駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

データと解釈

2011年08月24日 | 小考

 

 科学には実験が必須である。と言うよりも実験のないものは科学ではないと言うべきかもしれない。勿論、実験と言っても幅広く、地球や宇宙が対象では観察によるデータがそれにあたる。

 実験によって得られるデータは決して弄くってはならない。そのまま虚心坦懐に紛れなく扱う必要がある。先入主や自己流の解釈が入り込む隙間があってはならない。データの解釈は実験室を出て、心を切り替えてから始めないと間違いの元になるし、あるいは大発見を見逃して、何だそれならワシも気付いていたとセレンディビティーを腐す醜態を晒すことになる。

 小説はともかく、報道や解説もこうした科学的手法を見習うのが良いと思う。否、本当はねばならんと言いたいところだ。マスコミの報道には、先入観や無意識の意図が溢れている。平均的な人間は、それに影響されやすく、踊らされる恐れがある。穏当な譬えではないが愉快犯に似た気持ちをマスコミ人は持っているのではないかと見ている。マスコミに携わったことはないが、常に事実と解釈を分けて書くと言うことは最初に叩き込まれることではないのか?。「画策している」とか、「追いつめられて」などという見出しには、記者の解釈が匂う。

 一方、受け手には鋭い批評精神と成熟した心の涵養が望まれるのだが、当然既にマスコミは色つきと見破っている人は多いだろう。色つきであれば、複数のメディアの情報入手が欠かせず、読み解く努力も必要になる。

 

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