これは町医者の言葉でなく、昔一緒に働いていた有能有徳の婦長の言葉だ。
看護婦は概ね優秀だが、中には根は良い子なのだが間に合わないのも混じっている。病棟での処置は医師と看護師がペアになってやることが多いのだが、善意溢れる頓珍看護師に出くわすと、イライラして処置に手こずることがある。あんたは駄目、Aさんと交代してとは言いにくい(言う医者も居るがそれは拙い)ので我慢して、あれを忘れたと走り回る頓珍看護婦の相手をしてやる。一周遅れでも、場数を踏めば、そのうち並には成れる。
例えば膀胱カテーテルの交換の場合、必要な器具と手順を暗記しようとするから、抜けるの。処置をどうゆうふうにやってゆくかを思い浮かべてそれに従って器具を揃え、手を出してゆけば、自然に上手く出来るのよと婦長は教えているわけだ。
これは実にその通りで、先輩のやることを見て二回も自分が介助に付けば、当然手順を思い浮かべることが出来るようになる。更に慣れれば個々の医師の癖まで憶えることが出来、あいつはよく出来るとか働きやすいと言われるようになるのだ。
言われて憶えるのでなく、なぜそうするかなぜそう患者に言うかを考え理解して介助が出来る看護師は、医療現場の宝だ。彼女たちは出しゃばらず謙遜で優しく、そして強い。
今は 直ぐ役立つ人手を求めるからどうしてもマニュアル化して仕事を頭で理解させようとするから無理強いするとパンクするのが出てくるようです。知るより慣れろは至言 頓珍を使いこなす 使用者側の事情も有るようですね。