんおかしくなっていることに気づいていき、体育の教師として教えるべきことは、跳び箱が飛べたとか、見た目が良いダンスができるとか、そういったことではないという思いをもったそうです。
菊池先生が伝えているのは「この体で一生生きていくのよ。この体は色々なところがつながっていて、支えあうようにして出来ているの。この体を動かさなければ生きていけないの。動かさなければ新しく生まれ変わる力も病気と戦う力も育っていかないの。好きとか嫌いではなく、この体で一生生きていくの。だから大切にしようね。動かしてね」ということなんですね。
「体は命」。生きているというのは、まさにこの体が、筋肉が、細胞1つ1つが動いているから生きている。
そして、菊池体操は「生涯、生きるのはこの体しかない。命に感謝し、この体を育て、磨いて、一生生きていくという実感を味わう体操」なんです。
筋肉がむきむきになるとか、何分で走れるとかは関係ないんですね。
例えば、腰が曲がって、バスにさえ乗れなくなった70歳のおばあちゃんが、バスに乗れるようにぐらいにはなれないものか、と菊池体操に通い始めて、90歳にして、背筋がピンとして歩くことができ、開脚して胸がペタンと床につく、なんてことも起きるわけです。
例えば、長座といって、足をまっすぐ伸ばして、膝の裏が地面にペタリとつくぐらい伸ばして、腰を90℃に上半身を立てて座れる子供はどんどん減っているそうです。
壁によりかかるとか、手を後ろにつけないと長座ができない。
みなさんはどうですか?
あるいは、長座から足を1cmでも良いから宙に浮かして20秒我慢する。
そういったことが出来なくなっている。
私も腹筋や太ももが、かなりプルプルします
でもそうすると、座るというのは、実は太ももの力だった、ということがわかってくる。
そして、太ももの筋肉と腹筋が繋がっているということがわかる。
あるいは、足の指1つ1つの間に手の指1つ1つを入れて、足と手で握手をする。
それが痛くて出来ない人が多い。(私は出来ました)
そして握手をしながら手ではなく足の方を主にしながらぐるぐる足首を回す。
きれいに円運動にならないでカクカクと四角っぽく回ってしまう人が大半。(私もそうです)
菊池先生の書いてあることを確認しながらそういったことを1つ1つやっていくと「あ~、体ってこうなっているんだ」ということを実感できるわけです。
そんな「意識革命」みたいなのが起きてですね、例えば最近、体のことが少しずつわかってきました。
例えば、腰をかがめて半日草取りをしていると腰が痛くなるんです。
そうすると、今までは、たまに立ち上がって伸びをしてました。
でもですね、実は腰が痛いというのは、腹筋を使っていない証拠で、腰を伸ばすには、その逆の腹筋に力を入れると、その反対の腰がゆるむ、なんてことも実感としてわかってきたんです。
思えば、「この体で一生生きていくんだ」ということを教えることが体育の主目的であるとするならば、整体やマッサージなど「誰かに整えてもらう」のではなく、自分で整えるしかない、という思想と技術が身につける授業になるはずなんですよね。
私が腰痛で、理学療法士の友人に相談しても「う~ん、、、難しいよね。結局、こちらがやっても、自分で治そうとしないと、結局元に戻っちゃうんだよね。骨盤のゆがみをいったん整えても、結局、筋肉の偏りとかバランスがあるし。筋肉なんだよね。そういったのを、自分で普段から治していくしかない、というのが本当のところなんだよね」と以前言っていました。
「そうだよね~」と私もあいづちをうちましたが、それを本当にそうだと思って、毎日、整える運動をするなんていうことは、やってきませんでした。
それが少しですがやれているので、「おっ、これは1年続ければ、やっていける体が出来るかも?きちっとやり続ければ、じいちゃんになっても現役でいけるかも?」という淡い期待が持てるようになってきました
ということで、齢40にして、残りの人生を「この体で生きていく」ために、体は親から借りてきたもの、ではなく、自分が生きていくそのもの、という思想で、労わり、愛情をかけながら、育てていきたいと思います
そして、実は今年に入って、少し「悟り」を開き、そのせいか、年末借りても読まなかった本を読み、実際にここ2週間ぐらい、毎日「寝ヨガ」なるものを実行して、体調が少しよくなっている気がしています
