麻生さんが又上滑りな発言をしている。「さっさと死ぬつもりでも国費で生きさせられては寝覚めが悪い」、早速撤回だそうだが、撤回というのは言い逃れのまじない言葉でしょう。彼に読めるかどうか知らないが綸言汗の如しと申し上げたい。まさに政治家麻生太郎のための言葉だ。
延命治療をどうするかは、誰にも起こる誰もが考えておかなければならない問題だが、とても一言では表現できないし、一律には決められない。麻生さんの言葉は一面の真理を言い当てているようだが、軽率な物言いは、良貨を駆逐して真っ当な対策を挫いてしまう。
ICUと訪問看護ステーションで一カ月ばかり助手をしてみられるといい。一面の真実は一面の真実に過ぎず、大切な細部をなぎ倒す発言の迂闊に気付かれるだろう。
いつものことだが、勿論マスコミの取り上げ方にも問題があると思う。
さて、若い頃には感じませんでしたが、私のような歳になり、親族の死に目に会いますと、長い間意識もなく酸素吸入し、栄養補給されながらの死は、私個人としては望みません。医者のどなたかのブログで、大きい病院で退院を望んでも聞いて貰えない状況も読ませて貰いました。
死ぬまで元気で、ぽっくり逝けたら幸せだなと思います。それには、自分の生き方を悔いの無いようにしなければならないのでしょう。年老いた自分にかける医療を、これからの若い人に譲りたいと思います。
以前は臓器移植のカードに○など付けていましたが、どうやら年齢制限があるようで、献体も余っていると言う話しですね。
当院にも何もしないでという印がついている患者さんが数名居られます。頭がはっきりしているうちに意思表示があると助かります。家族はもういいと思っても自分で判断を下すのが難しくついお任せになる人達が居られます。
日本は患者さんの希望するところは何処でも受診できますから、医者も病院も選んでおくとよいと思います。
色々なご意見の方が居られますが、何をおっしゃりたいのか分からない方も居られます。