駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

九十九まで?

2019年02月15日 | 人生

      

 

 今朝も結構寒かった。寒いせいか医院が開くのを待つ患者さんは一人も居られなかった。寒いと出足が悪いのだ。唯、今日は閑かなと気を緩めると陽が射して暖かくなった昼前にぞろぞろ来られることがあるから心得ておかねばならない。

 これを平和ぼけというのだろうか。先行きの雲行きが怪しく実質賃金が横ばいとしても、衣食住に困らない日本では健康長寿願望を煽る記事コマーシャルが溢れ、関連商品が目白押しだ。今や一つの産業になってしまった。健康食品の百花繚乱で先鞭を付けた青汁なぞは青息吐息かもしれない。

 当院には現在百歳を越えた患者さんが四名居られる。今までに五名ばかりの百歳越え患者さんを看取ってきた。実際にはもっと多くなるはずなのだが、百歳近くなると施設に入れられ最後は私の手を離れることも多いので、五名に留まっている。

 それこそ忖度するのは問題かも知れないが、百歳を過ぎてハッピーという方はさほど多くないように見受ける。百歳で独りで来院できる方は居ない。必ず付き添いと受診される。歩ける人はたった一人。車椅子が一人、二人は自宅で寝たきりだ。子供さんと言っても後期高齢者だが、子供さんが面倒を見られているのが二人、お孫さんが面倒を見られているのが二人。

 色々例外はあるだろうが親が子に出来るほど子は親に出来ないのが本当のところだ。まして孫となれば、どうしても施設入所が主流となってくる。百歳まで生きられる方の多くに何かしら独特の強さを感じるが、それが平凡な幸せに繋がっているとは限らないようにも見える。

 厳しいことを書くが、超高齢まで長く生きることがバラ色とは限らない。最前線で臨床医をしていると政治家やマスコミはもっと正直に現実を見つめて欲しいと思うことは多い。

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