その「悟り」とは「この体こそ大事にしないと」という愛情を持つ感覚が芽生えたのです
どういうことかというと、私は元来、我慢強い方というか、何かあっても「それはそれで、自然の流れの中で起きていることだから」と受け止める気質みたいなものを持っていまして、例えば、腰痛で5時間以上睡眠が出来ない期間が2年ぐらい続いても、それはそれで、頑張って我慢をしてきたというより、「仕方が無いこと」みたいな感じで流してきました。
病気になっても決して人前では寝なかった戦国武将の伊達政宗の「この体は今生の借り物」という思想も好きで、体は親からもらったもので、この体が痛いことと、自分のことを多少切り離して考えているという感じでした。
ただ、それは若いから良かったのであって、昨年は体の痛みではなく、気持ちが悪くなったりと言う「体調不良」で、体を動かしたくても動かせないという状態が頻繁に起きておりました。
で、今年に入って、外から帰ってお風呂に入った時に、とても気持ちよかったのですが、その時に「あぁ~、この体が喜んでいる。あぁ~、体ちゃん、良かったね、有難う~」みたいな気持ちが沸いてきたのです。
それが昨年の体調不調を経験してきたことが積もっていたせいなのか、「お風呂を開発した人は天才だ」みたいなことは、いつも思っていたのですが、今回は、そんなレベルではなく、「あ~、やっぱり体を大切にしなくちゃ」といったように、何か悟った感じなのです
それをきっかけに、昨年借りっぱなしだった本をちゃんと読んで実行するようになりました。
その1つが、パーキンソン病の患者さん達では結構知られている方だそうなのですが、橋本先生という方が書いた「寝ヨガ」の本です。
この先生は、西洋医学だけでなく、東洋医学の考えも持ち込み、また自分の経験からヨガがとても良いことに気づき、診療所の2Fでヨガ教室もやっている人です。
整体などで骨盤のゆがみをとったり、色々ありますが、自分できちんと体を整えていくために、自分の経験から気孔などもあわせて、ヨガが良いということにたどり着き、また立ってヨガが出来ない方でも、少しずつ出来る「寝ヨガ」を中心に、全体を整える「基本ポーズ」と、痛みがあるなど具体個別の症状別のポーズの2つを整理しています。
内容はとてもシンプルですが、パーキンソン病からうつ病など、様々な症状の患者さんが、きちんとヨガをやり続けることで、治っていったという実例もあります。
私も朝起きて「寝ヨガ」の基本ポーズをやってから起床するということを続けているのですが、最初の3日間ぐらいで、「ありゃ?腰が痛くて目が覚めず、今日は朝まで寝れたぞ」という感じになり、かなり睡眠がとれるようになってきました
効果を実感出来るのは、人によっては1週間~1ヶ月ぐらいと期間は変わるそうです。
ただ、大切なのは「毎日、コツコツ続けること」だそうで、その通りだと思い、続けております
思うに、「ストレッチなどは毎日やった方が良い」というのは頭ではわかったつもりでも、本当に心の底から思わないと、毎日続けることは出来ませんものね。
そんな私が続けられている理由の1つに、もう1つの本「はじめてのきくち体操」を読んだことがあげられます。
この本には偉く感動しました
かなり昔から有名な方で、私も「そういえば聞いたことがあるな~」と思って何気なく借りた本なのですが、びっくりしたのが「体は命」ということを思想・信念をもって書かれていること。
まさに「食は命」と表裏一体をなす言葉じゃないかと思ったのです。
「食は命」というのは、有機農業をやっている高柳さんや、自然療法の東城先生など、色々な方が真実としていることです。
体を作っている分子レベルでは、食べたものがそのまま分解されて、分子結合してアミノ酸になりタンパク質になり体になっているということ、食べ物こそが命を支えている源であること、おてんとさまからの命を頂いているということなど、物理的にも思想的にも生き方にもつながる言葉です。
ただ、食べ物が良ければ健康かというと、私のとおり必ずしもそうではないわけです。
本来の食べ物を食べているから腰痛が治るか、というと、そうではないわけですね。
