あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

なぜに夫人部屋と寝室の照明はショボいのか?

2013年11月07日 05時09分29秒 | レトロ建築
今年国の重要文化財に指定された旧前田家本邸は、かつて加賀藩・前田のお殿様の屋敷でした。

さて、2階次女の部屋の隣は、夫人部屋でした。この夫人というのは、当主前田利為の後妻、菊子さんの事です。
なぜにまわりくどい書き方をするのか?といえば、先妻の前田なみ子さんが前田家の本家筋の方で、ご当主の利為公は同じ前田の一門出身ですが入り婿になるんですね。
先妻のなみ子さんは、欧州滞在中に亡くなりました。
本邸は昭和4年に竣工されてます。菊子さんと結婚したのは大正14年なので、夫人部屋に菊子さんにちなんだデザインがあります。
 
上の画像は、夫人部屋の窓ガラスと暖炉カバーですが、菊のデザインが取り入られてます。
さて、ここでトップ画像。
夫人部屋の照明ですが、昨日紹介した次女の部屋の素敵な照明と比べて、ど~ひいき目に見てもショボいよね?
実際ショボいんです。なぜならば、これはオリジナルの照明ではないの。
ボランティア「夫人部屋とお隣の当主夫妻の寝室の照明はオリジナルではありません。どういう加減か、この2部屋だけ元の照明がつけられなくて、後年都が工事した時に現在の照明がつけられたものです」
夫人部屋は、一家団欒の場所として利用していたそうです。つまりリビングですね。

次は当主夫妻の寝室です。ここも書斎と同じく、部屋の中に入れません。

ボランティア「…ではありますが、寝室に設置したベット等の家具は、前田家にお願いして当時のものをお借りしています。2020年のオリンピックまでに他の部屋も当時の家具を置いてみたいんですけどね~」
ボランティアさんのドリームのようです。つーか、残ってるってのが凄いよな。今のベッドに比べると、いくぶん小さめです。

ちなみに化粧台も奥さまが実際に使ってたものです。ち・近くでみてみたいよなっ。
引き続きましては…。お風呂を挟んで三女の部屋。次女の部屋の倍あります。格も高いような…。

なんでやねんっ??
この部屋もまたかつては奥さまの使っていた部屋なんだって。ところが…。子どもが増えたので改装したんだって。

ちなみにこの部屋の照明はオリジナル。
ボランティアさん曰く「天井のしっくい模様が、見る場所によって違って見えるって、その道のプロの方がおっしゃった事があって、この部屋のが一番出来がいいそうですよ」
へえ~。

さて、なぜ加賀藩主前田家の屋敷が目黒区駒場にあるのか?について。
そうなんだよな~。ここってば、東が東京大学教育部。西が東京大学先端科学技術センターって、東大の建物に挟まれてるんだよね。
東大といえば、有名な文京区本郷にある赤門。あれって加賀藩に徳川の姫が降嫁した時に作られた門だったハズ。
あ…。なんかわかっちゃった~。
ボランティア「江戸から大正まで前田家の本邸(上屋敷)は、現在東京大学がある本郷にありました。大正12年(1923)の関東大震災で東京は被災。震災後、政府の復興計画に関連し、また帝国大学(現東京大学)を大きくしたいという事から、駒場にあった東京大学農学部の敷地と本郷の加賀藩の土地を等価交換し、前田家の本邸が駒場に出来ました。
前田家本邸には使用人が135人いました」
ええっ?135人!!
私「それって、それぞれに家族いたんですよね?どこに住んでたんですか?つーか、住み込みっても135人は多過ぎですよね???」
ボランティア「使用人は住み込みもありましたが、通いです」
洋館の周りに社宅が並んでたんだそうですよ。さながらマエダビレッジのように。また旧加賀藩の家臣団も駒場へ移った時に周辺に移り住み、現在もそのまま暮らしてる家もあるとか。
凄い話だわ~。だから地図を見ると、この辺りってちょっと独特な地割りなんだね。
ボランティア「ちなみに、等価交換した土地は、東京ドーム4個分、約5万坪だったそうです」
も。何がなんだか…。
ここでボランティアさんの説明は終了となります。このボランティアさんよく勉強してるので、ちょっと聞けないけど前から気になってた事を突っ込んで聞いてみる事にした。
私「ご当主なんですが、戦争で亡くなってますよね?」
ボランティア「そうですね」
私「でも戦死扱いにならなかったって聞いた事あるんですけど…」
ボランティア「そうなんです。事故死になってしまいました。戦死と事故死では、税金が全く違うんですよ」
私「それ、どうやって切り抜けたんですか?」
ボランティア「切り抜けられなかったんです。前田家はこの洋館以外全て売却しました。こちらも中島飛行樹に売却しました」
私「事故死じゃなく戦死ですよね?なんでそんな事になったんですか?」
ボランティア「前田侯爵はヨーロッパ生活が長く、戦争しても勝てない事がわかってました。だから陛下に戦争しないように直訴しました。それで軍部に目をつけられたようです」
うわ~男の嫉妬・恨みが原因かよ~。そもそも前田家当主がボルネオに飛ばされた所からして怪しいよなっ。
私「あ!後、長女・次女・三女の部屋はありましたが、跡継ぎというか、長男の部屋はなぜないんですか?
ボランティア「前田利為公のご長男は、邸宅が出来た時既に結婚されていて、別邸が本邸の南に作られました。残念ながら戦争の時焼失してしまい、現存してません。ちなみに、長男・次男が先妻のなみ子さんのお子さんで、長女・次女・三女・三男が菊子さんのお子さんです」
あれ?次男は?
ボランティア「次男は、本当に小さい時に亡くなりました」
ボランティアさんにお礼を述べて今度は使用人区画の見学へ。
ちなみに、使用人区画へ向かうと3階へ上がる階段があります。3階には常駐ナースの部屋と、洗濯室があったそうです。3階に洗濯室って、どこの外国~?って、水はどうした?って思って聞いたらば、前田家は3階だって、蛇口を捻れば水が出たそうですよ。どんな昭和4年だよ~!!


人気ブログランキングへ
中国の山西省太原市で爆弾テロがあったようですね。
あそこは…。
数年前、世界遺産の平遥古城を訪れた事があります。省都の太原市も観光しました。太原市は、市内を大きな川が通ってる関係で、市内に出入りする道が、橋で制限されてしまうのだ。だから、しゃれにならない渋滞がありました。渋滞にハマったおかげで、観光時間も削られたヤな思い出があります。日中の観光でも渋滞にハマる理由は、中国では昼食をわざわざ自宅で食べるから、日中でも帰宅時と通勤・通学時の2度渋滞があるんです。つまり、朝・日中2度・夕方の合計4度の渋滞が発生するのだ。生活習慣を変えるのは嫌だという人も多いでしょうが、大気汚染の酷い国だから、日中の2度の渋滞をなくしたら少しは改善するんじゃないの~?ってあの時思ったんだよな。
しかし今回の爆弾テロはウイグルとは関係ないんじゃないかな~?
どっちかというと、太原から北へ行った所は、石炭の一大産地なのです。そこらに犯人が太原を選んで爆破テロしたんでは?などと勘ぐってしまいます。
山西省はトラックの荷台に石炭を山積にして、石炭トラックが連なって高速道路を行き交う場所なんですね~。まあ私の観光目的は中国でも珍しい古い寺院や建築物が現存してる『歴史』だったので、渋滞を起こす石炭トラックは邪魔で迷惑だったんだけど。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 鉄筋コンクリートなのに木貼... | トップ | 実は邸宅の半分が非公開でした »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

レトロ建築」カテゴリの最新記事