駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

事実に向き合う心はどこへ

2014年01月29日 | 人生

                          

  猛残暑から急に秋抜きの厳寒の冬に移行したせいか、暮れから寝たきり患者さんに変化が起きている。師走から、もう四枚の死亡診断書を書いた。例年の倍だ。人の寿命のことを軽々しくは論評できないが、まあ九十の声を聞けば大往生と受け止めてよいと思う。それでも、ご家族によってはまだまだと様々な手段を望まれる。逆に、希ではあるが、何にもしなくてよいと見に来ることもなく電話で注文してくる息子さん(といっても前期高齢者)も居られる。

 なかなか、もはやこれまでとははっきりと申し上げにくいので、改善回復は難しい、食べられなくなったらお終いですよなどと表現させていただくのだが、それでも次の一手をと所望され、やむなく総合病院を紹介することもある。救急外来から入院しても良くなりません、急性期病院の入院適応ではありません、ご自宅でと返されて初めて納得される。

 総合病院にはご迷惑な部分もあるかも知れないし説明しきれない私の力不足もあると思うが、人間は諦めきれない時、手続きを踏んで漸く受け入れる心が形成される場合もあるのだと思う。

 しかしまあ、コマーシャルに依って作られた長寿当然社会、健康強迫社会の影響も感じる。物も言えない食事もできない爺さん婆さんが本当にたかだか五、六日程度の延命を望んでおられるだろうか。なんだか、家族(突出した一人のことが多い)の意向を重んじ過ぎているように感ずることもある。どうすればいい、なんとかならないかと言っていたのに、亡くなった時静かな別れの悲しみが感じられず、すぐさまあちこち電話を掛けまくるあなたはいかなる神経の持ち主でしょうか。

 

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