一方で、菊池先生は元々体育教師だったそうですが、子供達の体がどんどんおかしくなっていることに気づいていき、体育の教師として教えるべきことは、跳び箱が飛べたとか、見た目が良いダンスができるとか、そういったことではないという思いをもったそうです。
菊池先生が伝えているのは「この体で一生生きていくのよ。この体は色々なところがつながっていて、支えあうようにして出来ているの。この体を動かさなければ生きていけないの。動かさなければ新しく生まれ変わる力も病気と戦う力も育っていかないの。好きとか嫌いではなく、この体で一生生きていくの。だから大切にしようね。動かしてね」ということなんですね。
「体は命」。生きているというのは、まさにこの体が、筋肉が、細胞1つ1つが動いているから生きている。
そして、菊池体操は「生涯、生きるのはこの体しかない。命に感謝し、この体を育て、磨いて、一生生きていくという実感を味わう体操」なんです。
筋肉がむきむきになるとか、何分で走れるとかは関係ないんですね。
例えば、腰が曲がって、バスにさえ乗れなくなった70歳のおばあちゃんが、バスに乗れるようにぐらいにはなれないものか、と菊池体操に通い始めて、90歳にして、背筋がピンとして歩くことができ、開脚して胸がペタンと床につく、なんてことも起きるわけです。
例えば、長座といって、足をまっすぐ伸ばして、膝の裏が地面にペタリとつくぐらい伸ばして、腰を90℃に上半身を立てて座れる子供はどんどん減っているそうです。
壁によりかかるとか、手を後ろにつけないと長座ができない。
みなさんはどうですか?
あるいは、長座から足を1cmでも良いから宙に浮かして20秒我慢する。
そういったことが出来なくなっている。
私も腹筋や太ももが、かなりプルプルします
でもそうすると、座るというのは、実は太ももの力だった、ということがわかってくる。
そして、太ももの筋肉と腹筋が繋がっているということがわかる。
あるいは、足の指1つ1つの間に手の指1つ1つを入れて、足と手で握手をする。
それが痛くて出来ない人が多い。(私は出来ました)
そして握手をしながら手ではなく足の方を主にしながらぐるぐる足首を回す。
きれいに円運動にならないでカクカクと四角っぽく回ってしまう人が大半。(私もそうです)
菊池先生の書いてあることを確認しながらそういったことを1つ1つやっていくと「あ~、体ってこうなっているんだ」ということを実感できるわけです。
そんな「意識革命」みたいなのが起きてですね、例えば最近、体のことが少しずつわかってきました。
例えば、腰をかがめて半日草取りをしていると腰が痛くなるんです。
そうすると、今までは、たまに立ち上がって伸びをしてました。
でもですね、実は腰が痛いというのは、腹筋を使っていない証拠で、腰を伸ばすには、その逆の腹筋に力を入れると、その反対の腰がゆるむ、なんてことも実感としてわかってきたんです。
思えば、「この体で一生生きていくんだ」ということを教えることが体育の主目的であるとするならば、整体やマッサージなど「誰かに整えてもらう」のではなく、自分で整えるしかない、という思想と技術が身につける授業になるはずなんですよね。
私が腰痛で、理学療法士の友人に相談しても「う~ん、、、難しいよね。結局、こちらがやっても、自分で治そうとしないと、結局元に戻っちゃうんだよね。骨盤のゆがみをいったん整えても、結局、筋肉の偏りとかバランスがあるし。筋肉なんだよね。そういったのを、自分で普段から治していくしかない、というのが本当のところなんだよね」と以前言っていました。
「そうだよね~」と私もあいづちをうちましたが、それを本当にそうだと思って、毎日、整える運動をするなんていうことは、やってきませんでした。
それが少しですがやれているので、「おっ、これは1年続ければ、やっていける体が出来るかも?きちっとやり続ければ、じいちゃんになっても現役でいけるかも?」という淡い期待が持てるようになってきました
ということで、齢40にして、残りの人生を「この体で生きていく」ために、体は親から借りてきたもの、ではなく、自分が生きていくそのもの、という思想で、労わり、愛情をかけながら、育てていきたいと思います
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