あられの日記

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古木探訪・小田原城御感の藤

2018年04月28日 05時10分37秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2018.2.17訪問。巨樹・巨木探訪と観梅をテーマに小田原城を訪問しました。既出記事で投稿済みですが、さくっと小田原城でまとめてしまったので、今日から4本連続で小田原城に残る巨木・古木を紹介します。
トップ画像は、小田原城の赤い橋、学橋側にあった小田原城見取り図です。御感の藤は、見取り図の左にある南入口近くにあります。

説明板発見:御感の藤 樹名:ノダフジ(マメ科)
昭和32年3月30日 小田原市天然記念物指定
昭和59年12月 かながわの名木百選選定
この藤は、小田原二の丸御殿に鉢植えされていた藩主大久保公愛玩のもので、明治維新後、市内板橋の森元氏の手に渡り、明治16年に市内唐人町(浜町)の西村氏が買い受けて育てられていたと伝えられています。
大正天皇が皇太子のとき、小田原御用邸に滞在中のある日、西村邸の前を通過した際、召馬が藤棚の下に駆け入ったために殿下の肩に花が散りかかってしまいました。周囲の人々が恐縮していると「見事な花に心なきことよ」と感嘆されたことから、「御感の藤」と呼ばれるようになりました。
大正11年3月、小田原保勝会の人々により西村家からこの地に移植され、今日まで小田原の名物として私たちの目を楽しませています。
樹齢は約200年と推定され、既に壮年期を過ぎた古木ですが、5月の開花期に藤棚いっぱいに花房が下がった様子は誠に壮観です。」
ほうほうほう。もともとは小田原城のお殿様が愛した鉢植えの藤が、今ではこんなに大きくなったのですね。
そして少なくとも明治期に3度移植されたと。どの時点で鉢植えから直植えになったかは文面ではわかりませんが、少なくとも馬に乗った皇太子の肩に花が散りかかるには、この時点で既に直植えになってた模様です。しかし、明治にお殿様から流出した時既に樹齢100年近くあったハズ。大概無茶しますね。よく枯れずに根付いたなあ。いい植木屋さんがいたのかな?

大きな藤棚なので、周りを1周。

5月に花を咲かせる。今年は既に見頃になってるかも?我が家の近所では4月12日に買い物に出たらすでに見頃になってましたもの。
トップ画像にもあるように、明日は小田原城の巨木、ビャクシンを紹介します。

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