あられの日記

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平塚七夕まつり2

2013年08月11日 04時56分44秒 | ぶらぶら散歩
昨日に引き続きひらつか七夕まつりの七夕飾りの紹介です。場所は紅谷パールロードです。



ゴール!広い道路に出たので北上します。

と。
ン?平塚宿の江戸見付
説明板発見:平塚宿と加宿平塚新宿の間には、かつて松並木があり、その松並木の西端に平塚宿江戸見付がありました。
本来、見附は城下に入る門を「城門」のことをいい、城下に入る人々を監視する見張りの場の役目を持ちました。したがって。宿見附も宿の出入り口を意味すると同時に、宿を守る防御施設として設置されたことがうかがえます。また、見附は必ずしも宿境を意味するものではなく。見附から正式に宿内であることを示す施設でした。さらに、宿と宿の間の距離は、この見附を基準としました。
平塚宿の見附は二カ所。一般に江戸側の出入口にあるものを江戸見附、京側にあるものを上方見附と呼びました。この二カ所の見附の間が平塚宿内で、街並みは東西に十四町六間(約1.5キロメートル)、東から十八軒町・二十四軒町・東仲町・西仲町・柳町の五町で構成され、その中に本陣、脇本陣、東・西の問屋場二箇所、高札場、旅籠などがあり、江戸時代を通して二百軒を超える街並みが続きました。
一般的に見附は、東海道に対して直角に位置するように設置され、土台部は石垣で固め、土盛りされた頂上部は竹矢来が組まれていました。
平塚宿江戸見附は、長さ約3、6メートル、幅約1、5メートル、高さ約1、6メートルの石垣を台座状に積み頂部を土盛りし、東海道に対して直角に対をなし、両側の見附は東西に少しずれた形で設置されていました。
 平成13年10月 平塚市 以上。
上の画像の左手前に木柱がある。更に手前に石垣がありましたが、画像を撮りそびりました。

説明板にこんな写真がありました。かつての江戸見附の画像です。
見附跡の向こうに、平塚市民センターが。朝も早よから行列する人々の姿が。まつりに合わせなにか催しがあるようです。
ん?
市民センターの並びに何かレトロ建築物かある~。何コレ??
市立崇善公民館です。
中が見てみたい…。
道から離れてたので、建物の側まで行ってみた!
すると!!
中から警察官が出て来た。
どうやら、七夕まつりの間は、臨時の警官の本部になってるようです。
ちっ!
中を見るのは諦めます。

建物の由来が気になるなあ…。
由来を調べてみたら、かつての平塚市の議事堂だったようです。昭和25年(1950)建設。
どうみても木製ですね。戦後物資が不足してたので、木造になったのか??
でもこれ…。
なんかね。耐震基準を満たしてないから、取り壊すらしいです。
つーか、昭和25年建設なら、今の耐震基準を満たせるハズないじゃんっ!
それって、保存はお金がかかるから、「耐震基準」とか「地震対策」という大義名分が通る今なら取り壊せるってこと?
まあ…。レトロ建築物は、取り壊しと保存で後の世に残すかどうか、悩ましい所だよな。見学したい人、早めに訪問することをおススメします。
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コメント
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