長く医者をやっていて痛感するのは医学の進歩である。他の科学分野はどうだろうか、医学は三、四年ではさほではないのだが、十年経つと明らかな進歩を感ずる。二十年以上経つと一新と言うほどの進歩がある。勿論、医学は広範囲なので分野ごとに凸凹はあり、私の古い知識がまだ有効な分野もある。
卒業した四十三年前はがん(癌)というのは「が」というのも憚られるほど不治の病で、患者にがんと告げるのはタブーだった。四半世紀前から少しずつ本人にがんと告げるようになり、今ではほぼ百パーセント本人にがんと告げている。それは患者に真実を告げるべきという告知の考え方とがん治療の進歩が相俟って可能になったと思う。今はがんで直ぐ死ぬ時代ではなくなった。胃癌や肝癌はピロリ菌撲滅と肝炎ウイルス対策で十五年もすれば八割方克服できそうな気配だ。
私の外来にも数え切れないくらいがん治療後の患者さんが通って来ている。余程の進行がんや質の悪いがんでないかぎり、年単位の余命がある。完治する症例も多い。年に数名、高血圧や糖尿病で通院中の患者さんにがんが見付かる。早期がんばかりでなく、ある程度進行したものもあり、どんなにショックを受けられただろうかと心配しながら総合病院での診断結果を聞くと、逆にこちらが励まされるくらいしっかり受け止めて前向きの姿勢で笑顔さえ見せられる方が多い。
そういう患者さんはどういうものか経過も思いの外良いことがある。確かⅢ期で進行がんだったはずだという患者さんに、「もうすぐ五年になります」などと言われ、内心本当かいなと驚きながら、「ああ、そうですか」。などと間抜けな返事をしている。楽観と信頼は何よりの薬なのだ。冗談や言い逃れでなく、医者を恨むなかれと申し上げたい、人を呪わば穴二つ、恨み恐れ心配は寿命を縮める。これは研修医の頃から変らず、人間の永遠の真実のような気がしている。