駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

付ける薬はないものか

2014年08月19日 | 医療

              

 付ける薬がないと言われるが、付ける薬が欲しいと思うことは多い。私は愛想の良い人間ではないが話を聞くことを仕事の一部と考えているので、些細なことにも耳を傾けるようにしている。

 しかし、何でも聞いてくれると思われるのは心外というか、それはあなたではないと言いたくなる。遠慮がちな人のために、口べたな人のために傾聴を心掛けているわけで、遠慮のない、口数の多いあなたのことではないと。

 思い付いたらすぐ電話はよして欲しい。次回受診時に聞けば良いことはそれまで待って呉れませんか。あと五分で終診とほっとしていると「先生、Sさんから、先生じゃないとと電話です」、受話器を取ると「間に合って良かった。私って貧血じゃないですか?」。

 テレビでやっていて自分もそうのような気がしたからとしても、それは今度来た時に聞いていただきたい。終診五分前だから、間に合ったというものではないと思う。いつも検査結果は説明してお渡ししているはず、それに二週間後の定期受診時には、たぶんもう忘れているんでしょう。

 たとえ深夜でも、重大な病気の時の電話はストレスにならない、たとえ時間内でも、次回受診まで待てるような質問はストレスとなる。そうは言っても多くの人は自分が中心だから、自分には重大ということなんだろう?。

 中には少数だが、それも医者の仕事じゃないかと言う方が居られそうだ。そうかね、ではなぜこうした電話を掛けてくる人が少ないのか、こうした電話に答える医者は少ない(と思う)のだろうかとお聞きしたい。

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