駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

宝物が居る

2017年08月05日 | 医療

       

 宝物というのはあるもので居るものではないと思われるだろうがそうでもない。何人かの宝物と思える人物を知っている、では宝人だろうと言われてもそれはいかに造語好きの私でも同意しかねる。

 以前にも書いたことがあるのだが高所平気症と言いたくなるようなお兄さん達が居る。こういう人達が居ないと東京タワーも五重塔も建たなかった。石原元都知事や小池都知事がオリンピックの聖火台に平気で立てる人かどうか知らないが、結構偉そうなことを言う人物が高所恐怖症だったりする。

 本当の高所平気症は十人に一人居るかどうかだと思う、ただ訓練すれば登れるようになる人はそこそこ居るようで、高層建築現場も困ってはいないようだ。逆に言えば高所作業料も大した額ではないだろうと思う。

 高所恐怖というのは自分の命の場合であるが、医師の場合は他人の命でちょっと恐怖の種類が違うけれども、心配し始めたら手が震える恐怖がある。我々内科医は直接的でなく、脂汗が出ることもないわけではないが外科医とは違う。主要臓器の外科医はそれこそ手を滑らせれば一命が危うい手技をしているわけで、メスを持ったことのない内科医が手術のビデオを見させられると怖い感じがする。

 それが外科医(特に若い修行中)だと成程そこはそうやって切り開いて、横から繋ぐのかと優れた手技に目が行き、それを学ぼうとするようだ。恐いなどとは微塵も思わないらしい。手術がうまくゆかない恐怖というのは冗談ではなく現実で、どんな病院でもおそらく年に数回は術者が交代するような事故がある。大血管を傷つけて大出血とか、大腸を傷つけて便が漏れ出すとかいった事故だ。直ぐ医療ミスとか騒ぎ立てる人達が居るけれども、これをミスとは言わない。勿論、本当のミスもあるが少ないし、多くは上級医によって大事は未然に防がれる。

 唯、世の中は広いから、本当の手術の名人も居る、しかし数が少なく、誰もが名人の手術を受けられるわけではない。日本全国に名が轟くような名人は別にして、当地にも宝と言いたくなるような外科医が数人居る。二十歳ほど年下なのでN君と呼ばせてもらうが彼もその一人で、大丈夫かなと送った肺癌患者さんが二人ばかり、彼に手術してもらい今も生きている。勿論、癌の種類病期などいろいろな幸運が重なっていると思うが、彼の術中写真や術記事を読むと内科医の私でも成程流石と思う。

 普段は気さくで話しやすく、ちょっと女好きというより女に好かれる、尊大なところのない好漢だ。

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