半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

中間指針が発表されましたね

2011年08月09日 | 自分の時間
先週金曜日に、原子力損害賠償紛争審査会が、「東京電力福島第1原発事故に伴う損害賠償の範囲を示す中間指針」を決定したそうで、土曜日の朝刊にその内容が載っていました。見ました?

見ていない人で、もし、見たいのであれば→コチラからどうぞ。

まあ、新聞ならパパ~と読めましたが、このリンクにあるPDFでみると、文字だらけでむっちゃ読みにくいので、途中でギブアップすると思いますけど

個人としての関心、あるいは仕事にも少し絡むので読みましたが、まあ、なんというか、そりゃそうだ、、、っていうことしか書いていませんでした

第一次指針、第二次指針、そして中間指針、、、とずっと「指針」という名目であれば、具体的な計画の前段階でこういった内容で良いのでしょうが、結局「何も決まっていない」んですよね。。。

例えば、新聞とかでは「避難者の精神的苦痛も賠償に入る」とかが決まって、それは良いことだ、みたいな論調、、、。
どれほどの方が精神的な病気になっているか、自殺する人もでているか、わかっているでしょ。そこも賠償に入れるのなんて、当たり前だと私は思うのですが。

そういったことをきちんと「指針」として「決定」しないと、基準作り、具体的な賠償スキームが作れないのでしょうけど。。。今時点で、そのスピードなの?って思っちゃいます。


その翌日の日曜日の朝刊のトップ記事で、南相馬市が
「警戒区域を除いた市内全域で、2ヶ月かけて、東大と共同で、放射性物質の集中除去をする」
と載っていました。

国の動きが遅いから、市が当面の除染にかかる9.6億の予算を組んで独自に行う、ということです。
市長さんの「市が自ら出来ることを進めていきたい。除染を強化するので、市民に出来るだけ戻ってきてほしい」というコメントも載っていました。


また、私が色々な人に是非、目を通して見てもらいたい、とおもったのが「福島復興ビジョン(素案)」

「はじめに」を読むだけで、泣けてきてしまいます

英語版もあるので、外国に知り合いがいたら、是非共有してください。(→英語版はコチラ)


福島県知事から、菅総理大臣向け、あるいは国向けの要望は、こんなに出ています。
→コチラ


岩手県知事も、たっくさん要望を出しています。
→コチラ

国の動きが遅いけど、県や市は動いています。

色々見てみると、市や県の復興プランにあわせて、国も具体的なことを論じて決めていこうとするから、どうしても動きが遅くなっている気がします。

多分、被害が多かった被災地の県知事をまとめる機関と担当リーダーを決めて、集中的に現場からの声を吸い上げて、動きながら予算も配分していくチームが必要なんだと思います。

でも、今は新聞にも書いてあった「お一人様首相」の菅さんが率いる「首相官邸チーム」が、良きにしろ悪きにしろ全てを対応してしまっているから、こういった状態なんでしょう。

多分、党派を超えた大連立チーム、官庁をクロスさせたチームが全体の枠組みを決めなければならなかったのでしょう。それが、本来の内閣の役割であったり、首相官邸チームの力を発揮するところだったはずなのでしょうが。

でも、そうはならないのが現実です。今までずっと積み上げてきた国の仕組みの問題なのでしょうね。
首相官邸チームは、板挟みに合いながらも頑張って「こと」を進めているのでしょう。
官僚も現場の対応を担う方々も一生懸命に頑張っているのでしょう。
でも、それがチームとして機能しないんでしょう。
これを機会に、一人一人の力が発揮されるよう、昔、カルロス・ゴーンさんが来た時に流行った「クロス・ファンクショナルチーム」みたいな機能が、5年後の政府に出来上がることを願います。


最後に、福島復興ビジョンの中の一説を以下、抜粋します。


○ 今回の災害では、約 10 万人にも及ぶ県民が県内外に避難を余儀なくされた。県外に避難している方は、判明しているだけでも約 3 万5千人に及んでいる。

『私たちは福島県富岡町の中学生です。今回の震災、原発事敀により、やむなく敀郷を立ち去りました。今まで一緒に過ごしてきた仲間、先生方、地域の方々と離ればなれになり、連絡がとりたい人がいてもとれない状況が続いています。
 
 「温かい食事をする」「お風呂に入る」「洗濯した衣服を着る」「仕事をする」という当たり前の生活が被災地にはありません。今も避難所の硬い床で寝ている人がたくさんいます。段ボール1枚で隣と区切られているだけです。

 避難所から出て、知らない土地にアパートを借り生活している友達がいます。親は仕事が無くなり収入が入ってきません。それでも着の身着のまま逃げてきた人は本来買う必要のないものにお金を使ってしまいます。

 津波で家が流され、仕事場が流され、家族が流され、仲間が流され、毎日が苦しくて悲しくてつらい人、家があるのに帰れない人、苦しむ理由はそれぞれですが、みんな毎日先が見えない現実と戦い続けています。

 今の政府の対応には不満が募っています。もっと具体的に説明してください。計画的避難区域に指定される地域はなぜそうなったのか、漁業関係者が反対したのに低レベルの汚染水をなぜ海に流すのか。
 
 この文章は仲間とメールのやりとりをしてまとめました。中学生の考え方では伝わらないかもしれません。こんな文章じゃ何も変わらないかもしれません。

 全国に友達が散らばりました。電話で声を聞くだけです。仲間に会えず毎晩泣いています。顔を向き合わせ話がしたいです。

 大人は「もう戻れない」「戻るには 10 年かかる」と言っています。なぜ大人はそういうことしか考えられないのでしょうか。私たちは敀郷に戻ります。いつか必ず戻るとみんなで約束しました。
 (出典:共同通信 平成 23 年4月20日配信)』


 これは、大震災後、約1ヶ月が経過した4月半ばに、富岡町の中学生が互いに携帯電話でメールを交わす中で作ったメッセージである。

 このように、ふるさとを遠く離れている県民の多くは、放射性物質による汚染に対する不安を感じながらも、必ずふるさとに帰るという強い思いを持ちながら苦しい生活に耐えている。この災害により避難を余儀なくされた県民の暮らしの場と雇用の場を確保するのは喫緊の課題であり、自治体行政の再構築なども含めて、県は全力で支援する。また、避難を余儀なくされた県民がふるさとで元気な生活を取り戻すことができた日にこそ、ふくしまの復興が達成されるという思いを県民すべてが共有しながら復興を進める
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