駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

砂漠に雨を降らすがごとくの報道を

2014年09月27日 | 政治経済

                 

 新聞やインターネットの見出しに、おぞましい事件が相次いでいる。人質を見せしめにという卑劣きわまる行為に、憎しみが憎しみを生む連鎖が回り始めているようだ。

 狂い始めた世の中の収集がつかなくなる恐れを感じている。戦後、今ほどジャーナリストの真価が問われている時はないだろう。視野の広い、客観的でスポンサーの得失を離れた報道には冷静な判断を呼び戻す作用があると思う。

 そして読者はメディアリテラシーの力を付けないと、煽り叩くばかりの無責任報道の毒が回り、悪疫質に陥る恐れがある。

 私の簡単な処方箋は履歴を思い出すことだ。一ヶ月前なんと報道していたか半年前何と書いていたか二年前何と報道していたか、それを思い出すだけで、提灯持ちや売らんかなの報道はある程度見透かすことができる。もう一つは少し時間のある時隅々まで読むことだ。小さい記事が光っている。

 TPPや北朝鮮拉致報告を何と報道してきたか、高齢者は認知が始まっていても肝心要は忘れてはいませんよ。

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