半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

民俗学が面白い

2024年02月21日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今週の「朝採り野菜ボックス」のお手紙です。

 先日、アイヌ文化の番組を観ていて興味深いな~と思っている「自分自身」の事をふと思いました。私の世代でアイヌ文化や民俗学の番組を観ている人はほとんどいないだろうな~と

 みなさんは民族学や日本人のルーツなどに関心をお持ちでしょうか?

 私は野菜を自分で作る事はもちろんのこと、農村の暮らしを学ぶ事そのものにワクワクしてこの道に入りました。十数年前に農村の長老達の暮らしぶりに触れ、「暮らす事は生きる事なんだ」「発見」し、それから「生きる事=暮らす事」、つまり「良く生きるとは良く暮らして行く事」という人生の指針が出来たのです。

 それまでは18時間平均で働くワークホリックな企業戦士でしたので、生活なんていうものは二の次でした。それまでの学校教育や家庭教育で「生き方、暮らし方」を教えてくれる人はいなかったので、私にとって農村の暮らしはまさに「発見」だったわけです。

 そして交流を持ち始めた農家さん達の暮らし、またその前の世代がどう生きてきたかというお話を聞くにつけ、「へ~、そうだったんだ」という気づきが深まっていきました。

 例えば、ご飯を炊いたら必ず仏壇・神棚にまずお供えするといった事から始まり、11/23の新嘗祭が過ぎるまでは新米を食べないなど、自然や神仏、つまり人間より大きな存在を第一にする暮らし。

 また、旦那とは元々は仏教用語で農村では「家族全員の面倒を見る責任がある家の代表者」という意味で使われており、未だに男女の役割は違う、という意識が生活に根付いています。また、年老いたおばあちゃんが「お堂を毎月1回みんなで集まって掃除をするのだけど、それが幸せなの」という言葉を聞いた時には、「そんな事が幸せに繋がる生き方があるんだ」なんていうのも発見だったわけです。

 そういう昔の暮らしに関心を持つと、昔の人の心のより所であった仏教・神道、あるいは一般民衆の風習や暮らしを「民俗学」として切り開いた柳田国男の本(「遠野物語」など)を読みたくなるわけです。また、日本全国の農山漁村を歩いた宮本常一も面白い。

 そんな私にとってはアイヌの伝統文化、カムイに関するお話なども興味深いわけです。例えば、梅原猛という哲学者は「アイヌの文化は大和民族と切り離されたものではなく、日本人全体の精神の根底にあるものを表わしている」と言っています。

 これも昨年知ったことですが、最新のDNAの研究で日本人の先祖は大陸からやってきた人達ではなく、もともとアフリカから一気に渡ってきて、その後に氷河期が終わり大陸から切り離された日本列島で独自の文化やDNA構成を作っていった1,000人ぐらいのグループ=いわゆる縄文人の祖先、だという事がわかりました。

 この後、北東アジアから来た弥生人と言われている人達がやってきてDNAレベルで4割ぐらいを占めるようになりました。さらに古墳時代に東アジアからやってきた人達が一気に覇権を握りDNAレベルで6割ほどを占めるようになり、これは現代でもほぼ同比率じだそうです。

 しかし、もともと住み着いていた縄文人のDNAを今でもアイヌの人達は7割引き継いでいるそうなのです。つまり、アイヌの人達の暮らしや文化こそ、元祖日本人のものを受け継いでいるそうなのです。

 そんなことを知ると「なるほど~」と興味がますますそそられ、もっと学びたくなるわけですが、多分、私の世代でそんな人はごく少数派なのでしょうね。でも、誰もが持つ「どう生きていくか」という問いは、「先人がどう生きてきたか」を学ぶ事から始まると私は思っています

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