半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

身近な空港問題

2016年11月15日 | 自分の時間
 2~3週間前にある農家さんの所にお邪魔していたら、成田空港反対同盟らしき方が「第三滑走路断固阻止」といった見出しの新聞を置きに来ました。


「まだ反対運動をしている人はいるんだよ。まあ昔ほどではないけどな」と農家さんは教えてくれました。

私は「へ~」という思いが沸く程度でしたが、もともといつか寺子屋みたいなのを開いた際には、成田市民としては世界の問題を考えるよりまずは身近な空港問題を学ぶことが必要だと思っていたので、より関心が深まった、程度なのです。

ところが、今日お邪魔した農家さんのところはびっくりしました

というのも、「第三滑走路建設で、あと10年でここの畑も家も全部空港になるんだよ」という言葉を聞いてしまったからです。

 先祖代々住み続けてきた土地には10mにもなるであろう立派な樹木や竹林、趣きのある家屋などがあり、何十年も有機農業を続けてきた土地は、例え他所の畑を借りれても、同じような作物は作れません。

 そして毎年、いつものように農業をしてきたその農家さんが、あと10年にはここを離れなくてはいけない、少なくとも今までと同じ農業は続けられない、ということを知って、私は愕然としてしまいました。

 中には70年代の空港開設で移転をさせられ、今回の第三滑走路で2回目の移転をさせられる農家さんもいるそうです。農業を仕事として人生を歩んできた人が外部の都合で2回もその道を曲げられてしまうのは、いったいどういった気持ちになるのでしょうか?

 過去、家を3回買い替えた人、女に走った人、など色々いるそうですが、まじめに生きるのを放棄してしまうのもわかる気がしますよね。だってまじめに農業をしているのが馬鹿らしくなっちゃうじゃないですか。

「まあ、周りの人がどう思おうと、当事者の問題だからな。この辺りは高齢化が進んで、町をあげて空港を作ってくれと国会まで陳情に行っているんだよ。農業をやっているのも俺らと80歳ぐらいの老人しかいないからな。今更反対運動なんかしないけど、もちろん賛成なんかしていないよ。まあ、このままずっとここで農業をやって人生が終わっていくと思っていたけどな」という言葉は、もう何とも言い難いものでした。

 成田市民として、空港問題は切っても切れない問題なのですが、リアルに知り合いの農家さんから立ち退きの話を聞いてしまうと、急に身近な問題になるのですね。

 NHKなど、こういった問題をドキュメンタリーで追い続ける、なんてことをしてもいいと思いますし、自分でやってみようかな、とも思いました。

 人は身近なことになって、初めて問題意識を持つというのを体感しました、

 いずれにしろ、こういった所をもっともっと学ばないといけないな、という思いがいつも以上に強まった時間でした。
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