諭吉と鴎外には日本にない西欧のモノやコトに新しい日本語の造語を作りだす才能があったと聞いている。百数十年前の文明開化の時代とは異なるが、二十一世紀に新しい造語が必要だと思う言葉がいくつかある。
人間や性の多様さを受け入れようとする動きが皮相に留まっているのではないかと感じるのは言葉に対する無神経さだ。以前から他の言葉を作ったほうがよいと思っているのは「隠し子」と「子なし夫婦」だ。
子供に責任はなくお子さんのいらっしゃらないご夫婦にも様々な事情があるだろう。挙げた二つの言葉には微かだがどこか底意地の悪さを感じてしまう。世の中善人ばかりではないのは千も承知しているが、視点を変えれば100%善人という人物も居ないわけで、内に潜む悪に気付く力が差別格差を少なくすると申し上げたい。諭吉や鴎外に及ばなくても今も新しい言葉を作り出せる人は居ると思う。