江戸時代の教育機関は、塾や寺子屋、そして江戸時代も後期になりますと、競うように藩校が設立されました。明治になると藩校は廃止されますが、藩校の流れは現代に脈々と継承されてきました。藩校サミットの目的は、江戸時代の藩校の歴史を現代に生かそうとするものです。
湯島の昌平坂学問所から始まったサミットは、今年で12回を数え、今年は武蔵国忍藩(おしはん)の藩校「進脩館」があった埼玉県行田市(ぎょうだし)で開催されました。
忍藩は藩の名前と市の名前が一致しないので、どこにあるか迷いますが、かっては10万石クラスで幕府の老中を多く輩出します譜代の雄藩でした。最近は和田竜原作の歴史小説の映画化「のぼうの城」で注目されています。 行田市でよく知られているのは、忍城と足袋の生産そして約2千年前の地層から蘇った古代蓮(行田蓮)、「さいたま」の地名のもとになった「さきたま古墳群」などです。古代蓮はオオガハス(大賀蓮)とともに古代のロマンを伝える蓮としてよく知られています。今回は時間がなく、忍城以外は見学することができませんでした。 「のぼうの城」は成田氏が城主の時で、豊臣秀吉が小田原城を攻めた時代のことです。石田三成が北条方の忍城を土塁を築いて水攻めにしますが、小田原城が落ちるまで持ちこたえました。小田原城の支城で落ちなかったのは忍城だけだったとのことです。
後編のサミットの模様は、明後日にしたいと思います。
(埼玉県行田市) (つづく)
湯島の昌平坂学問所から始まったサミットは、今年で12回を数え、今年は武蔵国忍藩(おしはん)の藩校「進脩館」があった埼玉県行田市(ぎょうだし)で開催されました。
忍藩は藩の名前と市の名前が一致しないので、どこにあるか迷いますが、かっては10万石クラスで幕府の老中を多く輩出します譜代の雄藩でした。最近は和田竜原作の歴史小説の映画化「のぼうの城」で注目されています。 行田市でよく知られているのは、忍城と足袋の生産そして約2千年前の地層から蘇った古代蓮(行田蓮)、「さいたま」の地名のもとになった「さきたま古墳群」などです。古代蓮はオオガハス(大賀蓮)とともに古代のロマンを伝える蓮としてよく知られています。今回は時間がなく、忍城以外は見学することができませんでした。 「のぼうの城」は成田氏が城主の時で、豊臣秀吉が小田原城を攻めた時代のことです。石田三成が北条方の忍城を土塁を築いて水攻めにしますが、小田原城が落ちるまで持ちこたえました。小田原城の支城で落ちなかったのは忍城だけだったとのことです。
後編のサミットの模様は、明後日にしたいと思います。
(埼玉県行田市) (つづく)
得意の歴史探訪は長岡だけでは無く行田にも現れるのですね。
古代ハスも咲いて行田市はこの時期賑わっているのでしょうか?
古代ハスの看板もあって興味のある地でした。(古代ハスは今が見頃でしょうね。)
ダサイ玉県ではなく悠久のロマン満載県のようです。
足袋の生産でも有名なのですね。
JR行田駅で降りたのですが、やはり古代蓮目当ての人が多いようでした。
城も見たいし、蓮も見たい、やはり前日に行くべきでした。
「さきたま古墳群」はご存じでしたか。
埼玉の名前のゆかりの土地と言われると、さいたま市民は名前の由来を何と答えるのでしょう。
足袋は知りませんでしたね。
お相撲さんの大きな足袋が飾ってありました。
現役の時に開催して欲しかったですので、待ち遠しかったです!
私も少し早く着いて、諏訪社と東照宮参拝したあと、城のお庭とか散策しました。
博物館じっくり拝見する時間がなくて入りませんでした…
お堀に亀が泳いでいました(^_^;)
さいたま市は埼玉市にしようとした時に、行田周辺から陳情があり、ひらがな表記になりました。
さいたま市より勉学や躾が行き届いていそうで、行田に限らず城下町は魅力がありますね~
埼玉古墳や古代蓮今回見れなかったなぁ~
最近奥より表の用向きにキャリアアップしつつあるような~のため
馬廻目指します!!
ブログでは久しぶりです。
腰元よりも馬廻が希望でしたか。
馬廻は江戸時代になると、馬上資格のある上士などもやったようですね。
ウエキペディアでは、長岡藩は『大組』と呼称したと書いてありましたよ。
現在なら社長の運転手よりは、かばん持ちの秘書でしょうか。
さすがは越後の元上杉家の家臣、諏訪社や東照宮を参拝してますね。
それにもとのご主人上杉家のご当主にお目見えできて良かったですね。
時間があれば魚津城籠城の模様を報告したかったのではありませんか。
埼玉市の名前は行田市から「待った」でしたか。
県名は了解しても、市名は許せませんね。
交流会で素読を披露した埼玉小学校も、読み方はさきたま小学校でした。
上の画像の古代蓮は、大会冊子の裏表紙から撮りました。
そうそう大組3人衆の写真はばっちりですが、サミット会場での記念撮影は失敗でした。
私も今なら馬廻が良いなぁ~と思います。
元家臣かはまだ確実ではないです((T_T))
地元のI川先生が今執筆されておられる作品でも我が家の枝分かれした家(?)の藩士の名前は仮名にして下さってます。
とりあえず、700年遡れる菩提寺に謙信公の義兄弟がおられましたよ~
って御伝えしました。
我が家は南北朝時代の御主君と、謙信公の義兄弟の貫主様を御供養しつつ
私は牧野家一筋に忠義を尽くす予定です!
これ以上は気力&体力持ちません!!
今回はついでながら御当地の水田開拓に父方が幕府に微力ながら支援したらしくて行きたかったです。
父方はそのために紀州から移住したらしい。
でも父方はちょっと前に材木問屋の血も入っているので…諸藩に喧嘩売るような商売してないと…良いのですが(ーー;)
今年の招魂祭では「長岡築城物語」を買いましたよ。
正しい歴史を書く先生が、今回は歴史小説でした。
700年さかのぼれるとはすごい寺ですね。
ドラえもんのどこでもドアがほしいですね。