巨人の契約金超過について様々な報道がされている。なんだかどうも誰が漏らしただとか、昔のことをなぜ持ち出すと言った問題を違える取り上げ方が増え、契約金超過をどう考えるかという一番大切な論点が霞んでしまっている。
政治でも政策ではなく政局に焦点を当てた報道が多く、政策が霞んでしまう。どうしてそうなるのだろう。読者がそうした報道を求めているのだろうか。
解説はニュースにならないという反論があるかもしれないが、名の売れた人物や善玉悪玉扱いの人物の発言をニュースとして報道するのは解説と大同小異で、一つの見方を提供している。政治家は政局ばかりと批判しながら、政局嗜好の報道には釈然としないものを感じる。
政策と政局は密接に結びついており政局も重要だが、政策を霞ませる政局主体の報道は政治課題の理解を浅いものにしてしまう。消費税と原発の扱いは重大で難しい問題だが、上げろ上げるな止めろ止めるなといった単純化した取り上げ方では、有効賢明な方策が霞んでしまい、上っ面の理解だけで黒白に走る流れを助長してしまう。
政治経済社会の問題は単純ではないものが殆どで、一刀両断一言では片付かない。利害や思惑を絡めた随伴現象報道は面白いかもしれないが、問題の理解や解決には殆ど役立たない。返って目を逸らせて、問題をないがしろにすることもある。
地味でまともな政策解説報道は売れない読まれないと言われそうだが、本当にそうだろうか。そんなことはないと私は思う。
もっと穿った見方をすると 大事な事を伝えず、読者をそちら 軽い方へ誘導しているのかなどと考えます。
諍いですから、正直見苦しいですね。