駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

不惑の疑問

2008年11月26日 | 小考
 孔子は四十にして惑わずと言ったそうだが、いかがなものか。どうも孔子の教えは処世訓のようで、ちょっと違うなと私ごときでも思うことがある。快刀乱心を語らずの先生だから、物足りなく感じるのかもしれない。もっとも私の理解が浅いと言われそうだが。
 医師を見ているとむしろ四十にして惑う人が多いような気がする。他の業種でも似たようなことがあるのではないかと思う。意気込みを持って医師になったはよいが、夢中で働いて気が付けばもうすぐ四十かと、立ち止まっていろいろ考え、転進を図る医師が多いようだ。勤務医から開業医への転進は一番多いパターンだが、そればかりでなく、思い切って専門を変えたり、基礎から臨床へなどという医師もいる。
 まあ、別に仕事に限らず、子供も手が掛からなくなり、家庭の女性も妊孕性が下降して立ち止まって生き方を考える年頃のように思う。
 人生八十年の時代になると四十はちょうど折り返し点、ポイントオブノーリターンのように感じられるのも一因だろうか。
 どうも惑うというと悪いことのように聞こえるから、再考とか覚醒とか言った方が良いかもしれん。振り返ることは、実は半ば先を見ることだ。
 そういえば確か、著名な関西の企業家が「やってみなはれ」。と言っていた。継続は力なりと矛盾するようだが、単に同じことを続けるのは継続とは違うように思う。折り返し点で継ぐものを見直すことは妥当で意義深いと思う。孔子も今の時代に生きていれば、言葉を翻したかもしれない。
 
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