駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

名も知らぬ訪問者

2018年07月22日 | 世界

             

 午前七時だというのに庭に出ると直ぐ汗ばむ暑さだ。おまけに蝉が喧しい。今年は七月始めから鳴き始めた。梅雨明けが早いのを知っていたようだ。蝉時雨と言う。以前は頭がくらくらするほどの大音声であったのが、どうもさほど大きくは聞こえない。蝉の声が小さくなったのではない、聴力が衰えたのだ。幸い老化に伴う難聴は高音から落ちてゆくから、聴診は何とか出来ているが、私に輪を掛けて難聴の患者とは「ええ」、とお互いに聞き返して、看護師に中継して貰うことが増えた。幸い女房はメゾかアルトか、声に低い成分があるので聞き取りやすく助かっている。食卓でお互いに聞き返してばかりでは話が弾まない。

 庭に見かけぬ鳥が居た。飛び立たずひょいひょいと逃げていったが、何者だろう。携帯を持っておらず写真を取り損なった。雀より大きく鳩より小さい、羽に紫がかった色が混じっていた。何だかちらっと私の方を見たようで、何か悪さをしていたのだろうか?。

 気が付けば鳥や植物の名前に疎い、実が小さいとリンゴと杏の区別もできない。名前を知ると分かった気になるのも妙だが、取り敢えず名前を覚えると安心するというか腑に落ちる。今度見かけたら写真を撮ってやろう、セミプロ鳥写真家のT先生に見せれば一目でこれは**ですよと教えてくれる。我が名はアラムというウイリアムサローヤンの小説があったが、名はまだないという猫も居た。尤も猫の方は猫科家猫という分類が出来るので、見かけても何だろうとはならない。そういえば足下を歩いている虫にもさほど詳しくない。長く生きてきたが、身の回りにあるのものの名前をあまりにも知らないと植物図鑑、昆虫図鑑・・などを購入して調べてみるかという気になっている。名前を知ると分かったような気がするし、派生して色々な知識も得られそうだ。七十年前無意識でせっせと憶えたありとあらゆるものの名前、いつの間にか用が足りるようになり学習が止まったようだ。再出発という心境は心地よい。小学生に戻った気分であれこれ名前を調べてみたい。

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