御館から車で20分ほど街中を走り、春日神社の入口に着いた。ここに駐車場があるが、狭いので10台程度しか止めることができない。神社を見学しながら、春日山城があった山頂まで登ることもできる。
昨年の10月に春日山に来ているので、この駐車場の石垣の上から謙信公の銅像が見おろしているのは知っている。かなり草が茂り、謙信の見通しが悪くなっているので、この画像は紅葉が始まる昨シーズンのものである。
この奥に車で行く人はほとんどいないが、昨年の学習効果で、山頂に最も近い、最後の駐車場まで車で進んだ。 先には売店もトイレもないので、急いで進まないように注意が必要である。 春日山城については、各所に建てられた立派な案内や、売店では城郭の予想図も売っているので学習してほしい。
三の丸への山道に、景虎をイメージさせるような美しいノアザミ(野薊)が咲いていた。
御館の乱で景勝と争うことになる景虎は、北条氏康の7男として生まれ、幼い頃は甲斐の武田氏の人質となり、越後にも人質としてやってきた。天性の美貌と聡明さを備えたに人質を謙信は慈しみ、自分の幼名の景虎を名乗らせ、景勝の妹(姉とも)を娶らせた。
越後毛利の血を引く由緒ある武将等は、成り上がりの上田の景勝よりは、相模の北条の血を引く景虎を担いでも不思議ではない。こんなことからアザミのように、景虎の隠されていた刺を出させてしまった。
三の丸には米蔵と上杉三郎景虎の屋敷があるが、相模の北条から来た若者に、謙信はいかに期待していたかがわかる。
さらに登ると二の丸であるが、本丸(実城)を取り囲むように位置し、春日山の中核機能があったことが伺える。
もう少しで頂上の本丸に着くが、まだ景勝や直江兼続の屋敷が出てこない。予習のつもりで、もう一度イラストマップに戻ると、マップでは隣り合わせのようになっているが、本丸を挟んで、景勝の屋敷があり、右端に直江屋敷も見える。 (上越市春日山)
昨年の10月に春日山に来ているので、この駐車場の石垣の上から謙信公の銅像が見おろしているのは知っている。かなり草が茂り、謙信の見通しが悪くなっているので、この画像は紅葉が始まる昨シーズンのものである。
この奥に車で行く人はほとんどいないが、昨年の学習効果で、山頂に最も近い、最後の駐車場まで車で進んだ。 先には売店もトイレもないので、急いで進まないように注意が必要である。 春日山城については、各所に建てられた立派な案内や、売店では城郭の予想図も売っているので学習してほしい。
三の丸への山道に、景虎をイメージさせるような美しいノアザミ(野薊)が咲いていた。
御館の乱で景勝と争うことになる景虎は、北条氏康の7男として生まれ、幼い頃は甲斐の武田氏の人質となり、越後にも人質としてやってきた。天性の美貌と聡明さを備えたに人質を謙信は慈しみ、自分の幼名の景虎を名乗らせ、景勝の妹(姉とも)を娶らせた。
越後毛利の血を引く由緒ある武将等は、成り上がりの上田の景勝よりは、相模の北条の血を引く景虎を担いでも不思議ではない。こんなことからアザミのように、景虎の隠されていた刺を出させてしまった。
三の丸には米蔵と上杉三郎景虎の屋敷があるが、相模の北条から来た若者に、謙信はいかに期待していたかがわかる。
さらに登ると二の丸であるが、本丸(実城)を取り囲むように位置し、春日山の中核機能があったことが伺える。
もう少しで頂上の本丸に着くが、まだ景勝や直江兼続の屋敷が出てこない。予習のつもりで、もう一度イラストマップに戻ると、マップでは隣り合わせのようになっているが、本丸を挟んで、景勝の屋敷があり、右端に直江屋敷も見える。 (上越市春日山)
バックのボヤカシもこの程度がいいのではないでしょうか。参考になりました。
ところで、春日山城跡のイラストマップを見ますと「お花畑」がありますが、何があるのでしょうか?
花の話ばかりで申し訳ありません。
偶然ボケたのに、ボカしたなんて誉め上手です。
お花畑はよく見つけました。
いまは平らなところで何もありません。
当時、この季節に生えていたものを植える余裕がまだないようです。
馬場があれば馬を走らせるとか、もう一工夫がほしいところです。
花を植え、馬を走らせましょう
御館の乱の前哨戦は、春日山城の中ですから、かなり広いですね。
謙信の篭もる所は、向かって右に毘沙門堂などがあります。
本丸に毘沙門堂など
物語はかなり現代風にアレンジしますね。
水戸黄門なんか、そのものズバリです。
養子は多いと思います。バカ息子りは賢い養子の方が家が安泰ですね。
特に相手が格が上だと、断わりようがないですね。
養子で家は安泰