つまいないなあなどというと不謹慎だと言う人が居るかも知れない。勿論、悲しい、寂しいという気持ちもあるが、つまんないというのが一番正直な気持ちだ。
数日前主治医から、一昨日は奥様からお電話で失礼とは思いますがと、亡くなったという連絡とお礼が入った。
Kさんは七十八歳だった。宿痾の糖尿病があったとは言え、もう少し生きられたかも知れない。少なくともまだまだ元気と感じさせてくれる方だった。今回も当然二三週間で退院できると思って送り出したのだが、思いかけず亡くなってしまった。十七年前脳梗塞で倒れてから通院を始められ、六年前に心筋梗塞を起こされた。最近は不整脈もあり、年に一度くらい心不全で病院にお世話になっていた。
元々運動神経が良かったのか右の片麻痺は通院を始められてからも回復し、ひょこひょこと器用に歩かれた。、言葉もスムースではないが当意即妙で、不自由な動きや軽い息切れに不平も言われず、「先生、トルコはいいところだよ、一遍行ってみな」と勧めてくだすった。そうかというので一度はと思っていたイスタンブール訪問を叶えることができた。
通院していたのに心筋梗塞を起こしても恨みがましいところは皆無で、「ははあ、だいぶんいいよ」と笑っておられた。いつも「じゃあ、また」とにっこりしながらひょこひょこと診察室を出ていかれた。不平や愚痴を言われず、調子悪くて入院を勧めた時も「そうね」と素直に従がって頂けた。又会えたと楽しい患者さんだった。
正直、こうした患者さんはそう多くはない。会えなくなってつまんないなあ。
自分の死後に誰かが「あの人と会えなくなってつまんないなあ」と思ってもらえるなんて最高の人生ではありませんか。そうありたいものですがどうでしょうか・・・・
居ないと寂しい、物足りないと感じられる存在であったなら、以て瞑すべしと思います。