招魂社祭の後、遠路広島から参加した、長岡藩士の末裔と古戦場に出かけた。
先祖の名は伊東道右衛門、長岡藩士の中でも最も勇敢に闘った一人である。
この道右衛門の碑が、古戦場に近い福島江のほとりにある。常在戦場の長岡藩士の碑はいくつかあるが、その中でも際立って立派な碑を、地元住民が建ててくれた。
槍の達人だった道右衛門はこの時すでに62歳、「我と戦わんと欲する者は、来て勝負せよ」と大声で叫んで、槍で戦い続けたが、最後は銃で倒された。
近代兵器で武装した長岡藩士だけでなく、三河の気骨で戦った老武士は長岡の誇りでもある。
中越地震での倒壊を心配していたが、「戊辰長岡戦役戦士伊東道右衛門『忠烈輝千古』」の碑は、長岡城の方向を向いて建っていた。
碑の周りは綺麗に清掃され、たくさんの花が植えられていた。その中でワスレナグサ(勿忘草)が雨にぬれながら、子孫を待っていた。
この後、老武士や多くの藩士の命と引き換えに、長岡城を奪い返した、大黒古戦場と八丁沖古戦場を回った。八丁沖と呼ばれる底なし沼を、八丁沖の奇襲で長岡藩士は渡ったが、いまでは見渡す限りの美田である。
ヨーロッパ原産で明治時代に日本に渡来した多年草。
葉は長楕円形で粗い毛がある。淡青色で中央が黄色の五弁花を付ける。
名前の由来:西洋の伝説で、恋人に「私を忘れないで」と、この草を投げながら、川の中に沈んでいった若者の言葉を花の名前にした。
花期:4~6月。
(長岡市城岡)
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信徳さんからは、品種としてもワスレナグサであろうということですし、デコさんからは祖先を忘れないためにも、ワスレナグサが似合う、ということで、ワスレナグサにしましょう。
この老人(62歳はまだ若い)、家に伝わる鎧を着て、裸子を取り出して闘うのですから、頼もしい。
北越における戊辰戦争は、三国峠で始まり、この時は会津藩の白虎隊士の町野久吉が、祖先伝来の槍で奮戦し、最後は銃弾に倒れました。これが北越戦争の始まりでした。
今回の旅は、町野久吉も出てきます。
飛道具とは卑怯なり
やっぱり。
おっしゃるとおりで、実は茎が異様に長いので自信がないのです。
この場所には、この花が一番似合うように思ったので、思い切ってワスレナグサにしました。
思い当たる名前があったら、教えて下さい。
迷っちゃう
実は信徳さんから異論があると思ったのですが、これはワスレナグサでしょうか。
ちょっと自信がないのです。
この地に相応しいので、この花にしたのですが。
ちょっと、ど~も
大きくなると忘れちゃうのかなぁ~。