駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

司馬遼太郎の理解

2012年04月17日 | 人物、男

    

 「坂の上の雲」を見ないで終わってしまった。恐らく、貴重な作品を見損なったのだろうと思う。見なかったのに、司馬遼太郎は国民的作家?と呼ばれ広く読まれているようだが、ちゃんと理解されているのだろうかという僭越な感想が浮かぶ。

 私は司馬遼太郎のよい読者ではないし、該博な歴史知識を持ち合わせているわけでもない。ただ、彼がこの国のかたちで述べている戦車兵士としての体験に基づいた述懐に深い共感を覚えている。私の理解や認識が不十分なのか、その視点は司馬さんの滑らかな明るい語り口と俯瞰的な説明描写のせいか、忘れられているように見える。

 野田首相は司馬遼太郎の作品から多くを学んだと公言しておられるようだが、まさか本題の周りを彩る群像の物語性からではないでしょうな。司馬さんが書こうとして書かれなかったことから学んでおられるでしょうか。

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2 コメント

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Unknown (arz2bee)
2012-04-17 20:34:58
 ご指摘のようなことを私もどこかで読んだ記憶があります。自分の思いを違って理解されることを恐れられたのでしょうか?
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Unknown (柳居子)
2012-04-17 18:09:52
 司馬氏は、坂の上の雲は、映像化することを禁じてました。たぶん遺言にも有ったのではと考えます。 自分の作品が明治の一時代の空白を埋める『正史』と捉えられることを恐れたのだと思います。小説は、だれかを悪者 凡庸にしなければ抑揚がつかないし、執筆時以降にいろいろと作品を覆す様な資料の出てくる可能性も考えていたのではないかと推察致します。
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