高血圧で当院に通院中のSさんは85才、夫君に先立たれ子供達は独立し一人暮らし。まだまだ頭脳は明晰なのだが、いかんせん膝が痛くて長い距離を歩くことが出来なくなってしまった。総合病院の整形外科を紹介したのだが、手術の適応はないと判断したらしく、投薬での治療となった。
どうも余り薬が効かないようで、Sさん受診する度に「痛い痛い、なんとかなりませんか」。と訴えたらしい。担当の副部長に「これは治りません」。と最後通告を受けてしまった。
月に一回受診する度に「治らないんですって、でも薬は呉れるのよ」。と無念そうにひとしきり訴えられる。昨日も「こんなことになるとは思わなかった」。と大きなため息を残して帰られた。私は心の中で、否それはしばしば起こることなのですよ、と思いながら「痛くて、大変ですね。どうぞ、ぼつぼつやって下さい」。と答える。Sさんは勿論、私に名案がないのを知っているので、一通り訴えると帰られる。
これは受診の度、擦り切れて溝が滑るレコードの様に繰り返される会話で、私もくたびれていたり、患者数が多い時などは「色々、言ったって治りませんよ」。と言いたくなることもある。勿論、話を聞くのが私の役回りで、それは禁句なのは承知なので言わないけれども。
残念なことに現実は厳しく、病変は少しずつ進み、痛みが軽くなる頃には歩けなくなってしまう。その時にこんなはずではなかったと嘆く頭脳が残っているのが、果たして幸運なのかどうか。本当は「痛い痛いと言いながら通ってこられるのは、良い方かもしれませんよ」。と申し上げるべきなのかも知れない。
「痛みや苦しみが去るように祈るな」。というユダヤのことわざを思い出す。