高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

天地人(春日山城その2)

2009-05-30 00:40:21 | 歴史

坂道には各種の植物が生えているが、エンレイソウ(延齢草)がかなり多いのに気づく。このエンレイソウの何代か前の、人間に例えるなら、いわゆる祖先が謙信公や御館の乱を見たのであろうか。
二ノ丸を過ぎると、山頂の本丸はすぐに着き、本丸跡には史跡春日山城址の大きな石碑がたっている。本丸に連なる南側に天守閣跡がある。山頂からの眺めは素晴らしいが、眺めるのは後回しにして、御館の乱で三の丸の景虎と闘った、景勝屋敷に急ぐため、山頂を通り越して反対側に降り始める。


(春日山城の山道でも見たエンレイソウ)

 
(春日山城と現在位置)

本丸のすぐ下に本丸側に傾斜した大きな松の木があり、その近くが杭で囲った箇所がある。底に水をたたえた大井戸跡で、山頂に水が沸くのは、地質学的には西方の山々と礫層でつながっていて、サイフォンの原理が働いて水が湧き出ると、説明文には書いてある。
物理の原理など知らぬ当時の武士は、神から授かった湧き水とでも思っていたことであろう。
大井戸の先はかなり深い掘割があり、その向こうの広い所が景勝の屋敷跡である。
ドラマでは景勝役の北村一輝が、極度に寡黙で気難しい役を熱演しているが、春日山城の館の配置からも、裏側の印象は拭いない。
景勝屋敷を見学した後は、ふたたび頂上に戻り、山頂からの上越市の街並みを展望する。
次回に記載する直江屋敷の方向に、米山と直江津の海が見える。
先ほどの景勝屋敷は、昔は展望は開けていたのであろうが、現在は樹木が茂って見ることができない。
次回は毘沙門堂などを見ながら、直江屋敷に下ることにする。

 
(本丸跡)

 
(天守閣から景勝屋敷へ)

 
(井戸)

 
(景勝屋敷跡)


(春日山の頂上からの眺め)


(米山と直江津方面)

(上越市春日山)
コメント (6)    この記事についてブログを書く
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6 コメント

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上杉氏 (信徳)
2009-05-30 02:06:50
春日山城跡から見下ろす景色は素晴らしい。流石上杉為景から景勝が米沢に移るまでの歴史を作った。この頂上にたってみて当時の想いを馳せるのも歴史探訪の大きな意義があるのでしょう。
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春日山=香貫山? (デコウォーカ)
2009-05-30 19:27:55
春日山城は城として最適地に建てられたのですね。標高180mの山の上でありながら、水が出るとは素晴らしい所だったですね。因みに香貫山の山頂は193mですが展望台は少し低いので、春日山とほぼ同じ高さになると思います。香貫山の展望台から見ている感じなのかなと親近感を感じながら読みました。(香貫山には井戸は無いですが、現在は水道が引かれていて天下の名水・柿田川の水が飲めますが。)
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越後は分散統治へ (寅太)
2009-05-30 22:08:34
信徳さん、こんばんは。
この春日山が、景勝の後どうなったかというと、堀秀治の次の堀忠俊が平地に福島城を造り、さらに松平忠輝が高田城を造ります。
長岡はその後牧野家になりますが、南部の寅太の地元では高田の支配が続きました。
やがて高田藩に
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井戸は機能してない? (寅太)
2009-05-30 22:15:27
デコウォーカさん、こんばんは。
春日山も香貫山も標高は低くても、海の近くですから高く見えます。
大井戸には水は見えましたが、多分、雨水でしょうね。昔はサイホォンのように流れてきた水も、深い井戸でズタズタになっているでしょう。
水は溜まっていた
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延齢草 (hanatetsu)
2009-05-31 09:49:52
毎回、花と歴史を結びつけるのは大変ですね。
エンレイソウが群生してますね。
春日山の頂上からの眺め素晴らしい!!
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春日山のエンレイソウは以外 (寅太)
2009-05-31 17:11:06
hanatetsuさん、こんにちは。
やはり花のブログなので、少しはこだわりを持っています。
最初のころは山野草だけで、だんだん園芸種や樹木まで広がってしまいました。
数年、続けるとそのうちネタ切れになるでしょう。
今回の旅ではエンレイソウは各所で見ましたが、観光客の多い春日山の頂上への道でみたのは以外でした。
エンレイソウに気づく人は
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